始まりの春・後編
地下鉄に乗り込み、入り口付近のポールにつかまる。
ドアが閉まりかけた瞬間、黒い大きな物体が滑り込んできた。

「日向さん・・」

肩で息をしながらなんとか声を絞りだして話し掛けてくる。
なんか見覚えあるスーツだな。
そう思って顔を挙げた物体をみてまた驚いた。

「大越さん」

そう、エントランスで彼女とらぶらぶだった大越さんだ。

「どうされたんですか?って彼女さんは?」
「いや、彼女じゃない」
「え?」

なおも呼吸を整えるべく深呼吸を繰り返している彼が吐いた言葉。
ああ、そうか。そうだったね、この人は彼女じゃない人とでも平気で腕が組める人だったんだ。
私の顔色を読んだのか慌てて弁明する。

「あれは!あれは向こうが勝手に・・・」

ふーーん、勝手にね。腕を組んだのも、好きになったのも、全て向こうからしてきたことだから僕には責任はありませんってことね。
きっと厳しい顔つきをしていたんだろう、恐る恐る聞いてくる。

「なんか、変な想像してない?」
「いいえーー。してませんよう。それに私には関係ないことですしぃ」

わざとバカっぽく答えておく。
そう、関係ないし興味もない。
あなたのプライベートがどれだけ乱れてようが私に迷惑を掛けるわけじゃないですしね。
ニッコリ笑ってざくっと線を引く。
学生時代から苦手な人相手にやってきた方法。

「まいったな・・」

つり革につかまりながらそんなことを呟く。
何を参るんだろうかこの人は。

「関係ないって、あなたから言われるとこんなに傷付く言葉だったんだ」

何おっしゃってるんですか?
さっきからわけわかんないこと呟いてるわね。むっとした顔をしていたんだろうか、いきなり謝ってきた。

「ごめん、わけわかんないよね、俺。自分自身もどうしていいかわかんないから」
「はぁ・・、あ、次私の降りる駅ですから失礼しますね」

本当はもう一駅先なんだけど、こんなにややこしい人と一緒にいては気が滅入る。
一駅分歩いても、そっちの方が精神衛生上いいに違いない。
扉が開くと同時にホームに滑り降りる。
するとどういうわけか彼も同時にホームへ降りてきた。

「あの・・・ご飯食べに行きませんか?」
「行きません。ご飯炊いてあるから」

そう今朝きちんと炊飯ジャーのタイマーをセットしたはず。このまま家へ帰っておかずを作れば調度いい時間に炊き上がる予定。

「それ、次にまわせませんか?」
「は?えっと、保温しすぎたご飯はおいしくないから」
「冷凍しておけば大丈夫」
「・・・・・・・・」

今日はやけに食い下がる。いつもは一番最初の行きませんで通じているのに。

「俺のこと嫌いですか・・ひょっとして」

図星でドンピシャ、どちらかと言うと嫌いです。
なんてそんなこと爪の先ほども見せちゃいけない。社会人としての嗜みのはず。
言いたいことをぐっと堪えて無理やり笑顔を作ってみせる。
そういえば先ほどから4つも上の先輩だというのに随分横柄な態度をとってしまっている。
ほんのちょっとだけ反省して穏やかに答える。

「じゃあ・・食事だけなら」

この時そんな仏心をださなければ良かったんだ。
こんなことになるぐらいなら。





 あー、スズメが鳴いてるなー、そういえば窓の外が明るい。
ラグの上にタオルケット一枚をかぶって眠ってしまった。
いや、私に床で寝る趣味があるわけじゃない。
私のベッドはとある人物に占領されてしまっている。 ここはワンルームだからそいつにそこで寝られると私は床かユニットバスの中か玄関で眠らなくてはいけない。
どうしてこんな状況になったかを思いだし、急に腹が立ってきたのでベッドの上の人物に蹴りを入れてみる。
結構力を入れたのにピクリともしない。冷水でもかけてやろうかと思ったけど、自分のベッドだというのを思い出し、思いとどめた。
仕方がないのでこいつの抱きしめているブランケットの端を思いっきり引っ張ってみる。
予想通り件の人はそのまま床の上へ落下し、やっとその惰眠から起きることとなった。
何が起こったかわからないって感じてぼーっとしている彼、そう大越さん。
しゃがみこんで彼の顔を覗き込む。

「起きた?」

怒ってますっていう意思表示をきっぱりと含めた声音で話し掛ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・・ひゅうが・・さん??」

信じられないって顔をして次に頭に手をやって考え込む。

「どうして?」

それをあなたが聞きますか!
口の端だけあげて笑顔をつくりできるだけ抑揚のない声で答える。

「食事だけのはずが食前酒のビールをかっくらって、あげく人の制止も振り切って日本酒を飲みつづけ、 おまけに自宅住所も告げずに眠り込んだのは誰?」

そう、こいつはハイペースで飲みつづけ、お酒が強いのかと思ったら、あっけなくコテっと眠ってしまったんだ。
彼の自宅なんてもちろん知らないし、失礼ながらかばんの中を見せてもらったけど免許証などの住所を示しているものは何もなかった。
携帯の中まで覗くのは抵抗があったし。仕方がないのでタクシーに放り込んで我が家に連れてきたのだ。タクシーを降りる頃には酔いも冷めてそうだったので追い返そうかと思ったけど、強引に連れ込んでベッドに押し倒したんだ、お前は!!
心の中で思いっきり毒づきながら引きつった笑顔を張りつづける。

「おれ・・何かした?」
「何かって何?」

意地の悪い限界の笑顔。酔いも二日酔いもいっぺんに冷めましたって顔でうろたえる。

「足元見てみ」
「あ、靴・・・」

土足で入り込んで行き成り押し倒してそのまんま眠ったのだよ、あなたは。
ものすごく慌てて靴を脱いで正座する。
土下座する勢いで謝り倒す。

「ごめん!!俺何にも覚えてない」
「だろうねぇ」
「責任はとるから」
「・・・・・へ?」

意表をついたセリフにしばし言葉に詰まる。

「その、酔った勢いとはいえ・・。それに避妊なんかもしてないだろうし・・・」
「子どもができても俺は大丈夫だし、というかむしろその方が好都合かも、なんて・・」

張り倒したくなってきた。
自分の現状をみて把握できないんかい。
昨日のスーツをきたまんま、あまつさえ靴まで履いて何をする?

「あなたは、昨日無理やり入り込んだ上に私のベッドを占拠して眠っただけ」
「え?だけって」
「なーーーーーーんもないわよ、服着てるでしょ、あなた」

ひどく安心したようながっかりしたような複雑な表情をした。

「でね、朝ご飯食べさせてあげるほど温和じゃないんだ、私。さっさと帰ってくれる?」

今日はやっときた休日、こんなことで朝から機嫌を悪くするのはもったいない。
予定はないけどさ。

「・・・・・・・・俺のこと、そんなに嫌い?」

そういう問題ではないと思いますが。とりあえず昨日よりは確実に印象が悪くなってるわね。
埒があかないので玄関のドアを開けて帰宅を促してみる。これ以上関わるのは真っ平ごめん。
ものすごくショックな面持ちで玄関にやってくる。最後ぐらいは盛大に笑って送ってやろう、 そう思って思いっきりな作り笑顔を浮かべる。酒の席での失敗は一つや二つぐらい皆あるものだろうし。
ドアノブに手を掛け少し躊躇った後、彼は思いっきりドアを閉めて鍵を掛けた。
なにやってんの?って思う間もなく彼に抱きすくめられていた。
少しだけ汗臭くって思いっきりお酒くさい。
そして何より私とは違うオトコの匂い。
あんまり久しぶりの感覚なのでちょっとあほな感想しか思い浮かばなかった。

「好きだ・・・」

だから、こんなこと言われても見事に脳がスルーしていた。

「あー、はいはいわかりました」

そう言いながらなんとか鍵を開け、思いっきり彼を蹴りだしていた。
後はきちんと鍵を掛けて、そうそうチェーンも忘れずに。
鼻歌を歌いながら冷蔵庫を覗き込んで朝食を作ることにする。
ドアには未だにすがり付いているのか、激しくノックする音がする。
全く、朝も早いのに近所迷惑な。
もう一度玄関まで行き、すこーしだけどすの利いた声で話し掛ける。

「警察呼ぶよ」

その一言が効いたのか、彼はおとなしく去っていった・・らしい。
朝食を食べた後、シーツを取り替えて、私は至福の二度寝タイムへと落ちていった。
後のことは何にも知らない、昨日のことは忘れよう。
自己暗示にかけるように呟きながら。



次の週からも彼は私の前へ姿を現すのだけれど、まるっきり忘れている私にはどうして彼が悲しそうな顔をしているのかわからない。
彼の方もそんな私に落胆することなくしつこく追いかけてくる。
忠犬ハチ公みたいなやつ。
少しずつ興味がない、嫌いからおもしろそうなやつにかわりつつある自分の感情に気がつくのはもっと後の話。
そのときにはもう季節が春から夏へと移り変わっていた。


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8.16.2004update
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