14/小さな花が咲く時に

 朝の二度寝ほど楽しいものはない。
葉月は時計とカレンダーを確認して、再び安心して眠りにつく。
今日は日曜日。
とりたてて友達と約束もしていない彼女は、だらだらと一日を無為に過ごすつもりだ。
趣味や稽古に走る性格でもなし、どちらかというとインドアの彼女はこうやって何事もなく過ごす日々をとても愛して止まない。
だから彼女がおきるのを待ち構えている家族達も、下の階でじっと彼女が降りてくるのを待つのみで、このまったりとした彼女の時間をあえて邪魔をする人間はいない。
だが、本日は違った。
午前9時を過ぎたあたりに、彼女の携帯が無遠慮にコールを告げた。
常に携帯にかかることがほとんどない彼女は、その存在を忘れ去りそうになるほど着信音を耳にすることがない。今日もアラームの操作間違いだろうと、寝ぼけた頭で携帯を掴み、適当なボタンを押す。
だが、いつもなら停止する電子音が今日に限って消えてはくれない。
徐々に眠りの世界にどっぷりと浸かっていたかった彼女が、ゆるゆると意識を取り戻し、それでも鳴り止まない携帯を手にとる。
思わず電源を切ってしまおう、という衝動を抑え、とりあえず誰からもたらされたものなのかを確認する。

「誰だ?こいつ」

ややかすれた声で呟いてはみたものの、その番号に心当たりがないことにはかわりはなく、遠慮会釈もなく電子音は鳴り響く。
機嫌が悪い事を隠そうともせず渋々通話ボタンを押す。もしもし、とも、葉月です、とも言わず黙ったまま、心当たりの無い相手からの出方を待つ。

「葉月、さん?」
「……どちらさまでしょうか」

自分の名前をあっさりと呼ばれ、それでも声に覚えの無い葉月はガードを緩めることなく答える。やはり、電源を切ってしまえばよかった、という邪まな囁きに負けそうになりながらも、辛抱強く携帯を握り締める。

「あの、高山ですけど」

どちらの高山さん?という質問を辛うじて飲み込み、あまり働きのよくない頭を徐々に動かしながら、ようやく隣の研究室のよくわからない男性教員だ、ということを認識した。
だからといって、休日の朝早くに電話を貰ういわれはない。
ましてや、葉月は高山教授に携帯番号を教えた覚えすらない。
その二つが相まって、思わずつっけんどんに返しそうになる気持ちを堪える。

「番号、誰から聞いたんですか?」
「え?えっと、八木君から、ですけど」

思わず八木の下あごに拳を突き立てる空想をして、怒りを紛らわせる。

「葉月さん、お忘れですか?」
「何を?」
「……」

相手のいう事がさっぱりわからず、おまけに本人が知らぬ間に葉月のプライベートを売られたことにささくれ立っている葉月は、隣の研究室の、あくまで上司とは言わないまでも、敬しておかなければいけない相手だということを忘れてしまっている。

「約束、しましたでしょう?」
「約束?何の?」

すっかりと頭は覚醒し、それでも不機嫌さだけは抜けきらない葉月は、ベッドから降りて適当な部屋着を漁る。

「騒動のときに?」
「騒動?騒動って八木の?」

もはや取り繕うとする意識すら滑り落ち、完全に砕けた口調になったまま、ジーンズを足に通す。
伯母の時代遅れな少女趣味の服装がクローゼットを占拠している中、普段彼女が着る服はいたってシンプルなものだ。おまけに余りそちら方面への興味がむかなかったせいなのか、似たような色の似たような形のシャツやカットソーが詰め込まれている。適当に上から一枚をとりだし、それを身につける。
高山教授が淡々と、あの時おこった出来事を話してくれたおかげで、ようやく葉月は例の約束、について思い出すことができた。
思い出すことはできたけれども、それでも納得はしていない。

「お怪我はいかがですか?」

とりあえず、わからない素振りで当り障りの無い話題を見繕う。

「ええ、おかげさまで、まだ痛みます」

そんな彼女の葛藤をあっさりと見抜いたのか、いつに無い口調でさらりと葉月の同情心を引こうとするセリフを混ぜ込んでくる。

「でしたら、一日安静にしてませんと」
「いえ、葉月さんにお会いできたら治りますから」

畳み掛けるように約束をなかったことにしたい彼女の願いも虚しく、あっさりとした外見とは似つかわしくないほどの粘りで交渉が続けられる。
一度約束をしたことを思い出してしまった手前、そう強い事もいえないでいる葉月を丸め込み、結局今日一日高山と一緒に過ごすこととなってしまった。
上機嫌で通話が切られ、呆然としたままの葉月は、とりあえず来週八木を殴る、という予定を組み込み、さっさと身支度を整えることにした。
年は離れているけれども、男友達と遊ぶと思えばそう嫌なものでもないだろう、と言い聞かせ、ゆっくりと歯を磨いた後、顔を洗う。
簡単に化粧を済ませ、ジーンズにシャツ、といった休日の何時ものスタイルで居間に滑り込む。

「あら、葉月ちゃん、早かったのね。ごはんにする?」
「んーー、いい。中途半端だし」

冷蔵庫から野菜ジュースを取り出しながら葉月が答える。
興味津々、といった風情でこちらに注目している両親と、粘着質で無口な弟文月の視線を無視し、ゆっくりと新聞を広げる。
チラチラと相変わらずの視線を感じながら、ゆっくりと葉月が今日の予定を口にする。

「今日は一日友達と遊ぶから」

あからさまにショックを受けた父親と、寂しがる母親のリアクションは予想通りで、どちらかというと年頃の娘が日曜日のたびに家にへばりついている事を心配した方がいいと、ため息をつく。
固まったまま動かない文月は無視しながら、さっさと新聞を畳む。

「そういうことで、たぶん晩御飯もいらない」

あからさまに不満の声をあげた母親を宥めながら、玄関へとじりじりと進む。
三人からのじっとりとした視線を背中に精一杯浴びながら、振り払うようにして扉を開ける。
玄関の扉としてはオーソドックスなそれをぴったりと締めた瞬間、葉月は再びため息を洩らす。
友達という反応であれなのならば、相手が男性と知られたらここから出られなかったかもしれない、と、つくづく過剰反応を示す家族にうんざりする。しかもそこに自分たちは好き勝手やっている根性悪な兄弟が加わっている事が気に入らない。
隠し事一つと、鬱陶しい家族の反応、その色々と複雑な気持ちを振り切るように待ち合わせのコンビニ前まで歩き出した。



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9.12.2008

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