御伽噺の乙女/第6話

 ローレンシウムに存在する国立魔術院は、戦争で生き残った魔術師やその後、頭角を現した術師を保護し監督する役目を担っている。一人で戦況に影響を与えるほどの力はないものの、その物理的な力、治癒力または古代から学び取った知恵そのものが役立ったことは事実であり、心理的側面からもその能力を野放図にしておくわけにはいかない、と判断されたからである。現在は、暮らしに役立つ道具の製作、効率的な魔力の使い方、より高度な治癒能力の開発、といったことがもっぱら研究されており、魔術といった言葉がもつ禍々しさからは程遠い研究施設の一つとなっている。
国に直接所属する魔術師は三十名ほど、その他のどちらかというと職人に近い色合いの魔術師たちは、市井で暮らし、その腕を役立てている。しかしながら、能力の多寡によらず、彼らは魔術院で管理され監視されているのが普通である。例外は神殿が管理する魔術師であり、彼らもまた、監督する部署が異なるだけで、全てを把握されていることには違いない。
キセは、そんな魔術院へどういうわけか流行の菓子を携えて訪れるはめになった。
王女が住まう王宮から離れ、女の足では遠く、だからといって馬車に乗るのは躊躇するほどの距離に魔術院は存在する。何の飾り気もない質素な白い建物は、近くで見ると大きさの違う立方体がいくつか寄り集まっているだけであり、そのそれぞれに小さな入り口がある。芝生との比較は見事だが、人気のない殺風景な建物は、入るのをためらわせる雰囲気をかもし出している。
近頃の治安の悪化より馬車で行くことを厳命されたキセは、わざわざ彼女に付帯した護衛とともにその入り口付近へと降り立ち、建物を見上げた。
一応、最もそれらしい入り口の扉を開け、護衛と共に入り込む。
怪しい何か、を期待したキセは、思ったより清潔で何の変哲もない受付を見て、落胆し安堵した。

「すみません、キセ=ダームスタと申します」
「はい、ご用件は?」

受付の男は、公爵家の名を聞き、わずかに緊張した面持ちでキセの言葉を待つ。

「王女の命令で、こちらのクリフ=ポーリム氏に面会したいのですが」
「お、王女?」

さらに格上の名前をもちだされ、立っていたら腰を抜かしたであろう青年は、声を震わせて固まる。キセは優雅に笑みをこぼすと、王女の紋章で封蝋された書を手渡す。書にはダームスタ家次女キセがポーリム氏と面会できるよう取り計らえ、と短く命令される文書がしたためられているはずだ。震える手で封を解き、つばを飲み込んで青年がうなずく。

「あ、あの、しばらく……」
「はい、こちらでお待ちしても?」

やはり殺風景な受付所を見渡しながらキセが尋ねる。それに激しくうなずきながら、青年はどこかへと走り去っていった。
しばらくして、青年は、彼より少し年かさの神経質そうな顔をした男を伴ってやってきた。
癖のある茶色い髪を後ろで一つにまとめ、前髪をうっとうしそうにかきあげながら、その男はキセの方へと歩み寄る。

「はじめまして、キセ=ダームスタと申します」

貴族の令嬢がする型どおりの礼を優雅にこなし、キセはゆっくりと彼と目を合わせる。
初対面でキセを見た男性の大多数がそうなるように、彼は呆然と彼女を見入り、そして何かを嚥下したのち、口を開く。

「クリフ=ポーリムです」

掠れた声が耳に届き、キセは笑みを浮かべる。照れたような仕草をして、ポーリムはキセを自らの研究室へと案内する。
護衛を受付へ控えさせ、キセは単身彼の後をついていく。
植物も絵画もなにもない、ただ白いだけの廊下を歩き、二度三度曲がったところで、彼が振り向く。

「汚いところですが」
「こちらこそ突然もうしわけございません」

王女の代行とは言え、あまりに突然の訪問は、やはり失礼だろう。彼に申し訳なさそうに謝りながら、キセは案内された部屋へと足を踏み入れる。
確かに、そこは綺麗とは言いがたい。
いや、厳密に汚いといった言葉ともかけ離れていた。
まず、目を見張るのは蔵書の数。壁一面に置かれた重々しい本の数は、それだけで人間を圧迫する。それだけでは納まらない蔵書は規則的に、だがそれさえも納まりきらないのかところどころ決壊しながら山を作り出していた。
学者の部屋だ、と言っておそらく大多数の人間が納得するであろうその部屋をキセは珍しそうに見渡す。

「……すみません、いつもはもうすこし」

どれほど考えてもいつもどおりだろう、という部屋の有様を恥ずかしそうに弁解する。キセは気にしていない、という意味で微笑し、勧められるままに書類をどかした二人がけの椅子へ腰をかける。

「お仕事中申し訳ありません」
「いえ、あの、休憩しようと思ったところでして」
「丁度よかった、お口に合うと嬉しいのですが」

そう言いながら、キセは手土産を渡し、慣れた手つきで茶器を手にしようとする。

「そんなことは私が」
「いいえ、おそらく私が入れたほうがおいしいですから。触れてもかまいません?」

確認をしながら、あわてて歩み寄ってきたポーリムを制す。
落ち着かない彼は、しきりに髪をいじりながら、彼の居場所である椅子に腰を落とす。
本来ならば、キセのような立場の人間は、このような仕事をすることはない。だが、弟のシモンの部屋や、腹違いの弟妹をもてなすときなどは、侍女をさがらせ、手ずから茶を入れる彼女にとって、このようなことは造作もない。さらに王女付きとなってからは、その頻度が増え、二人きりの茶会を望む王女に、時折折りで持参した茶葉を給仕するのが彼女の役目となっている。
今回も、持参した茶葉を手際よく入れ、魔道具の一種である調理器にて湯をわかす。程よく蒸され、芳しい香りを放つ茶をポーリムと自らの前へ注ぎ、彼へと勧める。

「おいしい、です」
「よかった、癖がない茶を選んできたつもりですが」

キセ自身も器に口をつける。慣れた香りと味が舌にひろがり、彼女はようやく用件を口にし始めた。

「このようなことを魔術院の方にお話しするのは申し訳ないのですが」
「あ、はい、あの、なんでもどうぞ。できる範囲内でしたら」
「いえ、あの、王女が」
「ええ?王女、さ、ま?」
「はい、私王女付きの侍女のような仕事をしておりまして」

大貴族の令嬢だけでもポーリムにとっては手に余る、と感じているのに、さらには王女の名をだされ、やはり受付の青年と同じく動揺する。ただ、年かさのせいなのか、それを表にはださないように勤めてはいる。

「恋占いをして欲しい、と」
「恋占い?」
「はい」

口にすれば余りにばかばかしい使いの内容に、キセが表情を曇らせる。笑顔とは違った艶を帯びた風情に、ポーリムは別の意味で胸が高まる自分を感じた。

「戴冠式に、色々なお客様がいらっしゃる予定です。その中にどうも婚約者候補がいるらしい、と、王女が心配なさって」

そういう噂ならば、市井の方まですでに広がっている。
王の子は、アスター王子と彼女の二人だけ。また嫡男である王子はまだ子をもうけていない。
これから先、子が生まれるかどうかはわからない。正妃も側室もまだ希望を捨てるような年ではないのだが、気安い間柄だと思われていた正妃も、美貌も家位も十分だと見込まれた側室も、そのどちらの間とも王子はしっくりいっていない、のは有名な話だ。だからこそ、妹であるクロロ王女は後を継ぐ可能性を残し、適当なものを婿として迎えなければならない。それが他国のある程度の貴人である可能性は確かに高い。

「ああ、恋占いというより、相性検査でしょうか?」
「そうですね、確かにその方がしっくりきます」

まったく科学的要素のない占い、という表現よりも、学者が口にするのなら検査、といった方がもっともらしい。キセは頷き、ポーリムの言葉を待つ。

「できることはできます、が、まあ、気が合うかどうかをみるレベルでして」
「でしょうね、未来がみえる、という話は聞いたことがありません」

魔術で未来を見ることはできない。
いや、魔術が盛んなフェルミならば可能かもしれないが、そもそもそれができるのならあんな無益な戦争はどの国も起さなかっただろう。
ある程度の予知や予言めいたものをするものはいるが、それは神の領域であり、神殿の管轄となる。

「魔石に細工して、二人が同時に触ると、こう相性がいい、悪い、がわかるっていうものでして」
「そうみたいですね」
「最初は職場での適正を見れたらなぁ、ぐらいに考えてて」
「そうでしょうね、恋占いに結びつける方がどうかしています」

あまり重要視していなかった己の研究成果を、しどろもどろになりながらも説明したポーリムは、違和感を覚える。
なぜ、どのようにして目の前の令嬢に、彼の研究が知るところとなったのか。
思考をめぐらし、黙り込んでしまったポーリムに、キセが声をかける。

「論文、読んだからですよ」
「は?」

魔術院の職員あたりがおもしろおかしく吹聴したのだろう、と、余り可能性の高くない予想をたてていたポーリムは、キセの告白に数瞬言葉を失う。

「ですが」
「女子供には読めない代物とでも?」
「そういう、わけでは」

魔術師は完全にその能力によって格付けされている。そこには男女差、年齢差、家柄の違いなどは考慮されない。魔術院での地位、となるとそこは少し複雑になるのだが。

「ダームスタ公爵家、ですよね?」
「ええ、紋章をごらんになる?」

訝しむ視線を受け、キセは日ごろ持たされている紋章入りの指輪を彼に示す。

「……確かに」
「突然変異、とでも言うのかな?」

唐突に、彼女は幾つもの光球を作り出し、部屋へ放つ。
視覚的にもっとも強く訴えるそれは、案の定ポーリムを驚かせ、固まらせる。

「詠唱を」
「必要ありません。この程度なら」

魔術を使うには手順が重要となる。
それが詠唱であったり、陣であったり、それは人によって様々ではあるが、なんの行動も示さずそれを行使する人間をポーリムは見たことがなかった。

「魔術院、には」
「登録してない」
「違法では?」
「そうね」

何の罪悪感も抱いていないかのような態度に、ポーリムの方が言いよどむ。この国では魔術師は全てが管理され、監視されているはずなのに、と。

「これ以上となると、場所が必要。協力していただける?」

初めて見た時の印象通り、清廉な笑顔をキセが浮かべる。ポーリムは、彼女の言葉と、雰囲気と、部屋において起こってしまった現象の余りの乖離に、ただ呆然と彼女を見つめる。

「あなた、は?」

ポーリムは搾り出した声で、キセに問う。
このようなことを造作もなくできる人間を、彼は知らない。
いや、耳にしたことはある。
歴史で、記録で、先輩方の昔話で。

「生まれ変わりってやつね、どういうわけか」

自嘲気味に話すキセの顔は、人間の少女のそれ、ではなく、ポーリムはただその言葉だけで全ての違和感の正体を理解していく。
ああ、彼女は。
ポーリムはキセの右手をとり、甲に口付ける。

「おおせのままに」

キセは、どこまでも美しく笑う。
その美貌に、彼は捕らわれてしまった。

12.04.2010
++「Text」++「御伽噺の乙女目次」++「次へ」++「戻る」