「ん?」
いつものようにティナと玄関へと歩き、マグヴァルンは片眉を上げた。
なにかがいつもと違うような気がしたせいだ。
軍人であるせいか、彼は周囲の細かな変化には敏い。
だが、今日はその異変の元となった差異が一向にわからない。どこかもやもやとする気持ちを抱え、馬車へ乗り込む。
二人並んで席へと座り、ティナと目があい、ようやくここで違和感の正体が判明した。
「背が伸びたか?」
「はい、ここのところ急に」
ティナは年の割には非常に幼い子供であり、はじめて見るものは、その年を見誤ることが多い。
だが、隣に座る彼女は、マグヴァルンが知らない間に急激に大人び、少女、ともう少しで言えないほどに成長していた。
「アティア様に診ていただくようになってから背が伸びたように思います」
ティナには自分の体のことについて、説明はしている。
ただ、彼女がフェルミの実験体であった、という事実だけは伏せてある。それは知るべきことでも知っていていいことでもない、と、判断したからだ。彼女はニラノ家の人間であり、プロトアの人間だ。余計な詮索をされるような隙をつくる必要はない。
「これも副作用みたいなものか?」
「ええ、今度アティア様に聞いてみます」
正体不明のアティアに対して、最初は警戒していた彼女だが、あののりが良かったのか、徐々に打ち解けていった。今では彼から魔術の初歩を習い、簡単なものなら習得できるようになった。
器として利用されていた彼女は、どうやら魔術師としての才も多少はあったようだ。
「そうか、そうだな。それがいい」
それきりマグヴァルンは沈黙する。
口数の多くない兄とは、このように黙ったままの方が多く、ティナも大人しく窓の方を眺めた。
彼女が倒れてから季節が流れ、一年の半分程度が過ぎ去っていた。
「またですか?」
彼の叔父が再びマグヴァルンのし執務室へとたずねてきた。例の釣書を抱えながら。
「この前ティナちゃんみたんだけど、びっくりしたよ」
「……」
彼の言わんとすることがわかったのか、マグヴァルンは横を向いて黙り込む。
「でね、この話もう具体的にどうかな、と思うんだけど」
「断る」
「いや、そう言うとは思ったんだけど。これなんか結構出世頭だよ?うちには珍しい魔術師だし」
その言葉を聞き、マグヴァルンは叔父が持っている釣書を遠慮なく真っ二つに引き裂き、くず入れに放り込んだ。
「や、断るとは思ったけど、いくらなんでもそれは」
「魔術師になぞ、ティナはやらん」
アティアから実験体としてのティナの詳細を聞きかじったマグヴァルンは、魔術師に対して嫌悪感を募らせている。その情報をもたらした男そのものが魔術師ではあるものの、彼とはただ単に利害関係の一致より、その点において信用しているだけだ。他の一般の、魔術師においてはその限りではない。いや、今でも器として非常に優秀なティナのことを、そう言う目でみる魔術師がいないとも限らない。特にプロトアの魔術師は魔力が低い、と揶揄されるのだから。
「じゃあ、学者は?」
「うらなりごとき」
「騎士は?」
「俺に勝ってから言え」
「貴族」
「うるさい係累がいないことが最低限の条件だ」
あまりの無茶振りに、叔父は徐々に笑いをこらえきれなくなっていく。
もともと、マグヴァルンが承知するとは思っていないのだ、どちらかというとまじめ一本やりの堅物男をからかうことに主眼が置かれているのだから。
「じゃあ、やっぱりおまえが嫁にもらえば」
「……」
「拒否も否定もしないんだ。この前までは子供だからっていってたのに」
今朝、唐突にティナの成長振りに気がついてしまったマグヴァルンがばつの悪そうな顔をする。
もはや彼女を子供である、という人間はどこにもいないだろう。
あの、性別が未分化で、どちらともいえない子供子供していたティナではないのだ。
「でもさ、本当にそろそろ将来を決めないと」
それだけ言い終えて、愉快そうに叔父は帰っていった。
固まったままのマグヴァルンは、早々に従者によって帰宅を促され、夕食のだいぶ前に家路につくことになってしまった。
料理人が料理の説明をし、ティナとマグヴァルンが向かい合って座る。
彼女は常の通り、一生懸命学園のことを彼に話し、彼は酒を片手に、黙ってそれに耳を傾けている。
だが、そんな彼の内心は色々な思いで、うごめいていた。
叔父に言われるまでもなく、ティナの将来について真剣に考えなくてはならないときがきた、と、グラス越しにティナを見つめる。
伸ばした髪を、婦人がするように纏め上げもせず、ただ後ろに垂らしたままなのは未婚の証拠である。
今までは、子供っぽさをさらに際立たせるものでしかなかったが、顔にそった柔らかで艶の在る髪は、今ではその正反対の役目をかってでている。
どきり、とした心臓を無視し、酒をあおり、口を開く。
「ティナ、これからどうしたい?」
おいしそうに食べている彼女にマグヴァルンがようやく問いかける。
首をかしげ、ティナが口のものを嚥下すると、口を開く。
「学者に」
「なれるのか?」
「たぶん。魔術も多少使えますし。他のものになるよりは可能性がある、かなと」
「……結婚は、しないのか?」
「すべきですか?」
考えるよりも早くティナに質問を返され、言葉に詰まる。
彼自身はティナの結婚を必要としていないからだ。
いや、誰かに嫁にやる必然性がない、と感じている。
そこまで考えてマグヴァルンの思考がとまる。
もとより、考えることは得意ではない。そういったことは全てシリジェレンが担ってくれていたし、今では成長した従者がその役割を分担してくれている。
黙ったままのマグヴァルンに、心配そうにティナが声をかける。
「叔母様からですか?」
「いや」
「そう、ですか。でもニラノ家に必要ならば、ティナはいつでも嫁す覚悟があります」
貴族にとって家同士の結婚は必要不可欠なものだ。
家位が高くないニラノ家にとって、ティナの存在はある意味道具として最適である。今のままのマグヴァルンでは家格の高い嫁などもらえないのだから。
「必要ない」
即座に返答し、また黙る。
ティナは食事の手を完全に止め、彼の方を注視している。
彼女も、自分が置かれた状況と、周囲の噂、また叔母からの入れ知恵を意識していないわけではない。マグヴァルンがあまりにもそういったことから彼女を遠ざけていたから、今まで真剣に考えていなかっただけだ。
「……だったら、俺の嫁にでもなるか?」
なにがだったら、だろう、と、自分が吐き出した言葉に失笑する。得意ではない方面の話題に、嗜むほどにしか飲んでいない酒がまわってしまったのかと、それを隠すかのように杯を重ねる。
だが、ティナは思い切り笑顔になり、あっさりと了承する。
「はい、喜んで」
あまりの出来事に、マグヴァルンは酒器を落としそうになる。
あわてて、体勢をなおし、ティナに向き直る。
「冗談か?」
「冗談だったのですか?」
「いや」
悲壮な顔で返され、思わず本音を垂れ流す。
「嬉しいです」
ティナが微笑み、何かの肉を小さく切り分け、その小さな口に運ぶ。
無口なことが災いし、告げた言葉を否定する機会に恵まれないまま、夕食が終わる。
次の日、見たこともない笑顔の執事に、ティナの婚礼衣装について相談をうけたマグヴァルンは、己が言った言葉が、すでに規定路線となってしまったことに気がついた。
嬉しそうなティナと、喜びがあふれている執事と、披露宴の料理を考え始めた料理人に、違う、という一言が言えないまま、彼らの結婚は半年後と決定した。