こんな恋シリーズ・番外編9.22.2004
不安と安心と信頼と

ピンポーン

響さんのお家へお邪魔しているとき、唐突にチャイムがなった。

「すみませんが、見に行っていただけませんか?」

申し訳なさそうに頼みごとをする響さんはフライパンを片手に昼食を作っている最中。
きちんと自炊をしているのにこの家にはエプロンというものがなくって、この間私が密かに購入しておいたエプロンをしている。 その姿がとてもかわいいだなんて、口に出しては言えないけどね。
そんなたわいもないことを考えつつ、玄関の方へと急ぐ。
この辺はそんなに物騒でもないみたいだけど、念のため玄関先で相手を確認する。

「どちら様ですか?」

けれども人の気配はするのに無言。
気になるのでドアスコープで覗いてみる。
そこには私と同じ歳ぐらいの女の人が立っていた。
なんだろう・・勧誘の人かな?そう思いつつもう一度声をかける。

「どちら様ですかー」
「あなた誰?先生の身内?」

今度は刺々しい声で返事が返ってきた。でも、今先生って言った?

「あの・・一ノ瀬さんの知りあいの方ですか?」

どうやら相手は響さんの職業を知っているらしい。だから全く知らない勧誘の人という可能性はないんじゃないかな。

「そっちこそ誰?私は学生です」

学生さん?だったら研究室の人かな。でも女の人は翼さん以外いなかったと思うけど。
ドアを開けていいのか判断しかねている私に、響さんから声がかかる。

「千春さん知り合いですか?」

この場合それは私が知りたいことなんですけど。無言で彼に訴える。
彼はゆっくりとこちらへ向ってきて、チェーンを掛けたまま少しだけドアを開放して相手を確かめる。

「・・・・・・誰?」
「一ノ瀬先生!!!私です落合久美子です」
「落合・・・さん??」
「覚えてないんですか?」
「はぁ、失礼ですけどどこかでお会いしましたか?」

本気で覚えていない風な響さんととてつもなく落胆した声の彼女。

「先月の一般の授業で化学を教えてくれたでしょう」
「ええまあ、一般教養の授業も教えてますが」
「それに出席していた落合です。経済学部の」

経済学部って、響さんには全く関係ない学部じゃないのかな。彼は理学部所属だし。
それに総合大学の一般教養の授業って。

「150人からの受講生を全て覚えるのは無理ですよ」
「ほんとに覚えてないんですか!!!」
「はい。申し訳ないですが、数回しかない授業の他学部の学生さんまではちょっと・・」
「そんな!だって、授業中こっちばっかりみてたじゃないですか。だから」

話が変な方向にずれている気がする。それにこの流れというか押しかけてきたところからわかりそうなものだけど、 ひょっとして彼女は響さんのこと。

「私に一目惚れしたんじゃないんですか?」

ドアをそのまま閉めてしまいそうなほど衝撃を受けている。
後ろで聞いている私も驚いている。まさか自分が好きで押しかけているんじゃなくって、 自分が好かれていると思って押しかけてきていたなんて。

響さんは心底参った、という顔をして額に手をやり俯いている。
こういった場合の対処の仕方がわからないらしい。
やっぱり私もわからないんだけど。
やっとのことで口を開いた響さんは仕方なしに一から言い含めるように説明を始めた。

「あのですね、授業中はできるだけ均等に視線がいくように配慮していますし、 そうしなかったとしたら恋愛感情じゃなくてマイナス要素がそちらにあったからでしょう」
「マイナス要素だなんて・・」
「先月の授業でしたら授業中に携帯をいじっている学生さんが見えましたが、 そういったことをされていましたら多少はそちらに視線が向くかもしれません」

携帯だなんて。私の通っている大学は幼稚園からの一貫教育を誇る女子校でおかげか、 今時ものすごくマナーに厳しい。携帯を出していたり、まして操作や着信音など鳴らしてしまうとその単位はもう諦めた方がいい、 というほど徹底している。
ドア越しでは半分ぐらいしか見えない彼女は図星だったのか黙ったまま俯いている。

「それに大学の学生さんに恋愛感情を抱くことはありえませんので、そういった心配はしないでもいいですよ」

あくまで静かに淡々と話し掛ける。こういったときの響さんは少し冷たい感じがする。

「ありえないって、だったらその子はどうなの!学生でしょ」

チラッと見える私の方を睨みつけるようにする。

「彼女は同じ大学ではありませから」

納得するようなしないような。もし私があの大学の学生だったらどうするんだろう、なんて意地悪な質問が頭をよぎる。

「なにそれ?同じ大学じゃないってだけで対象になるわけ?そんなの詭弁じゃない」

イライラしてきた彼女がちょうど私の気持ちを掠めるような質問をぶつけてくる。
確かに同じ大学なだけで対象外というのは、ただそれだけで土俵にすら上げてもらえないなんて、 私が同じ立場でもひどいって思ってしまう。
でも、そんな激昂をぶつけられてもなお冷静に受け止める。

「言い方が悪かったですね。彼女以外は対象になりえませんので安心して下さい。 それに彼女が同じ大学だったとしたら、私は卒業まで待ちます。それが私のポリシーですから」

最後にニッコリ笑って「気をつけてお帰りなさい」と言ってドアを閉めた。
こういうはっきりとしたところも響さんのいいところなんだけれども。
多少浮かない顔をした私に響さんが優しく笑いかける。

「どうされました?」

他人との線引きをはっきりする響さんに対していつも感じる不安。
わたしもいつかあちら側の人間になってしまうんじゃないかっていう。
そんなこと考えても仕方がないのに、こういった時に思い返したように胸がチクチク痛む。
切り捨てている場面を見るたびにきっとこんな思いにかられるんだろう。
でも優しく受け入れる彼になって欲しいわけじゃないし。
何をぐちゃぐちゃ考えているんだろう。また嫌な思考に嵌りかけてあわてて首を左右に振る。

「千春さん?」

彼を見上げて微笑む。大丈夫、彼に見合うように強くならなくちゃいけない。

「ううん、なんでもない」

響さんは何かを言いかけて、それでも途中でそれを飲み込んで、穏やかに微笑んで私の髪に口付けを落とす。
背中を2-3回そっとなでて気分を落ち着かせてくれる。

「ごはんできましたから」

そっと握られた手を握り返す。
大丈夫彼の笑顔があれば。
言葉がなくても言葉があっても、私は響さんのことが好き。
ただそれだけ。



穏やかな休日の午後は彼の膝の上でまどろむ。
私の頭の上で難しい本を読んでいる響さんがいる。
お願いだからこのままで、優しい時間と優しい彼を独り占めにさせて。
眠りにつくほんの少し前に思う私の我侭。

いつもの休日が過ぎていく。


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