御伽噺の乙女/第4話

「姉様、もうここにはこられないのですか?」

浮かれた侍女たちによって、キセが王室へと赴くことを知った彼は、憂いを帯びた顔で姉を見上げる。
発熱により、慣れた寝具の上へと戻ったシモンは、もう二度とこの寝室の扉を姉が開けることがないのではないかと、恐れている。

「ばかね、そんなわけないでしょ?なんだったら王女さまのお話をしてあげる」
「本当ですか?姉様」
「本当。私がうそをついたことがあるかしら?」

彼の全てである姉に微笑まれ、額をなでられようやく安堵する。
しばらくして、眠りが訪れた弟を確認し、側にあった椅子に腰を下ろす。
用意していた書を開け、窓からの明かりだけでそれを読み始める。
やがて、薄暗くなった室内は、キセの持つ本のあたりだけが何かによって照らされ、寝台の上のシモンにはその光が漏れぬように配慮されていた。
そのような照明などキセは何一つここへと持ち込んでいないにもかかわらず。



 第一印象は、貧相な子供。
王女に対しては大変失礼ではあるが、キセの正直な感想はそんなものであった。
母譲りなのか、栗色の髪は美しく梳かれ、腰の辺りまで綺麗に伸ばされている。だが、その豪華な髪が、彼女の体の貧弱さを浮き立たせるようで、ひどく不似合いだ。
顔は小さく、中に納まる部分も、一つ一つをとってみて、そのどれも悪くはない。美丈夫で知られた国王陛下と美しいと評判であった側室の間に生まれたのだから、あたりまえだ。だが、ひとたびそれらが配置されると、ひどく印象が薄いと言わざるを得ない。それにもまして、その態度が、ひどく落ち着きがなく、周囲をきょろきょろと見渡すさまは、とても王族とは思えない。おそらく今のキセの容貌を見て、どちらが王女か指し示せといわれれば、ほとんどの人間がキセを指差すだろう。
それほど王女は、凡庸で矮小な人間、という第一印象をキセへと与えてしまった。

「ダームスタ公爵の次女、キセにございます」

無理して尊大な態度をとっているかのように、礼をとったキセを見下ろす。
周囲の人間は半ば呆れ、公爵家の役目とはいえ、王女の相手として使わされたキセに同情した。
だが、キセはあくまで穏やかな笑顔を王女へと向け、その日王女は最後まで癇癪を起すことはなかった。

 年頃の娘二人は、徐々に打ち解けていく、やがては王女の無理やり威張り散らしたかのような態度は鳴りを潜めていった。その変化に喜び、周囲は二人を暖かく見守る姿勢へとまた変化していった。

「王女?」
「クロロと呼んで」
「ですが」
「ここには誰もいないじゃない?私たち友達じゃないの?」
「……クロロ」

ようやく笑みを浮かべた王女は、腰に両手を当て満足そうな顔をした。
困り果てていたキセも、その顔に安堵し、笑みを返す。
クロロはあれほど拒んでいた学習も、キセと一緒ならばと周囲を説き伏せ、二人並んで教師に教えを受けるようになった。もっとも、キセはクロロが学ぶべき部分はとっくに済ませており、ただ王女が満足するまで共にいる、という約束を果たすのみだ。
ただ、キセの方としても、国の中枢に関わる学者と関係ができることは役得であり、そのおかげで彼らのうちの何人かと個人的な付き合いが可能となった。
穏やかな笑顔を浮かべたまま、キセは大人しくクロロの要領を得ない昔話に付き合う。
全ての侍女は下げられ、扉の向こうには護衛はいるものの、今ここはキセとクロロの二人だけだ。高価な茶器に、手に入れにくい珍しい菓子を前に少女は他愛もない会話を続ける。主にクロロが話し、キセがそれにわずかに返事を返す。そうすることでクロロは上機嫌となり、たとえキセが一日二日ここを訪れない日があったとしても、その機嫌は持続してくれるようだ。
だが、本日は、そんな華やかな少女二人の茶会に、珍しい客が闖入してきた。

「楽しそうだな」
「お兄様」

突然の大物の出現にもかかわらず、キセは優雅に立ち上がり、腰を折る。
その完璧な礼儀に、アスターは密かにうなる。
使い物にならぬ父母と比べ、この少女は随分と弁えている、と。
やがて、キセの顔が上げられ、容姿があらわになると、アスターは人知れず息を呑んだ。
美しい、と、ただそれだけでキセの容貌をぼんやりと眺めるものは多い。世辞の言葉すら出ず、ただ不躾に見つめるまま見つめてしまった殿方は、周囲にその咎を指摘され、ようやく言葉を口にするのだが、アスターのその視線はそういう間抜けな男どもとはまた違った色をキセに感じさせた。

「何か失礼でも?」

本来なら、目下のキセから声をかけることはかなわないのだが、穴が開くほどこちらを見つめる人間に対し、生憎と他に手段を知らない。申し訳なさそうにかけた声は、数拍後、彼に伝わり、アスターは緩慢な動作で言葉を吐き出す。

「申し訳ない」

臣下とはいえ、一人の女性に対する態度ではない。
そんなことは承知しているアスターだが、キセから目が離せないままだ。

「綺麗でしょ?でもだめよ、私のお友達に手を出しては」
「こんな子供、誰が相手にしましょうか」

王女とは異なる大人びた声が続く。
艶さえ感じるその声音に、王子はまた捕らわれる。

「何か、思い出しまして?」

自慢げに語る王女の横で、キセは丁寧な声で、だが少しだけ意地悪な顔をして彼を見上げる。
何の脈絡もない会話は、王子の心臓をひどく跳ねさせ、また落ち着かなくさせた。
そんな会話の不自然さにも気がつかず、クロロは固まったままの王子を追い出す仕草をする。

「キセと話すことがたくさんあるんだから、お兄様は仕事に戻って!」

妹の特権、とばかりに、王子である兄を部屋から無理やり追い出し、扉を閉める。
キセに背を向けていた彼女は、キセがひどく残酷な笑顔を浮かべていたことを知らない。振り向いて、話し始めた瞬間には、すでにいつものキセに戻っていたのだから。

11.24.2010
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