10話

 セリは頓着しない性質ではあるが、ここのところ仕事場に違和感を覚えていた。例えばちょっとした小物の置き場所が違う、しっかり閉じていたはずの引き出しが僅かにあいていた、など、そのどれもが勘違いで済ませられるようなものではあった。
何、と断定することが出来ないもどかしさを感じつつも、仕事にとりかかればすぐにそれを忘れ、研究にのめりこんでいた。
ようやくそれが何かを理解したときには、彼女の意識は薄れていった後だった。



「暇なんですか?」

日を置かず通いつめるローゼルに、セリは感情の篭らない声で質問を投げつける。
ローゼルはそれをさらりと流し、セリにとっては胡散臭い笑みを浮かべる。
客、と呼ぶには心情的にひっかりは覚えるものの、出資者であることには違いのない王子に、渋々セリは茶を入れる。

「あれ?」
「どうした?」
「なんでもありません」

実家からの差し入れである高級茶葉の缶を開けたセリは、珍しく声をあげた。
感情表現に乏しい彼女が見せるにはあまりに珍しく、ローゼルは質素な椅子から立ち上がりかけた。
すぐさま平常に戻ったセリに留められ、ローゼルはゆったりと彼女が供してくれる茶を待つことにした。
ローゼルはセリと相対するこの空間を好んでおり、また、彼女が入れる茶も非常に気に入っている。
やがて机の上に置かれた茶からはいつもの芳しい香りが放たれ、ローゼルはまずは香りを楽しむ。次に一口、と茶器に口をつけた途端、セリから緊張した声が掛けられた。

「ちょっと待って」
「なんだ?」

動じないセリの慌てた様子を、かわいいものを見るかのように目を細めるローゼルに、剣呑な言葉がもたらされる。

「これ、変な味がする。匂いは変わらないけど」
「変な味?」
「はい、舌になにかぴりっとくるような」
「舌に?」
「後味も悪い、です」
「舌にぴりっときて、後味が悪い?」

ローゼルは嫌な予感がした。
だが、それがこんな場所でこんなところにあるはずはない、とその嫌な考えを押しやる。

「茶葉は古くない、はずなん、だけ、ど」

言葉を搾り出し、セリは急に喉元を押さえ、苦しげに息をし始めた。

「セリ!」

ローゼルはセリに駆け寄る。
荒く息をした彼女は、体が痛むのか無意識に両手でその体を抱え込む。
呼吸はますます荒くなっていき、顔は色を失っていく。
両目からは光が徐々に消え、うつろな視線はもはやローゼルをみていない。
ローゼルは慌てて彼女を抱きかかえ、乱暴にドアを蹴り上げ、走り出していく。
王族の特権を生かし、彼の護衛たちに指示を飛ばす。

「薬師を、できれば術師で、毒物に強い人間をすぐに連れて来い!私はヴァイシイラの家に行く」

ヴァイシイラには薬師としても術師としても有名な次女がいる。その彼女を捕まえることができたのなら、自らのつてを頼るよりもはるかに有益であると。
セリが伏せる前の僅かな説明で、彼は最悪な毒物を思い浮かべていた。
乾燥させた茶葉によく似たそれは、湯に溶かしたところで無臭である。
だがえぐみのある香草のような苦味が特徴であり、目的の人物に全く気がつかれずに暗殺を試みるには不適な毒物である。
その欠点をもってしてもこの毒物が毒殺に際して用いられるのは、入手が比較的容易である、ということと効果が著しいせいである。
セリに用いられた毒物がローゼルの想像通りだとしたならば、セリの命は今から数刻内の処置に大きく作用されるだろう。
麗しい王子、という形容詞にぴったりの余裕をもった不遜な態度からはかけ離れた表情のローゼルが、セリを横抱きに抱えながら走り去っていく。その様は、彼を憧れの人として崇めていた女たちには意外に映り、また初めてみせて人間味とも呼べるべきものに彼女らの心はさらに浮ついていった。



「代償は高くつきましてよ?」

いつもの余裕などどこにもないローゼルがヴァイシイラに駆け込んだころには、セリは虫の息であった。
すぐさま駆けつけた次女に鬼の形相で睨まれ、言葉を交わす時間すら惜しむようにダリアはセリが運ばれた寝室へ駆け込んでいった。
続けざまに現れた王家お抱えの薬師たちも招かれ、気がつけば一昼夜も過ぎ去っていた。
誰も何も言葉を発しない応接間には、ローゼルと付き人が待機し、ヴァイシイラの家のものたちは慌しく走り回っていた。徐々に家人たちの様子が落ち着いていき、ようやく長女のアベリアがやってきて、開口一番ローゼルに言い放ったのだ。

「わかっている」
「一命はとりとめましたが、数日は様子を見ておかなければならないようです」

ぎりぎりとこちらを睨みつけている次女ダリアの代わりに、アベリアがローゼルに説明をする。

「毒物は?」
「想像通りのものかと」

ローゼルは駆け込んだ際に、ダリアへセリが飲んだものの特徴を伝えていた。また後から駆けつけた付き人たちはしっかりと証拠となる茶葉を持ち込んでおり、それが解毒の助けになったはずだ。

「どうしてセリがやられなきゃなんないのよ!」

その見た目とは裏腹な刺々しい言葉を吐き出した次女は、その視線だけでローゼルを殺しそうな勢いだ。彼女は術師としても有名であり、それはあながち間違った見立てともいえない。

「セリ自身のせいではないでしょうね」

おっとりと茶に口をつけながらアベリアが上目遣いにローゼルを非難する。
地味な部門にいる天才的だが真面目な職員などを毒殺する理由が思い浮かばない。
強いて言うならば実家の高名さではあろうが、それならば営利誘拐のほうがずっとしっくりとくる。もっとも、優秀な護衛がそのような隙を与えるはずはないのだが。

「あの研究所は防犯には疎い。ダリア殿のような場所ならばきっちりとしているのだろうが」

盗まれるものも、盗んで金になるものもない研究所に、賊が入ったためしはない。会計部にはそれなりの処置がしてあるものの、それにしてももっと裕福な商家や売り場を狙った方がずっと効率がよい。問題の研究部門にしたところで、盗んだところで金も名誉も入らないとあっては、よほどの物好き以外それをする人間はいないだろう。その油断から、あの場所は素人でも簡単に入り込めるざるのようなところとなってしまっている。

「どうせ、あんたの女好きのせいでしょ」

王子を王子とも思わない態度を示すダリアは、露骨に顔を顰めながらローゼルに指摘をする。どうやらダリアとローゼルは出会いはともかくとして根本から合わないようだ。

「これでも禍根を残さない方なのだが」
「は?」

アベリアとダリアの両方から視線を浴びせられ、さすがのローゼルも口を噤む。

「セリを見舞いたい」

ダリアの言葉に腰を浮かせたローゼルは、さらに凶悪な顔で睨まれ、そのまま元通りに椅子に座した。

「護衛をつける」
「お好きになさいませ。こちらはこちらで検討いたします」

アベリアは立ち上がったローゼルを追い出すようにヴァイシイラから送り出した。