18/小さな花が咲く時に

 そういえば、最近八木が葉月の周囲をうろちょろしない、ということに今さら気がつきつつ、余計な仕事が増えなくて良い、と思い直した葉月は、程よい満腹感を噛み締めながら、クッションに頭を寄せ、だらしなくソファーの上に寝転んでいた。
本日も、相変わらず食べ物めぐりをしていた葉月と高山は、どこの小学生か、と突っ込みが入れられそうな時間に別行動となった。
葉月にしても、当然夜に出かけることもあるにはあるのだが、どちらかというと面倒くさく、家でゴロゴロしていたほうがよい、といった年頃の娘としては失格な感性の持ち主なのでそれが不思議なことだ、という認識は当然ない。もう少し一緒に遊びたいな、と思わないでもないが、それはどの友達に対しても思うことなので、と、深く原因を探る事を放棄している。
どれだけ食べたとしても、時間になればお腹はすくもので、ほどなくして両親が待ち構えているダイニングテーブルへと移動した。



「葉月―――、あの男は誰だ!!!!!」

あまり言葉数の多くない次男の、わかりやすいほどわかりやすい日本語に驚くとともに、その内容にさらに驚愕した家族全員が葉月の方に振り返る。
数少ない父が一緒の土曜日の夕食は、やっぱり嬉しい気持ちの隠せない母親の気合の入った食事が供されることが常だ。
あまり夜に用事を入れることの少ない葉月は、そのほとんどに参加しており、そのことがさらに両親をうれしがらせ、なんとなく週末ごとにプチパーティーの様相を呈している。
今日も当然葉月は好物の数々を目の前に、どれから食べ始めようか、などと考えていたところで、それをこの突然の弟の乱入がぶち壊しにしてくれた。
凍った空気の中、恐る恐る口を開いたのは父親で、興奮状態の次男は母親のおたまと、葉月の威嚇に牽制されている。

「男って、なんのこと?」
「今日、昼」

相変わらず単語でしか話さない文月の会話を読み砕き、あっさりとその疑問が氷解する。

「ああ、高山さんのこと?」
「誰だ?それ!」
「誰って、友達」

事も無げに事実を伝える葉月は、すでに照り焼きチキンを頬張り始めている、その姿に安堵したのか、母親はいそいそと葉月のご飯を盛り付けにかかる。

「だめだ!」
「なにがだめなのさ」

難しい顔をした父親と、ちょっと好奇心を隠せない母親と、興奮状態でもとから文章力の無い文章がさらにぐだぐだになっている弟を見比べながらも、サラダを自分の皿へと確保する。

「んーーー、葉月、その、どこの高山さんかなぁ?」
「へ?父さんも知ってるっしょ?大学の」
「は?大学?あの、高山君かね?最近教授に昇進した」
「うん、その高山さん。なんか色々おいしいところを知っているらしくって、あちこち連れていってもらってるんだ」

嬉しそうに、色気とは正反対の内容を話しだす娘に、父親はやや安堵して、母親はあからさまにがっかりした顔をする。
元々母親自体は、葉月が恋愛する事を咎めたことはない、どう考えてもあまりにも色恋沙汰に縁遠い娘を心配していたほどで、少し方向は異なるものの、身元の安全な異性とどこかへ出かける、といった華やかな出来事に対しては大賛成である。

「ばか、おまえ、そんな男おかしい!!!」
「あんたよりましでしょ?」

あっさりと言い放ち、葉月の機嫌はやや下降する。

「まあ、高山君なら知らないでもないし。なんだ、その、少々年が離れているのが気にならないでも…」

そういいながらも自分とその配偶者の年齢差を思い出し、押し黙る。

「男はみんなヨコシマなんだよ!!!」
「あんたにだけは言われたくない」

邪悪の塊、のような弟に言われ、はいそうですか、と受け入れるわけがない。まして大嫌いな男が言う事である、反発して当然だ。

「葉月!」
「うるさい」

箸をテーブルに叩きつけるようにして置き、葉月が大好きな食事を中断する。
そのことだけで両親は天変地異がおきるかもしれない、といったほど驚き、興奮しっぱなしの文月はそれでも葉月にくってかかる。

「俺の言うことが聞けないのか!!!」
「聞けるわけ無いでしょ?常識で考えて」

少々シスコンの入った弟と、それに対抗する姉、といった風に見えないでもない二人だが、その内実はもっと剣呑だ。
もっとも、両親にしても、どうしてそれほど葉月が兄弟に反発するのか理解してはおらず、被害者の敏感、加害者の鈍感、とはよく言ったものだと、葉月もやるせない気分にならないでもない。

「葉月ちゃんは、文月のこと嫌い?」

だが、能天気な母親の一言には、後ろめたい気持ちがある文月も、ぶちまけたい衝動を抱いている葉月も絶句する他はない。
いっそ、あんなことをしておいて好かれると思う方がおかしいわ、と、怒鳴りちらしたい衝動を押さえ、無言でテーブルを後にする。
葉月に嫌われた原因も、葉月が嫌いつづけている原因も、本当のところは理解している文月は、葉月の視線に射抜かれて、拳を握ったまま動けないでいる。
取り残された三人は、おろおろしたりため息をついたり、工藤一家の中心にいて、いつも皆に灯りを振りまいている葉月の不在をただただ静かに嘆くばかりだ。
お通夜のような夕食はいつのまにか終了し、何もやる気が起こらない両親も、怒りつかれて腑抜けになった文月も、早々に床についた。
次の日、何もなかったかのように朝食に現れた葉月を見て、昨日のことは蒸し返すな、ときつく言い据えられた文月を監視しながら、表面的には何時も通りの日曜日の朝が始まる。
半分忘れて、半分覚えている葉月は、思考を高山との今後について考えながら、嫌いぬくほど弟の事は嫌いではなく、そこは血のつながりのなせる業なのか、死んだら悲しい、ぐらいの感情をもっていることを認めないではないな、といった程度まで自分の怒りのレベルを下げることに成功していた。



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10.7.2008

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