舞台裏5

「俺は寝る、病気だ急病だ」
「薬師を呼びましょうか?」
「いや、いらん」
「イリス王女、おもしろがるでしょうねぇ」

イリス王女とは、彼の妹であり、非常に民に愛される王女である。
美しい顔に、賢い眼差しは、誰もが夢見るお姫様そのものであり、本人もそれを意識して行動している節が見受けられる。
彼女は、全くもって愚鈍な兄を毛嫌いしており、それを態度に微塵も出さずに彼をいたぶる、といった特技をもっている。
幼い頃はどれだけ王子が言い募ったところで、人形のように愛らしい彼女がそのようなことをしたとは、誰も信用しなかった。
さすがに昨今は、彼女の二面性の仮面も近しい中でははがれつつあり、王子の言葉に耳を傾ける人間もいるにはいるが、皆が皆、ただ聞くだけである。
イリス王女に苦言を呈そう、などという親切な家臣は一人もいない。

「王女のお気に入りだそうです」
「あれがか?」
「ええ、あれが、です。というよりヴァイシイラ家と懇意にしていますから」

今でこそ国一番の商家ではあるが、ヴァイシイラ家の歴史は浅い。
祖父の代では狭い土地に唯一つのものを売る、個人商店でしかなかったヴァイシイラは、彼が異国の少女と結婚したあたりから急激にその規模を広げた。
子供が生まれるたびに、商う品物が増え、それに見合う店舗を増やしていった。異国の娘の長女が継ぐころにはすでにこの国一番の商家となっていた。
だが、その成り立ちの新しさにより、歴史だけはやたらとある王家との関係は希薄だ。いや、希薄であった。
すでに老舗と呼ばれる御用達の店があるなか、新規参入していくのは通例や慣習などがまかり通る世界ではなかなか難しい。
だが、図らずも孫娘の代で四女のセリが王子の一人と結婚し、また五女が国民に人気のある王女と親交を結ぶ、といった伝が出来た結果、ヴァイシイラは王家と取引もある商家として規模だけでなくその格まで高めていくことになった。
そして今度の騒動である。
馬鹿な王子の花嫁探しは、アベリアに商売の機会を与え、今まで不得意であった奥向きにまでその食指を伸ばしたようだ。
つまり、新しい花嫁、などという不穏分子を迎えたくはない側室たちの手先が、あからさまにうろつく中、それをどういった手管なのか捕獲し、洗脳し、商売の糸をくくりつけたのだ。そのような手腕をもつアベリアが王家に野心をもって乗り込まなかったことを、宰相は心の底から安堵している。

「しかし、まさかイリスの」
「あれだけ珍しい女性騎士が就任したというのに、知らないほうがどうかしてますよ。謁見の席に同席していたはずでしょ?」
「あんな平凡な女を覚えているわけがないだろう」

そういった王子は、どういうわけか急激に寒気を覚えた。

「風邪かな?」
「後ろ暗いからじゃないですか?」
「覚えはないな」
「イリス王女のお気に入りですからねぇ、彼女」

わざとらしく咳きまではじめ、王子はそわそわ落ち着かない様子で腰を浮かせようとしている。

「まさか、盗み聞きされている、などということは」
「さぁ?でも、ユッカは侍女や同僚の騎士たちにも人気がありますからねぇ。気さくな人柄ですし」

王子は、控えている侍女や護衛騎士がにやり、と笑ったようにみえた。

「おまえたち!ここで話したことは他言無用だからな!」
「そんな口止めなどしなくとも、ユッカが個人的に話せばばれることでしょう」
「いい!今日は休みだ!病気だ!」

癇癪を起した王子は、とても病気だとは思えない勢いで寝室に閉じこもった。

次の日から、王子は寝具がどういうわけか水で濡れ、この年でおねしょをしている、と下女たちに噂され、また、大切に扱っていた自慢の馬が小奇麗な雌のロバに取り替えられており、そのロバで国民の前にでなくてはならなかったり、といった細かな嫌がらせが続いた。
それが全てイリス王女の仕業なのかを知るものはいない。
ただ、彼のその姿をみたイリス王女の顔が、今まで見たこともないほど晴れやかな笑顔だったことは、皆の知るところである。