「おはようございます」
「……おはようございます」
無駄に爽やかで元気な高山の挨拶に、訳もなく反発心を覚える。
「とりあえず、どうぞ」
車の助手席へ案内され、思わず運転席の真後ろに座ろうとした葉月の八つ当たりの心を制される。ささやかな抵抗がまるで子どもじみているかのようで、とりあえず気分を切り替えあくまでも友達と遊ぶ、というモードへシフトさせる。
「今日は、どういう予定か聞いてもいいですか?」
何も考えていない葉月が、まだどういったスタンスで高山に望んでいいのかわからないような口調で質問をする。
友達、というには親しくはなく、だからといって相手が望むほどフランクになるには年齢差が邪魔をする相手に、どう接するのがベターなのかを探っている最中だからだ。
「とりあえずドライブでもどうですか?葉月さんが嫌いでなければ、ですが」
「ええ、まあ、嫌いというわけではないですが」
免許はもっているものの満足に運転をしたことが無い葉月は、もっぱら乗り役だ。車を運転する女友達にしても、葉月をのせて移動する範囲と言えばお店からお店といった極限られた範囲でしかなく、こういった目的があるのかないのかわからないドライブ、といったものを彼女達としたことはない。だから正直どう答えていいのかがわからないのだ。
彼女の曖昧な返事を了承と捕らえたのか、高山は上機嫌で車を発信させ、葉月にとっては楽しいのかどうかすら予想できない二人きりのドライブへと進んでいった。
「車酔いは大丈夫ですか?」
「え?ええ、今は大丈夫です」
「ああ、結構子供の頃はそういう子多いですよね?」
「高山先生も?ですか?」
「ええ、まあ。……、あの、葉月さん。その先生っていうのはやめてもらえませんか?」
「はぁ、あの、じゃあ、高山さん」
「……それもあの、いえ、とりあえずそのほうがましです」
了解したのかしていないのかわからない反応に、葉月は戸惑いながら、しかしこれ以上の譲歩をすることができないでいた。
なんと言っても葉月は彼の下の名前を知らなかったのだから仕方がない。それを口に出してはいけない、といった程度の配慮は葉月にも残されているのだから。
「海の方へいって、何かおいしものでも食べませんか?それとも魚は嫌いですか?」
「いえ、特にすきでも嫌いでもない、といいますか、基本的に好き嫌いはないです。おいしものならなんでも食べたいですし」
「ああ、それはいいことですね。実はいい年して自分はピーマンが苦手でして」
思わず堪えきれず吹き出してしまった葉月に、高山はばつの悪そうな顔をする。
「情ないですよね」
「いえいえ、誰にでも苦手なものってありますし…、でもピーマン」
「はぁ、あのえぐみがちょっと」
「まあ、特徴のある野菜ってところですけど」
思いがけずに高山の人間らしい側面を知ることとなり、葉月はかすかに心が揺れた。
父親と伯父の職業柄、高山の職業にももちろん偏見はないものの、それでもあまり人間味を感じさせない彼に対しては、どこか構えていたところがあるのだ。
もちろん、馬鹿なこともするし、馬鹿なことを言ったりもするのだが、こういう何気ない一言がもたらす彼の人となりの一部、というのはあまりに自然に葉月の中に染み込み、今まで描いていた高山像というものが変化していく。
それは不快なことではなく、むしろ心地よい。
そんな不思議な変化を楽しみながら、二人は高山が調べてきた、という和食屋へとたどり着いた。
昼にはまだ早いせいなのか、店内に人はあまりおらず、店員の元気な声が二人を出迎えた。
「定食屋ってかんじですかね」
「そうみたいですね、その、だめですか?」
おしゃれなデートで男女二人がいく店、とするにはやや砕けた印象のある料理屋ではある。
だが、葉月にとってみれば、知人と二人で利用する店、という定義なものだから、店の体裁などにはあまり興味がない。清潔でありさえすれば、おいしいものを供してくれるのが一番良い料理屋だ、と、信じている彼女にしてみれば、例え恋人と一緒であっても、所謂定番の店には拘らないだろうが。
「おなかすいたーーー」
高山の言葉を笑顔で無視し、店員に案内されるがままに座敷の方へと通された葉月は、さっさと品書きに目を通し、あっさりと注文の品を決定していた。
後からおっとりと付いてきた高山は、葉月から渡された品書きをゆっくりと眺め、葉月と同様に注文の品を決めた。
「すいませーーん。私海鮮丼定食、高山さんは?」
「はい、本日の定食で」
店員に伝えた後は、ゆったりとした店内を見渡しながら、途切れない程度の会話を交わす。
驚いたことに、二人きりの会話は苦痛なものではなく、どちらかというと快適なものであった。高山が気を使って会話を振ってくれるせいももちろんあるが、葉月のすっとぼけた返答にも笑わずに真面目に答えてくれる高山のいい意味での生真面目さが悪くは無い、と思い始めたせいなのかもしれない。
程なくしてはこばれてきた料理は、ボリュームも見た目もすばらしく、葉月は思わず顔をほころばせた。
「葉月さん、食べるの好きです?」
「好きですよ、好きすき、だーいすき。ダイエットって何それ?ってかんじです」
割り箸を綺麗に割り、軽くてをあわせ、女性にしては多いであろう一口を豪快に口へ運ぶ。
高山は、あまりにおいしそうに食べる葉月に思わず見惚れた。そんな風に見られていることなど全く気にもとめないで、葉月は綺麗に、それでも女性にしては豪快へ食事を進める。
ようやく気を取り戻した高山は、自分の分の食事をはじめ、その味に感心をしながら、あくまで美味しそうに食べる葉月に相好を崩す。
これが幸せってやつなのかもしれない。
高山の呟きは当然葉月には聞こえるはずもなく、食材のことで二人の会話も盛り上がりながら、楽しい食事の時間はあっという間に終了した。
綺麗に食べ終えられた食器を見ながら、再び高山が笑顔になる。
「おいしかったですか?」
「はい、とっても」
おいしいものをおなか一杯食べた葉月は、無条件で気分が向上していた。
もともと食に関して弱いところがあり、こうやってご飯を与えてくれる人を嫌ったことはない彼女ではあったが、その葉月の弱点があからさまに露呈した、とも言える。
葉月に関しては餌付けが有効な手段である、といったことに高山も気が付いたはずだ。
本人はそのことに関してはあまりに無自覚ではあるけれど。
「今度はおいしいお好み焼きとかどうですか?大阪の友達に聞いたんですが、こっちでもそれらしいのを食べさせてくれる店があるって言っていましたから」
「いいですねーー、いいです、最高です。お好み大好き」
その大好き、が、あくまで自分が提供するであろう食材に向けられたものではあるのだが、高山は、その一言でこれ以上ないというぐらい顔を崩しながら微笑んだ。
「じゃあ、また来週、というわけにはいきませんが、再来週にでもどうです?」
「かまいませんよ、どうせ暇ですし」
あっさりと、次の約束を取り付けられたことにも気が付かず、葉月はずっと上機嫌なままだ。
その後の二人の行動は、恋人同士、というには決定的に何かが不足して、地域の美味しいもの座談会、といった色気にかける会話が続けられたものの、高山にとっては十分に満足の行く結果がえられた遠出であった。
もちろん、葉月にとっても、おいしいものが食べられて、少しだけ高山に親近感が沸いた今日は、葉月の中の高山亘、という存在が微妙に変化していく一つのターニングポイントとなった。
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