「やあ」
胡散臭いほどさわやかな笑顔を携えて、ローゼル王子がセリのもとへやってきた。
いつもと違うのは、ここが職場ではなく、実家だというところだ。
突然の王子の訪問に、慌てもせず彼を客間へ通しもてなしたところは、さすがにヴァイシイラ家の家人といったところだろうか。
優雅に豪勢な茶器を手にし、足を組んだまま微笑む彼は、確かに巷に評判高い理想の王子だろう。
だが、あまりそういったことに惑わされることのないセリは、ただ彼と客間で対面するという事実そのものに困惑している。
「あの、何か」
心配そうにセリが尋ねるのは、彼が王子だからではない。彼が余り日の目をみない彼女の研究の出資者だからである。
王族とは基本的に気まぐれなものである、という偏見を持っているセリは、彼が唐突に何かの理由でそれを打ち切るのではないかと心配しているのだ。
そんな思惑など知らないローゼルは、あくまでさわやかにセリと対峙する。
セリの居室で不審人物と会ってから一ヶ月。
彼は彼なりに悩んで、吹っ切れた今は突き抜けた風にこうしてセリの元へやってきたのだ。
「セリの保護者は母上殿でよかったかな?」
「はい、あの。それが何か?」
王子の尋ねた内容が、理解の範疇を超え、常にはない曖昧な返答をするセリ。陽気な王子は、そんな彼女を尻目に次々と言葉を放っていく。
「今日ご在宅なら」
「残念ながら母はおりませんが、姉なら在宅ですが?」
すでに長姉に全権を譲った母は、あちこちを遊び歩くのに忙しい。根っからの商売気質からきっとそれからも商売の種を拾ってくるのだろうが、一応現在のヴァイシイラの商売を取り仕切っているのは姉のアベリアである。したがって、セリの保護者的立場もアベリアといえないこともない。
「ああ、なら、ぜひお会いしたい。約束もなしに訪れて失礼だとは思うが」
「いえ、では」
家人にアベリアを寄こすように目配せをする。
程なくして暖かな、だが家族にしてみれば作り物の笑顔を浮かべたアベリアが部屋へとやってきた。
艶やかな美貌は、今日も健在であり、彼女が微笑めば、ただそれだけで顔を赤らめる男性が多い。
だが、ローゼルは負けず劣らずの人工的な笑顔を貼り付け、眩いばかりに明るいはずにもかかわらず、ものすごくほの暗い空間を二人で作り出した。
形式的に握手を交わし、三者が着席する。
王子の対面に長姉が、その隣にセリが座り、新たな茶が供された。
使用人も全て下げられ、客間には三人だけとなった。
セリはどことなく息苦しさを感じ、無意識に襟元を緩めるような仕草をした。
「アベリア殿。突然の訪問を許されよ」
「妹がいつもお世話になっております。それに王子でしたらいつでもいらしてくださいませ」
笑いあっているはずなのに、薄ら寒い、という理解不能の事態にセリは逃げ出したくなった。
アベリアは完璧な商売人であり、彼女の擬態は誰をも虜にするものだ。
だが、どういうわけかローゼルに関しては、故意に素の部分をちらつかせるようなまねをしている。
そして、ローゼルにしても完璧な王子を演じきる技量を持った男だ。親しくなるにつれ、セリにはそれが飾られたものであることがわかる部分もあるのだが、それがこうまであからさまになることは珍しい。
つまり、両者は非常に近しい性質を持ったものであり、セリのあずかり知らぬわずかなうちに何某かの反応があったようだ。
「単刀直入だが。ぜひともセリを嫁にもらいたい」
「生憎と、セリは売っておりませんの。一昨日いらしてくださいな」
わけのわからない提案をされ、そしてそれを一刀両断する姉。
どちらにも思考がついていかず、セリはさらに困惑する。
「セリを生涯の伴侶としたい。お願いできるか?」
「ほっほっほ。ご冗談を。ついさいきんおしめが取れたような娘に何をおっしゃいますの?」
つい最近、とはひどい、と、どうでもいいことに反応し、セリは無意識的にローゼルの言葉を遮断した。
「セリ、どうだ?悪い話ではないと」
唐突に話しかけられ、セリが固まる。
だが、ゆるやかに脳を働かせ、セリは口を開く。
「どうして私の周りにいる人はそういう冗談を言うようになるんでしょうね」
「冗談?」
「はい。冗談だとしか」
アベリアがセリを引き寄せ、わざとらしく頬を合わせる。
「この子はとてもとてももてますのよ。もう求婚者が列をなすぐらい」
「姉さん、それは大げさすぎます、それにみなさん本気なわけないじゃないですか」
「ふふふ、そういうところがセリはまだまだかわいいわねぇ」
姉妹の仲の良い様子は非常に麗しい。
だが、あてつけのそれは非常に忌々しい。
ローゼルは軽くアベリアを睨みつけ、足を組みかえる。
「私は本気です」
「それは、この子がきちんと自覚できるようにしてからおっしゃってくださいな」
セリにはよくわからない話をした二人は、微笑みあいながらにらみ合う、という器用な真似をしてさらにセリを薄ら寒くさせた。
目的がわからないローゼルの訪問は、アベリアの高笑いとともに王子を送り出すことで終了した。
「姉さん?」
「なんでもないわ」
いつもの家族に向ける笑顔になったアベリアに安心したセリは、ローゼルが求婚していたという事実そのものを記憶の彼方に放りなげてしまった。