03・投げられたボール |
梅雨時前のさわやかな青空の下、なぜか私は響さんの大学のグラウンドに立っている。 事の発端は、先週末にあったりする。 「ソフトボール大会?」 「ええ、研究室対抗なんですけど、新入生の歓迎イベントでもあるんですよ」 「歓迎イベントですか」 「はい、それでよかったら見学にきません?」 「行っていいんですか?だって関係者じゃないのに」 ソフトをする響さんを見てみたいのは山々だけど、でも、私のような立場の人間が軽軽しく入っていいものでもないと思うし。 「ええ、大丈夫ですよ。学生さんもそれぞれ連れてくるみたいですし・・・、いる人間はですが」 「えっと、翼(※)さんとかも参加する?」 「もちろんですよ、こういった行事“は”大好きみたいですから」 なにやら含みがある言い方だけど、それでも話した事がある人がいる、というのは心強いかも。 「じゃあ、行ってみます」 そんな会話が頭の中で再現されてしまう。 研究室の人たちの彼女はやっぱり同じ大学の人が多くて、正直私は浮いてしまっていると思う。ひょっとすると年齢も下なのかもしれない。チラチラとこちらを窺う視線はあまり好意的なものとは言えない。以前話したことのある翼さんが気を使って話し掛けてくれるのが救いかも。そうじゃなければ、この視線に負けて逃げ帰ってしまいそう。 あまり運動が得意ではない人が多いらしく、響さんはフル参加している。体育会系のサークルだったみたいだし、運動は好きみたい。機敏にプレイしている姿を見るのは、ちょっと・・・ううん、すごーーく嬉しい。 恋人の姿を今更ながらに見惚れながら見ていると、横から声がかかる。 知り合いなんかいないのに、そう思って振り向くと、どこかで見た覚えのある女性が立っていた。 「あなた、一ノ瀬君の恋人よね」 落ち着いた雰囲気の明らかに頭のよさそうな女性がこちらに話し掛けてくる。どこで会ったのか必死で思い出そうとする。 「この間はごめんなさいね、突然お邪魔して」 その言葉に、この女性は響さんの同級生なのだと思い出した。あの日突然開いたドアの先に見た驚きの表情すら同時に。 「いえ・・・。あの、響さんの同級生の方、ですよね」 「ふふ、はじめまして、といった方がいいのかしら。清水奈保美、同じ大学出身で、今はこの大学で助手をしているわ」 差し出された手にあわせ、私も右手を差し出す。外国にいっていたせいか、そう言った仕草がとても様になっている。 「はじめまして、井川千春です」 失礼がないように緊張しながら答える。その間も彼女はこちらを値踏みするような視線を投げつけてくる。 「一ノ瀬君も趣味が変ったわよね」 突然切りつけられた言葉に、一瞬声が詰まる。隣で翼さんが怪訝そうな顔をしている。 「前はもっと聡明な女性ばかりだったのに」 クスリと微笑んだ。穏やかな顔立ちと表情で柔らかい印象を与えている彼女が、こんな皮肉を投げかけてくるなんて想像していなかった。最初に感じたこちらを射るような視線、それが私に対する彼女の本質なのだと気が付かされる。 「そうですか」 がんばって平静を装ってみる。 響さんの年齢なら彼女の一人や二人いてもおかしくはないし、その人たちが同じ大学だったのなら、きっと頭もよかったのかもしれない。私と違って。 「本当にがっかりしたわ」 余裕の笑みで繰り出される言葉がチクリと胸を突き刺していく。 「清水先生、何がおっしゃりたいんですか?」 今まで黙ったままだった翼さんが間に割ってはいる。 「別に、ただちょっと感想をね」 「彼女の若さに驚くのはわかりますが、ちょっとひどくないですか?」 私が聞きたかったことを的確に聞き出そうとしてくれる。 「そうかしら、純粋に比較検討してみただけよ、前の彼女達と」 「偏差値は高くても常識は低いんですね、口に出していいことと悪い事もわからないなんて」 何も言えないでいる私に代わって翼さんが本気で怒って言い返してくれている。当事者であるはずの私は、あまりのことに思考回路がとまり、何も考えられないでいる。 「千春ちゃんは性格もいいしなによりかわいいし。一ノ瀬先生にはぴったりだと思いますけど」 「保護者と子供みたいよね、二人をみてると。そのうちオモリにも飽きるんじゃないの?」 私がいくら努力してみても、越えられない部分を指摘されると泣き出したくなる。だって、私達の年齢差はいつまでたっても越えられないものだから。 「何くだらないことを言ってるんですか」 突然掛けられた声は、いつもの穏やかなものじゃなくて、明らかに怒りの色を漂わせている。 「響さん」 いつのまにかソフトボールは攻守が交代していて、攻撃側となった響さんがこちらの方へ近づいてきていた。 そんなことにも気が付かずに口論を続けていた私達は、響さんの出現に驚いてしまう。 「清水さん、わざわざ近づいてきてまで嫌味を言うのはやめてくれませんか?」 「別に嫌味を言ったわけでは」 「あなたと私はそれほど親しい関係ではありませんでしたし、現在もただの同僚です。千春さんの存在は関係ないでしょう、あなたにとって」 「それはそうだけど」 口篭もる清水さんに貼り付けたような笑顔を見せて言葉を続ける。 「ご自分の研究室の応援に行かれたらどうですか?くだらないことはやめて」 きっぱりと言い放たれた彼女は温和な顔を少しだけひきつらせながら場を離れていく。 残された私達はなんとなく彼女の背中を追いかけてしまう。 「すみませんでした、千春さん。彼女があんなことを言い出すなんて思いもよらなかったので」 本来の優しい響さんに戻った彼がすまなさそうな表情をする。 「いえ、大丈夫です。気にしてませんから」 本当はものすごく気にしているけど、これ以上哀しそうな顔をする響さんを見ていたくない。 「渡会さんもすみませんでした、嫌な思いをされたでしょう」 「私は全然ですけど、なんていうか、たぶんまた何か言ってきそうな雰囲気でしたよ、清水先生」 先程までの重苦しい雰囲気を一瞬で粉砕するほどの明るい声で翼さんが忠告をする。彼女がいると場が明るくなるとは思っていたけれど、こういうときにとても助けられる。 「正直なこと言いますと、彼女の事良く知らないんですよね」 「同級生なのに??」 「千春さんのところはあまり規模が大きくないですが、なにせ人数が多かったですから」 「私も正直名簿の前後と研究室のメンバーとそこと付き合いのある研究室ぐらいしか知らないや」 「そうなんですよ、私もその通りで。ドクターに進学する人間は限られてはきますが、それでも交流のない研究室ですと、卒業するまで話した事がない人も多々いたりしますよ」 「そんなものなんですか・・・。よく知らない世界だから」 響さんと翼ちゃんが共有している部分はきっと私は一生近づけないんだろうな、そんなことを思ったらなんだか響さんの存在まで遠くへいってしまいそうで不安になる。 「もう会う事はないでしょうが何かあったらちゃんと言ってくださいね」 そう言い終わった響さんはあっさり3者凡退に倒れ、全員が守備につくために呼び戻されていった。 「千春ちゃんも、気にしない方がいいよ、言葉は悪いけどただのヒステリーってかんじだし」 「そういえば翼ちゃんの彼氏さんってすっごくもてそうだよね。心配じゃないの?」 「心配心配、もう年中不安だし」 苦笑した翼さんとソレから先は“いかに自分達が不安なのか”を話すのに夢中で、肝心の応援をほとんどしないで終わってしまった。 突然現れた同級生。 私の知らない響さんを知っている彼女。 漠然とした不安が大きく広がっていく。 どれだけ触れていても彼が遠くへ行きそうで。 どうすればこんな思いにかられることがないのかわからない。 ※・・・「先輩以上恋人未満」の渡会翼、今回のシリーズでは修士2年生。 |