始まりの春・前編
 あんなオトコ熨斗付けてくれてやる!
そういきがったけど、大学の時から付き合った年月はだてじゃない。
楽しかったことばかり思い出されて私の神経をかさかさにしていく。

「音信不通とは卑怯な手を」

焼き鳥屋のカウンターで生ビールをあおる女二人。

「そうでしょ、連絡取れないと思ったらあっという間に婚約よ」

都合6年間付き合った相手は今日同じ会社の女性と結婚式を挙げた。
彼が二股掛けていたことも、密かに結婚準備を進めていたことも全く気がつかなかった。 騙しがいがない女。彼にとっては簡単に事が運んだんだろう。

「まあ、これであいつも同窓会には出られないし」

そんなことで痛手を受けるような玉じゃないけどね。でも、その慰めの言葉が嬉しい。

「まだ24だし、次に行こう、次に!」

彼女の言葉に頷く。
結局見る目がなかったんだろうと思う。
学生時代から違和感を感じていなかった、といえば嘘になる。
でもその違和感に見なかったふりを続けた結果がこれだもの。
相手に対して以上に自分に対して向き合うことの大切さを痛感する。

「そういえば、そっちはどうなの?」

半年ほど前に彼氏ができたのー、と報告があったはず。

「ふふふ・・・聞いて聞いて」

そこからは彼氏との、のろけ話一辺倒だった。聞くんじゃなかった。
でも、友人の幸せ話を聞くのはキライじゃない。胸が痛むのはキニシナイ。
さんざんのろけられた後、やっと開放された私はギリギリ終電に間に合うことができた。
失恋したら世界が色褪せるのかと思った。
現実の私はもちろんそんなことはなくって、ちゃんとごはんも食べているし眠れてもいる。
こんなところも可愛くない女だったんだろうか。





「寝不足?」
「?そんなことありませんけど?」

唐突にそんなことを言われて驚いて相手の顔をじっと見てしまう。

「いや、なんとなく」

 ばつが悪そうな顔をする彼は4つ先輩の大越さん。
軽そうな外見通り、会社中の女性に愛想を振り撒いている男性。
誰に対しても優しく、女性には特に優しいと評判らしい。
伝聞系なのは彼と話をしたことがないから。
もともと技術の私と営業の彼では部署が異なるし、それに私は彼が苦手である。
ヘラヘラした外見とは裏腹に、彼の眼鏡の奥には冷めた視線しかない。
きっとあの過度の女性優遇の態度も女性蔑視の裏返しだろう。
女なんて適当におだてておけばなんとでもなる、彼の視線がそう言っているようで勝手に嫌っていたのだ。 本当のところは知らないし、知りたくもないけど。
そんな彼が今朝私の顔を見るなり、こう言ってきた。
そりゃあ、驚きもするだろう。
曖昧な笑みを浮かべてとりあえずその場を立ち去ることにする。
どうせ親しく口を聞く機会なんてないからね。
彼の横を通り過ぎようとしたとき、右手を誰かに掴まれた。誰かって、まあ大越さんしかいないんだろうけど。

「何か?」

勤めて冷静に、不機嫌さを表に出さないように訊ねる。

「あ、いや・・ごめん」

そういいながらも手首を離そうとしない。
こんなところ他の女性社員に見られたら、何言われるか恐ろしい。
訝しげな視線を送ると、情けない顔をしていた。
わけわからない。
ふぅ、と一つため息をついて再度訊ねる。

「指輪・・・指輪どうしたの?」
「はあ?」

なんとも間抜な受け答えだけど、だってそう答えるしかないじゃない。どうして彼が私の指輪なんて気にするのよ。

「はずしただけですが?」

元彼からもらった指輪。たぶんそのことを指しているんだろう。アレ以外してなかったし。

「ごめん」

もう一度呟いて私の右手は開放された。
わけわかんない。
思いのほか強く握られていたのか、うっすら赤い跡がついてしまった手首を見て考える。


 よくわからないことは考えないことにしよう。
そう思って仕事に専念した。
その日からおかしな現象が続けて起こることとなる。
今まで週に1回以上見かけたことがなかった大越さんの顔を毎日見かけるようになった。
営業で外回りなんだから社内で見かけることは少ないはずだし、まして部署がまるっきり違う。朝礼だって部署ごとに行うし。
それに、帰りだってまるで待ち伏せしたかのごとくエントランスで一緒になるのはどうしたものか。
ついでのごとく食事に誘われるし。
その都度断っているけどさ。
暇、なんだろうか?そう思ってみたけれど、他の営業の人は忙しそうだし、 ああ見えて優秀な彼が暇を持て余しているだなんて会社としてそれはアブナイ。
次に技術に目当ての女性でもいるのかしら、なんて思ったけれど、女性は私と10コ上の既婚の先輩しかいないし。 相変わらず、秘書課の女性だの経理の女性だのとの噂が絶えないのでそれもありえない。
まあいいや、別に見かけても害はないし、誘いは社交辞令なんだろう。うん、そうだ、自分に言い聞かせてエントランスへ向う。
エントランスでは大越さんが、でもその隣にはいつもは見かけない女性が立っていた。
仲良さそうに腕なんて絡ませている。
こっちは独り身だっていうのに!
うらやましい、なんて思いながらも顔には出さずに挨拶を交わす。

「お先に失礼します」

彼女の方がこっちを睨むのはなぜだろう。
それに大越さんが慌てているというか、怒っているというか。
ま、いいや、私には関係ない。
歩調を速めて地下鉄の駅へ向う。
今日も疲れたからさっさとお風呂に入って、風呂上りにはビールなど、なんてささやかな幸せをかみ締めながら家路に着く。


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8.11.2004update
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