気疲れの夏・前編
 誰かこの状況を説明して欲しい。
肉やソーセージが焼けるいい匂いがする中、手を握り締めて状況に耐える。まあ大袈裟だけど。
確か、技術部の先輩が今週末バーベキューするけど来る?って聞いてくれたんだよね。
哀しいかなまるっきり予定のない私は二つ返事でホイホイと誘いにのっかってしまった。
そう、まさしく“しまった”だ。
なぜここに営業の大越さんが混ざる?
技術部だけの集まりじゃなかったの?

よく言えばマイペースで寡黙、悪く言えば自分勝手で無口な技術部メンバーの中で思いっきり浮いているし。
そんなことにはおかまいなしになんか隣に寄ってきてる。
春頃から挙動不審だった彼は最近ますます挙動不審。
出勤したら確実に会うし、帰宅時にも二日に一回は遭遇する。
技術の私はその時々で残業時間がまちまちなのに、なぜかいる。
しかも懲りない。いつもいつもいつもいつも断っているのに、毎回毎回食事に誘ってくる。
おかしい、なにかすさまじい罰ゲームでもあるんだろうか。

「日向さんもっと楽しそうな顔しないと」

悪気なく微笑む彼は確かに嬉しそうな顔をしている。
だけどもね、あなたがいなけりゃもっと楽しいのよ。
人の思考を読んだのか、すぐさましょんぼりして泣きそうな顔をする。

「もしかしなくても、ひょっとして僕のこと嫌いですか?」
「いいえーーー」

うそ臭い笑顔を貼り付けて返す。

「なんか、棒読みな上に心が篭ってないんですけど」

贅沢なこと言うわね、先輩だから遠慮してるというのに。
ビール片手に適当に相槌を打つ。心ここにあらずというか、全く相手のことは聞いてないけれど、 それでも楽しそうに話しつづける大越さん。
まあ、私も以前ほど嫌悪感を抱いていないんだよね、確かに。
見た目は軽いけれども、中身は割と落ち着いているし。偽善じゃなく根っから女性に優しいみたいだし。

「・・・・ません?」
「はぁ、いいですよ」

適当に返事をしたそばから大越さんがいきなり私の片手を握り締め、なにやら驚いたような顔をしてこちらを凝視してくる。

「いいんですか?」
「へ?」
「いいんですよね」
「は?」

会話がかみ合っていない。彼はそんなことにも気が付かないほど興奮している。
前半部分全く聞いてませんでした、なんて今更言い出せない雰囲気。

「明日朝7時に迎えに行きますからね、待っててください」

にっこり微笑んで、わけのわからないまま会話が終了していしまった。
朝7時?ちょっとまってよ、休日の朝になぜそのように早起きしなくてはいけないのだ。
よくわからないままに、バーベキューも終わり、本当になぜだか大越さんに送ってもらうこととなる。帰り際に

「明日は楽しみにしています」

なんて置き台詞を残して。
取り残された私は、自分のアパートの前で呆然としたまま、真夏だというのに瞬間冷凍されたように固まってしまった。



 本日は休日、確実に休日ちょっとだけ朝寝坊しようなんてベッドの中でまどろんでいると、突然チャイムがなった。
誰よ?この休日に!寝ぼけた身体を引きずりながら玄関まで這うように進む。
ドアスコープ越しに玄関先を覗くとそこには人のよさそうな顔をした大越さんが立っていた。
瞬間眠気が一片に覚めた。
ドアチェーンをしつつドアを少し開けると、彼の陽気な声が滑り込んできた。

「おはようございます、時間ですよ、日向さん」
「・・・・・・・・・・・時間?」

思いっきり不機嫌な声で答える。

「昨日ドライブに行こうって約束したじゃないですか」
「はい?」

全く記憶にございません。そういえば、なんか興奮しながら念を押していたような気が・・・。
あれが約束だったのか!
思い出していないけど、そう気が付いたときにはすでに大越さんの車の中だった。
妙なところで義理堅い自分の性格が恨めしい。
慌てて身づくろいをしたため、すっぴんだしジーンズに適当なシャツという情けない格好。
助手席に無言で座り込む私に、饒舌に話しつづける大越さん。
なんかねぇ、嫌いじゃないけどこの人の雰囲気が未だに苦手なんだよね。 誰にでも優しいのはいいことだけど彼氏にしたいとは思わないし。いや、向こうも彼女にしたいだなんて思ってもいないだろうけど。
いつの間にかたどり着いたところは港近くにある水族館だった。
最近リニューアルしたばかりで来たかったんだよね、相手がいないから来れなかったのよ。

「お好きなんですか?水族館」

ラテン系の彼の選択とは思えなくて思わず訊ねてしまう。

「・・えっと、行きたいって言ってましたよね、日向さん」

無邪気に笑い返されてしまった。
でも、私大越さんに行きたいだなんて言った覚えないけどな、個人的な話はしたことがないし。
不思議に思いながらも目の前の誘惑には勝てず、おとなしくチケット売り場に並んでしまった。

「あ、僕出しますから」

売り場のお姉さんの直前で言い出す、後ろにも人が並んでいるのでここでごねていては迷惑がかかる、という絶妙のタイミング。
とりあえずチケットを買ってもらって、自分の分を出そうとする。

「いいですよ、今日は僕が誘ったんですから」
「いいえ、よくありません。先輩におごってもらうわけにはいきませんから」

丁寧に辞退する。
彼はものすごくがっかりした顔をして、でもすぐに立ち直り、

「でも、今日はデートだから、ね」
「は?デート?何言ってるんですか?先輩後輩同士のただのお付き合いでしょうが」

そう、ただの会社の先輩後輩、それ以上でも以下でもない。成り行きで一緒になってしまったようなものだから。

「・・・・・・・・・一応男女だし」

大越さんの声が徐々に小さくなっていく、しかもしょんぼりしてくるし。

「はあ、まあ生物学上は私は女で先輩は男ですよね、たぶん」
「いや、そうじゃなくって・・・」

いつまでもぐずぐず言い合ってるわけにはいかないので、ここはチケットをおごってもらうことにして、 後で別の形で返すことにする。
先輩にも男の面子ってものもあるんだろうし。
そんなことより今の私は水族館のイルカに呼ばれているのよ!
この水族館のメイン展示物であるシロイルカの水槽の前にへばりつく。

はぁ、落ち着く・・・。

分厚いガラスにひっついてうっとりとイルカを見つめていたら、いつのまにか随分時間が経ってしまっていた。
慌てて振り返ると、ベンチに座ってニコニコとこちらを見つめる大越さんと目が合った。

「あの、すみません・・・つい」
「いえ、いいですよ。そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいですから」

零れ落ちそうなほど邪気のない笑顔。
こんな風に笑える人はなかなかいないかもしれない。
彼の笑顔につい引き込まれそうになった一日だった。


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8.25.2004update
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