無言で手を引く彼とそれにおとなしくついていく私。
いつのまにか連れられていった先は、独身者向けのワンルームマンションだった。
慣れた足取りで階段を上り、とある部屋の前へとたどり着いた。
「ここ、僕のうちだから」
「はい?」
鍵を開け私を部屋の中へと促す。
おとなしく入る私も私だけど。
「あの・・・私と同じ方向じゃないの?」
いつも彼は私と同じ地下鉄に乗っていた、だから私が降りる先に彼の家があるのだとばかり思っていた。
「あーー、うん。違う」
「違うって、どうして?」
毎日遭遇するだけでも驚きなのに、私に合わせるような行動はますますわからない。
「どうしてって・・・・僕言ったよね?」
「何を?」
言いづらそうに言い淀む彼に対してはっきりと答える。
私何か言われました?覚えてないんだけど。
「僕が酔っ払って、泊めてもらったときに・・」
ああ、そういえばそんなことがあったようななかったような。
まるっきり知りません、と態度に出ていたのか、彼が拍子抜けしたような顔をした。
「・・覚えてないの?」
「だから何を?」
突然彼が私の背中に手を回し、抱き寄せる。
あれ?こんなことが前にもあったような。
「前も玄関でこうしたよね?日向さんちだったけど」
なんか白い霧がかかったような映像が・・・。
「覚えていないならもう一度言うよ」
ちょっと待って。なんかものすごく驚くようなこと言われたことがあるような。
「好きです、日向さん。付き合ってください」
霧が弾けた。
思い出した!そういえばあの日もそんなことを言われた。
思い出した瞬間、あまりの恥ずかしさに思わず彼を押しのけてしまった。
「僕のこと嫌い?」
切なそうに哀しそうに聞いてくる、さしずめ尻尾の下がったワンコ。
思いっきり首を横に振る。
嫌いじゃない、嫌いじゃないけど。
「いや、そうじゃなくって」
「じゃあ、付き合って」
強引にまた引き寄せられた。けど、
「あなた恋人いるじゃない。二股かけるなんて最低」
思いっきり突き飛ばし、唖然としている彼をそのままにその部屋から走り去った。
ローヒールとはいえ、走るのに決して適していない靴で全力疾走をしてしまった。
足が痛い。きっと靴擦れが起こっている。でもそれよりもっと胸が痛い。
彼から好きだといわれて嬉しかった、正直。
でもそれ以上に悲しかった。
二股かけても大丈夫なやつだって思われてるようで。
前の彼といい大越さんといい、私と関わる男はどうしてこんなのばっかりなんだろうか。
お前なんかセカンドで充分だって言われているみたい。
ジェットコースターのように気分が乱高下して、もうぐちゃぐちゃだ。
このまま家へ帰るのも嫌だ。
どん底の気分のまま、足を引きずりつつとりあえず駅へと向った。
最悪な気分のまま早朝自分のアパートへ向う。結局昨日は24時間開いている銭湯に泊りこんでしまった。
お風呂入ってビール飲んで嫌なことは・・忘れられないけどね。
今日はきっちり出勤だから服だけでも着替えたい。腫れぼったい顔も心配だし。
下を向いて歩いていたら、ドアの前に見慣れた物体が座り込んでいるのに気が付かなかった。
気付いた時にはすでに、その物体に掴まれていた。
「どこ行ってたんですか?」
例の物体は大越さん。昨日の服のままでもネクタイをはずしてシャツなんかラフにボタンをはずしている。
「あなたには関係ない」
できるだけ虚勢を張って答える。
「関係ないって・・・。誤解を解かせてください」
「誤解?何が?」
いつものヘラヘラしている彼ではなく、真摯な眼差しでこちらを捕らえる。
「彼女はいません」
「嘘つかないで」
条件反射のように返してしまう。
「嘘って・・。この間の女性なら誤解です、本当に」
「誤解でもなんでも私には関係ないから」
「どうして」
「私、大越さんのこと好きでもなんでもない」
搾り出すようにしてやっと出せた声は少し震えていたかもしれない。
「じゃあ・・・じゃあどうして泣いているんです?」
暖かくて大きな手が私の頬を包む。
「泣いてなんかいない」
意地っ張りで頑固な私は頑なに彼を拒否する。
泣かないで下さい。優しく囁くような彼の声が聞こえる。
一晩中探してくれたのかもしれない彼の胸は少しだけ汗臭く、そんな匂いも私をひどく安堵させる。
いつまでも宥めるように背中をさすってくれる彼に安心して飛び込んでいきたい衝動にかられる。
追いかけてきた過去を振り切り前にいけそうな気がする秋だった。
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9.6.2004update