11話

 セリは混濁した意識のまま幾日か過ごし、四日後にはようやく上半身が起せるようになった。
そうなれば早いもので、セリは消化によいものから口に入れ、みるみるとその健康を取り戻していった。
やせすぎだった体は相変わらずではあるが、頬に赤味がさしたころ、ダリアから床上げの許可がおりた。

「王子来てるけど」

嫌悪感を隠そうともしないダリアは、冷え切った声でセリにそれを伝えた。
ダリアにとってはローゼルは麗しの王子ではなく、ただの害虫だ。
しかも、たちの悪い。

「お礼を言わなくては」
「はぁ?あいつのせいでしょ?」

あくまでこのような事態に陥ったのは王子のせいであると疑いもしていない。
怒りながらもセリの体を拭いたりなどといったこまめな事をするダリアは、ヴァイシイラの特徴としての家族好きが当てはまっている。



 そろそろ床上げをすると聞かされ、いてもたってもいられずヴァイシイラ家を訪れた王子は、応接間に取り残されたまま放置されていた。ようやくアベリアの計らいでセリの寝室を訪れることができたころには随分と時がたっていた。

「もう大丈夫か?」
「はい、ご心配をおかけしました」

ややこけた頬には以前と同じ年頃の娘らしい色が、見上げたセリの顔には浮かんでいた。

「今回のことはすでに適切に処置した。もう何も心配はない」

首をかしげ、セリは続きを促す。

「犯人はわかっている」

言いにくそうにしているローゼルに変わって、アベリアが口を開く。

「マレディー=ライトさまでしょ?」

どうして、などという愚問を挟まないローゼルは、やはりヴァイシイラが別の探索口から彼女に到達した事を知った。
いや、ローゼル自身に関連してこのような大それた事をする人間は、実は限られている。
だが証拠もなしにそれを口にするには彼女はあまりにも名家出身であった。

「誰です?」
「恋人でございましょう?」
「元だ」

アベリアは半眼で呆れたような眼差しをむけ、ローゼルは真顔で即座に否定をした。

「その、なぜ?」

ローゼルの元恋人が自分に害意を向ける、といった理由が思い浮かばないセリは純粋な疑問を投げかける。

「おまえは、私に求婚されていることを忘れたのか?」
「そういえば・・・・・・」

振り出しに戻ったかのような壮大な徒労感を味わったローゼルは、肩を落とす。

「でも、それとこれがどうして?」

まだわからないセリにアベリアは優しくその頭を撫でる。

「ほら、まだまだセリは子供でございます。王子もくれぐれも、くれぐれもお慎みください」
「それは、わかっている」

もはやそれ以外の言葉が思い浮かばないローゼルはため息混じりにアベリアに答える。
アベリアとローゼルはセリの寝室を辞したあともなお、攻防戦を続けていた。

「これでは、セリを安心して預けられませんからねぇ」

アベリアは、ねちねちと笑顔のままローゼルを攻める。
国の中、いや大陸の中でも異質な血のまじるヴァイシイラ家は特に家族の結束が固い。
歳若い、まだ庇護の下にあって欲しい妹がこのような目にあって何も思わないわけはない。

「すまない。すでに護衛は手配した。仕事部屋の安全対策にも抜かりはない」
「もちろん、そちらの王子個人の経費ですわよね?」
「ああ、いや、いっそ毎日送り迎えをしよう。そうだ、それがいい」
「セリが嫌がります」
「身の安全には替えられないだろう。それにセリは押せば大抵のことは言うことを聞く」

ここぞ、というところには頑固な彼女ではあるが、逆を言えば、それ以外は無頓着だ。それを利用して、長姉のアベリアも、ローゼルすらも彼女の行動をある程度調整してしまっている。

「貴方の周囲の婦女子からまたセリは恨まれるのですね」

そもそもはセリへの執着が目に見えてきたおかげで、彼女はこんな目にあっているのだ。
小娘のことなど放置しておいてくれれば、セリにとっては最も安全だ。それを仄めかし、アベリアはローゼルを見上げる。見惚れるような麗しい笑顔に薄ら寒い気持ちを感じる、などという奇妙な体験を、ローゼルはすることになった。

「私は、セリを妻にする」
「こりませんね。いつのまに断定系にしてるんですか」
「夢ではなく決定された未来だからな。私はセリを妻にする」
「反対する、と言えば?」

飾りとはいえ、王家にはそれなりの権力がある。国有数の商家とはいえ、ヴァイシイラが太刀打ちできるのも限界がある。なにより、他の妹たちに暴露されれば、個人的に報復しそうな次女と五女が黙ってはいない。姉妹対王室の全面戦争は、主として避けてとおりたいところだ。

「条件はセリの気持ちです。まあ、私としても王家と縁ができるのは願ったりかなったりですものね」

商人の顔になったアベリアは、ようやく穏やかな笑みを浮かべ、ローゼルを見据えた。
ローゼルもそれに答る。

「ああ、それはわかっている」

幾ばくかの不安を抱きながら、アベリアはローゼルを見送った。



「セリ、来週婚約発表するから」
「は?」

ローゼルという王子はいつでも唐突である。
それを知っていたはずなのに、どういうわけか心底驚いた。
自分が巻き込まれているのだから当然といえば当然だが。

「誰と、誰が?」
「私と、セリが」
「なぜ?」
「愛し合っているからだ」
「誰と、誰が?」
「私と、セリが」

かみ合わない会話に、セリはそっとこめかみを押さえた。
王子が突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないが、これはあまりにもひどい、と、内心で罵倒する。普段口数の多くない彼女は、こういうとき上手く口が動いてくれないのだ。

「本気?」
「もちろん」

うさんくさい笑顔で全力で答えられ、セリは脱力する。
机の上に突っ伏したまま動かなくなったセリに、王子が声をかける。

「それとも、心に決めた相手でもいるのか?」
「いない、けど」

ゆるゆると頭を振る。
愛してる、結婚してくれ、という言葉を山ほど浴びせられていても、セリは基本的にそう言うことに疎い。いや、自分とはかけ離れた世界の出来事だと自らを戒めているふしすらある。
家族愛以外の愛は知らない、きっとこれからも知ることはできない。
比較され、嘲笑された過去は彼女に後ろ向きな考えを十二分に植え込んでしまった。

「なぜ私が?」
「それは、私が愛しているからだ」
「はぁ」

決闘を申し込みそうなほど堂々と言い張るローゼルに、セリはさらに脱力する。そういえば、周囲の人間もどちらかといえば、宣言するように力強く言い放つことが多いことに気がついた。

「私では不服か?」
「そんなことは」
「なら問題ない」
「いえ」

問題だらけだ、という言葉を口に出すこともできず、ただうろたえる。

「王族としての義務はこなせません」
「私は所詮第五王子だ。なんならヴァイシイラに婿にいってもよい」

アベリアが青筋を立てて怒り出しそうなことを言い出し、慌てて首を横に振る。
ローゼルとアベリアは、混ぜてはいけない。
そんなことは疎い彼女にすら感じ取れることだ。

「地味だし」
「私には目立つが?」
「ぶさいくだし」
「かわいいといつも言っている」
「胸、ないし」
「・・・・・・大丈夫、私にまかせれば成長する」

最後だけは若干口ごもったものの、それ以外は威張った風に言い切る。

「セリは、私のことが嫌いではないだろう?」
「それは、まあ」

なついている、というところまではいっていないものの、セリにとってのローゼルは一緒にいても苦にならない相手程度にはなっている。家族以外でそれを感じたのは珍しいことであり、確かに特別といえば特別なのかもしれない。

「私と一緒になれば、王家の史書も読み放題だぞ?」

今までもどれ程の甘言すら叶わないほどに、セリの心が揺れた。
歴史だけはある王家は、当然まつわる書物が多い。公的な部分は公開され、セリなどにも目を通すことができるが、現在公開しては色々まずい部分は当然もったいぶって禁書となっている。
この国の言語の変化を知る上に、それらの記録は喉から手が出るほど欲しい。
セリは無意識につばを嚥下していた。
ここでローゼルの申し出を受諾することは、何か悪いものに魂を売るようなものではないか。
何度も思い直し、だが抗えず、セリは小さく頷いた。

「用意はこちらにまかせておけば全て整える。ああ、アベリア殿には私から説明をしておくから」

上機嫌で部屋を出て行ったローゼルの背中を見つめ、セリはすぐさま後悔した。
金で体を売るのと資料で体を売ることと、どちらがより宗教的には問題なのだろうか、と。