01・嵐は突然に |
「歓迎会?」 「はい、なんでも理学部と工学部合同でやるらしくて」 「へーー、なんか色々あるんですね」 響さんと付き合い始めて1年近くなる。のんびりしている私のペースに合わせて響さんものんびりとしたお付き合いをしてくれている。年の差に躊躇っていた私だけど、肩肘張らずに、変な背伸びをしないでお付き合いできているのは、きっと響さんのおかげだと思う。 「えっと、ですから、金曜日の夜ですが・・あの、いつもより早く帰れそうなんです。ですから、待っていてくれませんか?」 照れながらもきちんと言う事は言う響さんがちょっと赤くなりながらも提案をする。 「もちろん、喜んで。じゃあ、何か簡単に食べられるものでも用意しておきます?」 「あ、はい。ありがとうございます。宴会だとあんまり食べられないんですよね」 「えー、せっかくの宴会なのに食べられないの?」 「はい、他大学ですが、学生時代の先輩がいるんです・・・。死ぬほど飲まされます」 「先輩は死ぬまで先輩ですもんね」 「年齢は飛び越せませんから」 溜息をつきつつも、ちょっぴり楽しそう。 「そういえば、今年度は新しい助手の方が見えましたよ」 「助手?」 「ええ、ドクターを卒業したばかりの若い人です」 「響さんも若い人、じゃない」 「そうですね、確かに。まだまだひよっこです」 そうやって笑う響さんの顔はとても眩しくて。未だにその笑顔に見惚れてしまう自分がいたりして。ああ、今から週末が楽しみ。 時計の針が10時を回っている。1次会だけで帰るから、絶対帰るから、と念を押していた響さんのことだから、そろそろたどり着く頃かもしれない。 無理やりにでも時間を作らないと、会う事すらままならないからと、滅多にないことだけれどもこうやって響さんのお家へ泊るようになってどれぐらいたつんだろう。おまけに両親公認だし。読んでいる文庫本を机の上におき、一息つこうと立ち上がったところに玄関の方で音がした。 「響さん?」 鍵を開け、ドアノブを回す音がする。嬉しくって思わず玄関の方へと走り寄る。 「ただいま」 ドアから見慣れた長身の男性が姿を現す。 「おかえりなさい」 こういったやりとりは慣れていなくて少し照れる。 「ごはんは?」 「そうですね・・・」 響さんが後ろ手でドアを閉めようとした瞬間、ものすごい勢いでドアがはね開けられ、勢い余って響さんは廊下に倒れこむ。 彼の方へと手を差し伸べる間もなく、開け放たれた玄関には二人の人間が呆然と立ち尽くしていた。 「ここって一ノ瀬んちだよな」 「うそ・・・」 「痛い」 三者三様に呟きつつ、見知らぬ二人はじっとこちらを凝視している。 この家で響さんを待つ日は、大抵お風呂を先にいただいているため、パジャマ姿の私は羞恥心に咄嗟に両腕で身体を隠す。そんなことはお構いなしに彼らは唖然とした表情のままこちらを窺っている。 「痛い、って。先輩!!」 「おう、一ノ瀬、そんなところに転がってたのか」 「転がってたじゃないですよ、どうせドアを蹴飛ばしたんでしょう」 「気にするな、いつものことだ。それよりもお前、このお嬢さんは誰だ?」 ゆっくりとこちらを指差しながら響さんに説明を求める。立ち上がった響さんは慌てて私を背中に隠す。 「彼女です、恋人です、婚約者です。わかりましたか?」 畳み掛けるようにしてあらゆる単語を並べる。 「わかりましたかって、おまえ、その子随分若くねーか?」 「説明は来週しますから、ともかく帰ってください」 未だにわけがわからないといった顔をしている二人を玄関の外へと押し出す。 「清水さんも何やってるんですか、先輩の悪巧みにのるなんて」 「いや、ごめん・・・一ノ瀬君の家に興味あったから、つい」 言い争う声はやがて玄関のドアに遮られ、よく聞こえなくなっていった。取り残された私は先輩のことよりも清水さんと呼ばれた女性のことがひどく気になる。 少したってからひどく疲れた顔をした響さんがドアをさっさと閉めて、おまけにすぐさまドアチェーンをかける。 「すみません、千春さん。あの人たち、先輩と同級生です」 「同級・・生?」 「はい。ともかくこんなところではアレですからリビングにいきませんか?」 「あ・・、うん」 促されるままにリビングへ進む。読みかけの単行本が置いてある部屋は私の抜け殻のような形で放置された毛布が佇んでいる。 手早く二人分の珈琲を入れた響さんが私の隣へ腰を下ろす。 「えっと・・・驚きました?」 「・・・驚きました」 「まさか、私の後をついて来てたとは気が付きませんでした。まったくあの人ときたら」 驚くやら呆れるやらで心底うんざりした顔をした響さんが呟く。 「あの、同級生って?」 「ああ、清水さんといって、今年こちらへ赴任されたんですよ」 「赴任?」 「はい、彼女はずっとパーマネント(※1)がとれなくて、アメリカでしばらくポスドク(※2)生活をしていたらしいんですが、やっと落ち着けるみたいですねぇ」 助手の枠やらポスドクのシステムについて、さらに詳しい説明が続くのだけれど、何かがひっかかっている私は上の空。 響さんの同級生、そりゃあ、私のようなどちらかの性しかいない大学じゃなくて、まして総合大学なんだから、いてあたりまえ・・・なんだけど。 驚きの表情の次に、私に対して挑むような視線を投げかけたような気がした。 気のせいだと気持ちを落ち着かせようとするのだけれど、胸がざわざわしてくる。 こんな嫌な予感あたらなければいいのに。 目の前の響さんが遠くに行きそうで、不安で心配でその胸に額を寄せる。 「千春さん?」 突然擦り寄ってきた私に戸惑いながらも優しく抱きしめてくれる腕。 嬉しくて切なくて。 ずっと、私だけのものだといいのに。 聞こえないように呟いた。 ※1・・・企業でいうところの正社員にあたる存在という意味で使用。独立行政法人化後の元国立大学では、助手、講師、助教授、教授などの常勤ポストのこと。 ※2・・・ポストドクターのこと。こちらはドクターを取得した後、一定期間の契約で大学などの研究機関で働く研究員のこと。 |