食料自給率が低いプロトアという国は、その弱点を補うべく実り豊かな国、ローレンシウムへと戦いを挑んだ。その無謀とも思える戦いは、もうひとつの隣国フェルミを巻き込みながら、小競り合いを繰り返し、長きに渡って三国を蝕んでいった。
永遠に続くかと思われた無益な戦いは、神の介入、とも思われる特異な力によって終結した。
あまりに異様な出来事に、どちらかというと神への信仰を捨て去ったプロトア国民も、その奇跡を喜び、控えめながらもその結果を迎え入れた。
それから五年の月日が流れる。
平和に慣れる、というほどの時間ではなく、だからといって戦争時の緊張感を保てないような状態で、軍はゆるゆるとではあるものの、その性質を平和時のそれへと変化させていった。
「たるんどる!!」
訓練場から地を響かせるような叱責が聞こえる。
その声の持ち主を知るものは、あるものは苦笑し、あるものはわずかに恐怖心を顔に表し、足早にその場を離れていった。
綺麗に整地された訓練場では、どちらかというとひ弱な青年が、不似合いな鎧を身にまとい、地面へと両腕を突きたてながら、声もだせないでいた。
肩で息をしながら、動けないままでいる青年に、さらに叱責の言葉が降りかかる。
「おまえはそれでも第一部隊に配属された騎士か!」
遠巻きに二人を見守っている同僚は、肩をすくませながらも口は堅く引き結んでいる。
「だいたい、なんでおまえのようなやつがここを志望したんだ」
叱り続ける男は、荒事、と言う言葉が最も似つかわしい容姿をしており、その平均より恐ろしくも高い身長だけで、新参者の女中などは震え上がるだろう。あまつさえ、鍛え上げられた体は厳つく、無骨な腕は普通の男の二倍もありそうなほどたくましい。まして、その容姿とくれば、切れ長、といえば聞こえはいいが、常に誰かを睨んでいるような両目は、目を合わせることすら恐ろしく、その間には常に皺が寄っていることから、近寄りがたさを強固なものとしている。めったにひらかない口は、このように開いたときには饒舌に、低く太い声で叱責を続けるのだから、彼の姿を遠くから見たものが回れ右をした、というのもあながち冗談ではないだろう。
さらに青年を立たせ、剣の稽古をつけようとした彼に、ようやく一人の男が意見を述べた。
「将軍、それぐらいで」
「はん、おまえがそんなだから、これほどこいつらは脆弱なんだ」
「ですが将軍、アルゴ王はそのようなことを望んではおりませぬ」
人をも殺しそうな視線を受け止め、なおも男が続ける。
「それに彼はまだこちらにあがったばかり。これ以上第一部隊から人を減らすようなまねは謹んでいただきたい」
「こんな軟弱なやつはいらぬ」
「将軍、もう戦時中ではございません」
きっぱりと言い放った男に、将軍、と呼ばれた男が鼻白む。
「……だったらおまえが最低限の稽古をつけておけ。俺の考えは変わらん」
従者に訓練用の刀を渡し、地面を踏み鳴らすかのように彼、将軍は退場した。
残されたものは、その姿が消え、数泊するまで身動きひとつすることができず、また、完全にその気配が消え去った後、大きくため息をついた。
「まあ、そういうことですので、僕が訓練をしますね。確かにここのところたるんでるようですし」
堂々と荒くれた将軍に意見をした男に言い放たれ、第一部隊の騎士たちは言葉を飲み込んだ。
将軍とは対照的に優男、とも言うべき容姿をしたこの男が、ある意味将軍以上に厳しい人間だと知っているからだ。
「ではまずは基本から始めましょうか」
不平の言葉を飲み込み、彼らは皆一様にあきらめたような顔をしてうなずいた。
これではまだ、あの鬼に訓練されていた方がましだったのかもしれない、そんな思いを抱きながら。
「どいつもこいつも軟弱になりやがって」
憤懣やるかたない、といった将軍、マグヴァルン=ニラノはしかめ面をしながら独り言を吐き出す。
いつものことだ、と返事をしないまま従者は黙ったまま後をついていく。
そんな彼らに、鈴を転がしたかのようなかわいらしい声がかかる。
「お疲れ様です」
神経が高ぶっていたせいなのか、マグヴァルンはぎろり、とその声の方向を睨みつける。
また一人、手働きのものが腰を抜かす、と身構えていた従者は、その声の持ち主をみて安堵した。
箒をもったまま、小さく小首を傾げた彼女は、恐ろしい形相のニラノを前にして微笑んでいた。
「……ああ」
毒気を抜かれたマグヴァルンは、小さく返事をし、ようやく平常時の顔へと戻っていった。
それでもはじめてみるものには十分威圧感を与えるものではあるが。
「ティナちゃんもお疲れ様です、今日はここのお掃除ですか?」
「はい」
年端の行かない子供にするように、彼女の頭をなでた従者を尻目に、将軍は無言で己の居室へと進む。あわてて従者も彼に続いていった。
残された少女は、しばし二人を眼で追い、そののち、彼女の仕事へと戻っていった。
それが将軍と少女の日常会話の全てである。子供相手に素っ気無い、ともとれる彼の態度は、しかしながら、彼の姿だけから判断し、一方的に怖がっている女官たちに対するそれと比較すれば、随分と歩み寄りがみられるものではあった。