兄の帰還

「うわああああああああああああああああああ!!」

野太い声がリビングにこだまする。
やっぱり…。

家族一同予想通りすぎる反応へ、家族の皆が苦笑する。
ただひとり血のつながりのない祐貴は一人悠然と新聞を読んで寛いでいる。
どちらがこの家の人間だかわからない状況。

「かみ、かみ…。うわあああああ」

一部理解できる日本語を話したかと思うと、再び絶叫する。

「お兄ちゃん。うるさい」

和奈がうんざりした顔で呟くも、肝心の本人には全く伝わっていない。
それほどの衝撃をどうやら与えてしまったようだ。


元凶は、先日理由あって短くなってしまった彼女の髪にある。
いまどき珍しい艶やかな黒髪を随分長く伸ばしていたのだが、現在は肩先で揃える程度でしかない。 それでも正面から見た印象にそれほどの変化はないはずなのだが。
この人にとっては違ったらしい。

「潤んだ目で見るのもやめて」

彼女を指差して固まっている兄を切り捨てる。
この人に付き合っていると疲れる、とばかりにため息をつく。

「おまえのせいかあ!!!」

見当違いの怒りをすました顔で和奈の横をキープしている少年へとぶつける。
胸倉を掴まれた手を軽く振り払い、得意の冷笑を浮かべる。いや、この人以外にこれを使うことはないのだけれど。

「おまえのその済ました面が気に入らないんだ!」

開始早々論点がずれている。
ふぅ、とため息をつきつつ余裕の微笑。神経を逆なでするような。

「だからいつまでたっても彼女ができないんですよ」

こめかみの血管が切れたような音がした。

「おまえに言われたくはないわ!!おまえこそいないくせに」

和奈のことを小さいころからずっと思い続けていることを知っている上でこそのセリフ。
確かに少し前まではかなり有効な手ではあった。
祐貴の気持ちに気がつかず、「あ、いないんだぁ」などと、のほほんと和奈がのたまってた頃までは。
だけど、兄のいない数ヶ月で二人の関係は大きく(ある意味少しだけ)変化していた。
二人を知っているものなら、間に流れる微妙な空気を読み取ったかもしれない。
しかし、和奈の髪で逆上した和幸にはそんな繊細な神経が発揮できるはずもなく、いや、もともとあるわけもなく。

「いるよ」

挑発的な表情で和幸を見据える祐貴。
兄に嫌な予感が走る。
まさか ――――――いや。そんなはずは。
ぐるぐると自問自答を繰り返す彼に愛する妹は顔を赤くして何も答えない。

「まさか?」
「和奈に決まってるでしょ」

当たり前のことを聞かないでくれとばかりに祐貴がため息をつく。

「…………嘘だろ?」
「ほんと」

とっとと止めをさす。あまりの衝撃にそのまま固まってしまった和幸を横目で見つつ、 読み終えた新聞を片付け、和奈を促しテーブルへと向かう。
そろそろ夕食の時間だ。和奈と一緒に準備を手伝わなければいけない。
先ほどのショックからやや立ち直った彼が祐貴へと突進してくる。
さりげなく、彼に足払いをかけ絨毯の上に転がした後は、わざとらしくもさわやかに手を差し伸べる。

「和兄さん、大丈夫ですか?何もないところで転ぶなんて」

天使の微笑を撒き散らしつつ、和幸を助け起こす。

「この悪魔!!」

妥当といえばあまりに妥当な呼び名で祐貴を呼び、ついでに首を絞める。
祐貴がニヤっと笑ったかと思うと、和幸の後頭部に衝撃が走る。

「あんたって子は!!いつもいつも祐貴君をいじめて!」

和奈と和幸二人の母が仲裁に入ったのだ。
しかもたまたま持っていたおたまで殴るという暴力技で。

「だああああああああ、見てなかったのかよ、こいつの仕業は」
「どうしてそうやって言い訳ばかりするの!!あんたでしょ、先に手を出したのは」
「おばさん…。いいんですよ。いつものことですから」

母に向かって儚げな表情を作る。

「それに、僕には兄弟がいないから、こういう男兄弟らしい関係もあこがれてるんです」

己の両親が不在でなおかつ一人っ子という、時にはあらぬ同情を掛けられてうっとうしいと思うような状況まで利用する。

「ごめんなさいね、がさつなコで」
「いいえ、和幸さんはお兄さんらしく頼もしい人ですよ」

兄だなんて1ナノグラムも認めていないくせに、そんな言葉をしれっと吐いてみる。

「本当に祐君は兄さんと仲いいよねぇ」

和奈が見当違いのほめ言葉を口に乗せる。

「まあ、将来は義理とはいえ、本当の兄弟になるわけだし」

とんでもない将来像を語る父。

この一家は祐貴に丸め込まれている。そんなわかりきった事実を今更ながらに痛感する和幸。

だけど、でも。

「おまえのようなやつに、妹を渡してたまるかあああああああああああああ」

今日も今日とて和幸の絶叫がこだまする。
唯一の味方は、彼の足元でじゃれているミニダックスのココアだけ。
そのココアにも彼のご飯という最大の誘惑の前にはあっさりと裏切られ、ただ一人固まったまま立ちすくんでいる。

これが酒口家の日常風景。あるいは兄の帰還及び未来予想図。

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lastupdate:11.11.2004 /KanzakiMiko