12/小さな花が咲く時に

「先日は田中が失礼な事をいいまして」
「はい?」

やや残業気味の仕事をかかえつつ、必死な思いで書類を整理している時。というある意味最悪なタイミングで高山からかけられた声に、思わずつっけんどんな態度で返しそうになり我に返る。

二呼吸ほど置いた後、笑顔を張り付ける。

「いいえ、全く気にしていませんから」
「いえ、少しは気にして欲しいのですが」
「はぁ?」
「いえ、こちらの話で、あの、食事でもどうですか?」
「忙しいので」
「あの、今日とか?」
「これ、見えませんか?」

書類の山をわざとらしく指差しながら答える。

「遅くなってもかまいませんし」
「私がかまいますし」
「じゃあ、明日にでも」
「うーん、もっと忙しい予定なので」

半分以上でたらめを並べ、イライラした気持ちを抑えながら仕事を続ける。
よく考えればこの人はとてつもなくタイミングが悪いのだ。
残業で神経がささくれ立っているときや、大量の仕事を押し付けられた後など、空気の読める学生たちは半径数メートルは絶対に近寄らない、といった瞬間を狙って声をかけてくる。
それが高山との相性の悪さなのか、高山自身の間の悪さなのかはわからないし、知りたくも無いが、少々可哀想な気がしないでもない。

「暇になったら声をかけますから」

能面のような笑顔を携えながら、これ以上邪魔をするなと、念力を送る。
さすがにあまり歓迎されていないということは理解したのか、しょんぼりと居室を後にする。
残された葉月は、すぐさま仕事へと取り組み、そこから先のスケジュールを組み立てなおす。
やっぱり残業かもしれない。
そんなことを考えつつ、少しだけ、本当に僅かに少しだけ高山の事がかわいそうかもしれない、と、いった珍しい感情を抱いた。
もっとも、それもすぐ仕事の波に押し寄せられ、木っ端微塵に消え去ってしまったけれども。



「葉月さーーん」
「仕事をしてください」

情ない声をあげながら近づいてきた八木をあっさりと遮断する。
こんな風に縋ってくるのは十中八句現在同棲している彼女の事が原因だろう。
先日はあざやかで奇怪な匂いのする手作り弁当を携えながら泣きついてきたことを思い出す。
あの時にはなぜだか高山教授も同席しており、二人してそのあまりの弁当の出来に絶句しつつ、一日中残ってしまった奇妙な舌の感覚に辟易したものだ。

「聞いてくださいよーーー」

残業をこなしつつ、八木をうまいぐあいにあしらいつつ、さくさくと葉月の仕事は進められていく。
本日は住所録の整理、という地味な仕事を神経使いながら行なっているせいか、いつもにもまして八木に対して険がある、ということを葉月も認めないではない。
いい加減ディスプレイを見つめつづけた両目は痛むし、肩も鈍い痛みが走っている。
そんな悪感情を隠そうともしない葉月に対し、それでも聞いて欲しいのか勝手にぐるぐる葉月の周囲を回りながら訴えかけてくる。

「ノイローゼみたいなんですよー」
「ノイローゼ?」

ごちゃごちゃ吐き出していた八木の言葉の中に、剣呑な単語が混ざっていた事に気が付き、思わず聞き返す。
葉月には縁の無い言葉だ。
恐らくそういうものはもっとデリケートな人間がかかりやすいものなのだろう。
あんな大胆な食事を作る人間がノイローゼだと?という言葉を飲み込み、その先を促す。

「こっち言葉も違うし、田舎だし、結構閉鎖的でしょ?」
「まあ、閉鎖的っていうか、よそ者嫌いっていうか」

葉月は生粋の地元民ゆえ、そのあたりの風当たりについては全く感じたことはない。ただ、未だに残る町内会の縛りや、やや古風ともいえる近所付きあいの煩雑さはさすがに感じ取っている。
それでも葉月は比較的新しく興した町に住んでいるからいいようなものの、伝統だけはたっぷりともった住所に居を構えた後の煩わしさを聞かないではない。

「もともと東京生まれの東京育ちでしょ?そりゃあ、こっちなんて不便だし田舎だし、言葉わかんないしで、結構孤独なんじゃないの?あんた仕事してるし」

今のところ彼女は仕事をしていないらしく、必然的にひとりぼっちで家にいることが多い。少しは気晴らしになれば、と、外出を勧めるも、見るところなど一週間もあれば見尽くしてしまえるほどの土地で、それ以上好奇心を満たせるようなものはない。まして、元々刺激の多い街で暮らしていたとすればなおさらだ。
おまけに、頼りの綱の恋人はまるでコンビニの営業時間のように学校にきて仕事をしているのだからたまらない。他愛のない会話がない生活を想像して、思わず人生で初めて八木の恋人に同情をした。

「んーー、さっさと結婚しちゃえば?中途半端っていうのがよくないのかも」
「そうなんですけど、結婚してくれないんですよう」
「まじ?まあ、最近は女の方が強いから、ねぇ」

まだ友人などを見渡せば既婚者がいない葉月だが、少しお姉さん世代の話を耳にする事はよくある。
なぜだかたいてい、女の方が結婚を渋り、男がぐずぐずしているカップルが多いのだが、例外的な話、ではなく、割と良くある話だったらしい、と、感心をする。

「友達でもできればいいんだけどねぇ。そーいえば習い事とかは?すぐ仕事しないんだったら、そういうの行けばいいじゃん」
「こっちの講師はレベルが低すぎて何も習う気がしないって、すでに却下されましたぁ」
「あっそ、そりゃあお気の毒様」

地元にそれほど愛着が無い、とはいえ、あからさまに馬鹿にされてうれしいものではない。
先ほどまで沸いていた恋人に対する同情心など消え去り、とっとと仕事のモードに切り替えようと、転居を知らせるはがきや、連絡先の書かれたメモを取り出す。

「あ、そうだ、葉月さんが友達になってくれればいいんですよ!やだなーー、僕いいこと思いついちゃった」
「寝言は寝てからいってちょうだい」

儀礼的な笑顔で八木を一刀両断し、仕事にとりかかる。
力強く叩かれるキーボードの音に、さすがの八木もこれ以上葉月の仕事を邪魔すれば、後々の自分の何かに関わる、ということを察し、退散していった。



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9.4.2008

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