10/小さな花が咲く時に

 いつのまにか高山と食事をともにすることになった葉月は、好奇心と警戒感をないまぜにしたような感情をぐるぐるさせた家族へあっさりと嘘をつく。

「友達からごはん誘われたから、ちょっと行ってくる」
「友達って、誰?男の子?女の子?」

母親からの純粋な好奇心のオーラに葉月の顔が引き攣りそうになる。

「どっちも」

とりあえず人数を誤魔化して、嘘ではないけれども本当ではない、程度に事実を捻じ曲げる。

「大丈夫なのか?その人は、ほら、今物騒だし」

野郎は危ないからダメだ、という強権的なことも言い出せず、だからといって素直に送り出すことができない父親が迂遠な質問を投げつける。

「大丈夫。大学の人だし。それにすぐ帰ってくるし」
「男なんてみな同じなんだから、葉月、悪い事は言わないからやめておけ」
「うるさい、あんたと一緒にするな」

わけもなくいつも以上に腹が立ち、兄の言葉を一蹴する。だいたい、休日にこの家にいるおまえが悪いのだ、と、うっかり高山の誘いに乗ってしまった原因を兄に押し付ける。

「まあ、そういうことだから、夕ご飯までには帰ってくるねーーー」

そういいながら、ラフに化粧を済ませ、カジュアルな格好のまま葉月は出かけていった。
その姿を見て、三人とも相手は大したことはない、どうせ複数人だろうし、恋人だなんて絶対にありえない、と、声に出さないまでも確認しあうように笑いあう姿がリビングで不気味に浮かび上がっていたらしい。それを葉月が目にする事は出来なかったけれど。



「…よく食べますね」

詳しくは知らない男の人と二人きりだというのに、骨付きチキンにかぶりついていた葉月に、高山が嘆息する。

「トリ好きですし」

チキンは葉月の好物である、フライもから揚げも、煮込み料理も炒め物も。必然的に工藤家には鶏料理が多くなり、どちらかというともう少しボリュームのある料理が欲しい兄弟は、それでも葉月の手前文句一つ言わずに買い足すことで凌いでいるらしい。

「こういうところは久しぶりですけど、そう悪いもんでもないですね」

明らかに場違いだろう、という雰囲気を隠そうともせず、日曜日のオヤジにはまだ成りきれていない高山が周囲を興味深そうに観察する。

「私はまだこういうとこ結構利用しますけどね。こじゃれたところってなんか肩こりそうで」

どこまでフランクになっていいのか判断が付かずに、どちらともつかない言葉遣いで会話を続ける。友人、に、なれるとしても年齢差に変化はないのだから、迷うところではある。

「それだけ葉月さんが若いってことですよね」

いつのまにか名前で呼ばれていることにも気がつかずに、葉月は微妙な笑顔を作り出す。正直なところ大嫌いな兄弟とも年齢が近く、年が離れているといえば、一気に伯父夫婦や鈴木教授になってしまう彼女にとっては、この中途半端な年齢差の男性が一番取り扱いに困るところなのかもしれない。

「八木君とは仲がいいみたいですね」
「まあ、あれを仲がいいと言われれば、どの人とも仲良しというかんじかもしれませんけど」

数々の被った迷惑を思い出し、笑顔が崩れそうになる。

「年が近い方が話も弾みますか?」
「うーーん、弾むといいますか、あれは一方的に愚痴を吐き出しにきているといいますか」

十中八句は彼女のことだけれども、残りに二割は突然上から降っていた雑用に関することだ。前者はプライベートとはいえ、葉月はそれを殊更知りたいと思ったことは一度もない。

「それほど鈴木先生は無茶な人でもないと思いますけど」
「無茶というか無茶じゃないというか。あ、八木、君のために説明しておきますけど、彼の愚痴ってほとんどそれ以外のことですよ?もちろん」

それではほとんどに含まれない少数に教授の問題が絡んでいると言外に宣言しているにの等しいが、葉月はそんなことには気が付かない。同じ教授同士で八木青年の愚痴が鈴木教授に伝わってしまう事を避けたいがため、所謂良心からくるものだけれども。

「以外、といいますと。やっぱりそこまで親しいんですね、二人とも」
「いえいえいえいえいえいえいえいえ、全然。親しくは無いです」

未練がましく最後のポテトを口に放り込みながらも全否定をする。

「っていいますか、ここだけの話ですけど。八木…、君の遠距離恋愛の悩み相談をしているだけですから、私」

あっさりと、八木青年の秘密を暴露する。
自分の身上以上に大事なものはない、と、言い切る彼女らしい判断だ。

「彼女、いるんですか?」
「いますよー、本人かくしてないですし、それに学生さんは結構姿を確認しているみたいですけど」

こんなにいくところがない場所で二人で移動していればあたりまえだ。まして彼と学生たちは年齢が近く、おまけに行動パターンまでも似ているのだから。

「そう、ですか。私はてっきり……」
「てっきり?」

あまりこういう言外に含んだ、といったやりとりを得意とはしていない葉月は、気になりながらも、すでに薄くなってしまったウーロン茶を嚥下する。

「なんか話したい気分なので話しちゃいますけど、私相手の子に相当うざがられているみたいなんですよ」
「うざがるって?」

その言葉の意味がわからないのか、内容がわからないのか、コーヒーを手に持ったまま葉月に問い返す。

「仕事だから仕方がないんですけど、結構一緒にいますでしょ?八木君、と私」
「ええ、まあ」
「それに、八木君自身緊急に呼び出されて仕事、だとか、前日の仕事が残って次の日ボロボロとかあったりして、彼女との約束が遅れたりドタキャンになったりすることもあって、それでそのイライラがぜーーーーーんぶ私の方にきちゃったみたいで」

大学の職員、まして八木のような立場の人間ならばある程度は仕方がない、ということを同業の高山はすぐに理解することができる。だが、大学の、まして理系のシステムそのものを知らない人間からすれば、どうしてそんなに大学にいなくてはいけないのかが、まずわからない。まして、大学時代に遊んで暮らしても卒業することが出来た、といった学生だった場合には、一生実感として認識できることはないのかもしれない。周囲を見渡してみても、そのアタリのズレで付き合った当初は喧嘩をする事が珍しくは無い。そういったものは付き合っていくうちに徐々に解消され、理解はできないまでもそういうものだと納得できていくようになるものだ。だが、八木の彼女はそのあたりの理解度がイマイチらしく、しょっちゅう疑っては手当たり次第に八木の携帯のアドレスに電話をかけまくったり、本人にあたりちらしたりしているらしい。
そうしてその最大の標的が、何度消しても登録されている葉月の携帯番号であり、葉月本人なのである。

「だから、彼女に殴られたり、ひっかかれたりしたことって一度や二度じゃないんですよね、迷惑な話ですけど」

ここにきてようやく、葉月が頬を腫らして出勤してきたことを思い出した高山は、思い切り顔を顰める。ご推察どおり、その犯人は八木彼女なのだけれども、大事にしたくなかった彼女は、自分で転んだのだと、無理無理な嘘を重ねていた。

「……そんなののどこがいいんですか?実際」
「さぁ?でもむちゃくちゃかわいいですよ、顔は」

それ以外はありえないごはんを作るところだったり、激高すると周りが見えなくなるところだったり、絶対謝らないところだったり、と、思い浮かべても顔以外の美点が見つからない。

「それは、ずっとずっと、葉月さんの方が」
「んーー、まあ、まともなご飯なら私の方がましかもしれないけど」

言葉に出している内容と、心の中で考えている内容がごっちゃになって垂れ流しになっていることにも気が付かず、あまつさえ会話がかみ合っていないことにも気がつかずに、葉月は腕時計をチラリと盗み見る。

「そろそろ帰ります。ごちそうさまでした」

しっかりと手を合わせ、さっさと帰宅しようとする。
それを止めるわけでもなく、ただ残念そうにするだけで、高山はただ呆然と見守っていた。
おまけに、ここまでしっかり自転車できた彼女を送ることもできずに、高山は本当にただ、お昼ご飯をファストフード店で葉月ととるためだけに、ここにやってきたことになってしまった。
夕食ではなくて、昼食、しかも、どちらかというとデートには適さない店、そういったことを差し引いても、高山は充分幸せだったのかもしれない。
そう、葉月との幾光年あったかわからない距離が僅かでも縮まったのだから。
こうやって両者の思惑が両極端に異なる、知人から友達までのステップは、進むのか進んでないのかわからない、カタツムリの速度ほどで、それでも僅かに着実に進んでいた、のかもしれない。



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8.20.2008

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