ヴァレス家は珍しい客人を迎えていた。
係累がほとんど死に絶え、また余り人付き合いに熱心ではない当主のおかげで、ヴァレス家を訪れる客人は限られる。また、先代夫人が病に臥せっている、という噂はヴァレス家から人を遠ざけることに一役買っており、あまり社交的なことが得意ではないディリはそれを利用している節がある。
だが、そんな雰囲気など微塵も感じ取らず、ヴァレス家の門をくぐった男がいた。
同じ第三騎士団第一部隊に所属していたカル＝ブラドノルだ。
彼は漆黒の髪を無造作に束ね、着ているものもどちらかというと市井のものに手が届く範囲の品を身にまとっているにも拘わらず、それが高級品だと思わせるような容姿をしている。涼やかな目元で女性を見つめれば、かなりの確率でその女性が胸に飛び込んでくる、と言わしめる色気は、荒事を得意とする第一部隊に所属していたとは思えない風貌だ。
そんな彼が、自ら手折った花を抱え、ヴァレス家へとやってきたのにはわけがある。
騎士団で噂となっているヴァレス家の秘蔵っ子を見物にきたのだ。
曰く、王家の庭に咲く花よりも美しく、所作が儚げで美しい娘にディリは首っ丈だと。
日ごろから彼を見ているカルは、その噂を話半分以下に聞き、だが持ち前の好奇心が、このような行動を彼に取らせたのだ。
真実、親友が孤児を家に引き入れ、夢中になっているとは思っていないのだ。
だが、そんな彼の思惑を吹き飛ばすような少女が、笑みを浮かべて彼の目の前に座っていた。

「本当だったんだな」

ようやく搾り出した言葉は、すぐさまディリによって咎められ、カルは再び言葉を失う。
控えめにこちらを見守っているかのような少女は、彼の想像を超えて美しかったのだ。
漆黒のまつげに彩られた瞳も、鼻梁が通った鼻筋も、美しい食べ物しか食さぬのではないかという唇も、全てが最善と思われるところへ配せられている。その顔をよりいっそう華やかに見せているのは、艶やかな黒髪であり、カルは自信をもっていた己の黒髪が、やや貧相なものであるかのような気持ちに陥った。

「おまえ、これは噂になるはずだ」

さすがに、レナに関する噂を耳にしたことのあるディリは、顔を顰める。
レナは心配そうに二人のやりとりを眺めている。

「私がよその家へいければいいのですが」
「だめだ」

即座に否定したディリは、レナのそのものの言い方に、ひっかかりを覚え、彼女の顔を凝視した。
レナは笑い、自分は噂を知っているのだと告白する。

「誰がそんなことをおまえの耳に入れるのだ？」
「それは、色々と」

曖昧に言葉を濁し、レナは誤魔化すように茶に口をつける。

「あれだけ噂になってれば、知らない方がどうかしてると思うが？」

そんな彼女にカルは助け舟を出した。恐らく、彼女のことをよく思っていない使用人のうちの一人だろうと判断した彼は、そんなことに一々目くじらを立て、ディリが事を大きくすることを心配したのだ。
それは当然、今まで中立の立場にいた他のものの意識へも影響し、いらぬ軋轢を生む恐れがあるからだ。
だが、根っからの貴族生まれで、妬んだことなど一度もないであろうディリは、そういう機微に疎い。カルが言っていることも、レナがそれに納得していることにも不満を覚える始末だ。

「レナはこの家のものだ、だからそんな中傷を受ける立場じゃない！」
「だけどなんの手続きもしていないんだろ？」

カルの突いた事実に、ディリは押し黙る。
レナは、公式には今でもこの家とは全く関係がない。ただ、慈善事業の一環として、ヴァレス家が孤児を養育しているだけだ、ということになっているからだ。
すでに彼女を家へ加えることに反対する係累すらいない立場にもかかわらず、彼はレナの立場をはっきりとはさせていない。
今でも彼女は、コゼレアにとって死んだ娘の代わりであり、ディリにとっては気まぐれの産物でしかないのだ。
そんな立場を十分に承知し、控えめに振舞っているレナではあるが、使用人の娘とは違い、上等な衣服を着、家人と共に食卓に着き、気まぐれとはいえ劇場や優美な展覧会などにも同伴されるレナは、妬ましい存在そのものだ。その鬱憤が、彼女一人に降りかかったとしても、誰もそれを咎めるものはこの屋敷には存在しない。

「辛くなったら俺んちくればいいよ。うちなら気楽なものだし」

カルの冗談めいた、どこか本気の提案は、即座にディリに却下される。

「ま、嫁に来てもらってもいいがなぁ。ここと違って、俺はただの成り上がりだから」

だが、続くカルの言葉に、ディリは言葉を失う。
カルは、同じ部隊に所属していた同僚ではあるが、彼は全くの平民の出だ。不合理なことではるが、前線に出る人間は、やはり平民上がりが多く、その能力の高さをもってしても、そこにはやはり上の思惑があったのだろう。
そんな中でそこへ所属していた貴族が稀なのだ。
出自が大きく異なるものの、戦士としての能力の高さと、その気安い性格から、ディリとカルはすぐさま仲良くなり、現在もこうして交流がある数少ない人間の一人となった。
そのカルは戦後、その武勲から爵位をもらい、低いとはいえ、貴族の仲間入りを果たした。
彼自身は、それについてさほどありがたいと思っている様子はないが、ディリと同じく名誉職であるところの近衛騎士団へ所属されたことは、素直に喜んでいる。そんな彼だから、言ったことはまさしく本当であり、彼の嫁が平民だろうと孤児だろうと文句を言う人間はいない。
まして、レナのように美しい少女であるならば、常日頃早く嫁をもらえとせっついている彼の母親は、手放しで喜び、即座に家へ取り込むだろう。
それを知っているからこそ、また、己の立場を自覚しているからこそ、カルの言葉に口を挟めないでいるのだ。

「いきそこねたらぜひともお願いします」

カルの言葉に、レナは冗談で返し、二人は笑いあった。
同じ色を持つせいか、二人はひどく似合いであり、それもまたディリを落ち込ませる。
彼は、家格にあった嫁をもらわねばならず、それは決して美しいだけが取り柄のレナではありえないのだから。