「とりあえずお茶でも飲むか?」 「うん、おなかいっぱいで死にそう」 はははっと笑いを飛ばし、急須にお湯を注いでいる。あまりこの家には食器類がないのか、緑茶なのにマグカップに入れられてきた。取っ手を持ち上げ、ちょっとだけ口をつけたら緑茶の爽やかな味と香りで少しだけすっきりした気分になった。 「テレビ見る?」 「や、このままでいいや」 会話があまりなくても、なんとなくこの空間は心地がよい。きちんと整理された部屋だというわけじゃないのに、私がここにいてもいいのだと、そんな錯角に陥らせてくれる。たぶん、先生の人柄のせいだと思うのだけれど。 「宮下さんは進学?」 「んーーー、どうだろう。正直まだ決まってないや」 「そっか、でもそろそろ決めないといけないんじゃない?」 まだ2年生とはいえ、もうすぐ3学期になってしまう。だからそろそろ本格的に進路を決めないと来年のクラス編成に間に合わなくなってしまう、らしい。 「そういえば、先生はどうして先生になろうと思ったわけ?」 「え?」 唐突に話を振られた先生はちょっと困った顔をした。私はその顔をする先生が好きかもしれない。 「まあ、俺にしても別に大した理由があったわけじゃないんだけど」 「で?」 ますます困った表情を作る先生がかわいくてついついいじめたくなってしまう。 「わりといい先生が多かったんだよ、俺の学生時代。で、なんか俺もその中に入りたいなぁなんて、単純に考えててさ」 「迷いもせずに?」 「うん、迷わずにそういう大学選んで、そのまま突っ走ってるってわけ。な、単純だろ?動機なんてないようなもんだ」 「でも、なんか先生らしい」 「それは考え無しってことか?」 「違うって」 クスリと笑って否定する。先生の真直ぐな基質だとか素直な性格だとかを良くあらわしていると思う。学生時代からきっと可愛い人だったんだろうな、なんて。 「まあ、そういうこったから、あんまり難しく考えなくてもいいんじゃねーの?とりあえず大学行っておくっていうのも手だしな」 「そう、ですね」 私の基準は素直な先生とはまるで懸け離れたものだった。私はただ彼と離れるのが嫌で、自分自身の進路を決めようとしていた。親元を離れるのが嫌だとかそんな理屈をつけて。 きれいな先生とは違って、私はこんなにも汚いのだと思いしらされる。 「宮下?」 いつのまにか考え込んでいた私に上から声がかかる。 先生は上着を手にとり、出かける準備をしている。 「あのさ、もう帰った方がいいんじゃないかな、なんて」 時計の針はすでに9時を回っている。もっとも彼の家から帰る時は日付けがかわっていたりもするのだから、私の中ではまだまだ早い時間に入るのだけれど。 「なんつーか、これ以上一緒にいたらやばいっつーか」 「やばい?」 「いやあ、まあ、色々と」 鼻の頭をぽりぽりと掻きながら照れ笑いをする。 先生の言わんとすることがわかって、私も思わずその照れがうつってしまう。 とりあえず荷物、といっても通学用の鞄だけだけど、を持ち先生の後へと続く。 さすがに制服姿の私と手を繋ぐのはだめだと思ったのか、それとも他に理由があるのかわからないけれど、私の半歩前を黙って進む。私は大人しく先生の背中を追い掛ける。 少し手を伸せば届く距離なのに、とてもとても遠く感じる。立場の違いといったものを思いしらされる。 黙々と歩く帰り道、彼の家の近くを通り過ぎる。なんとなく癖でマンションの部屋の明かりを確認する。 真っ暗な窓はまだ家主が帰宅していないことを知らせてくれている。 ぼんやりと窓を眺めていたら、左の方から声がかかった。とても懐かしく、そして今一番聞きたくない声。 「雅」 反射的に振り向いたそこは彼のマンションの入り口。当然そこにいるのは私が追い掛けて追い付かなかったその人。 「宮下さん?」 歩きをとめた私に気がついた先生がこちらへ近寄る、それを見た彼の眉根が厳しく寄せられているのがわかる。いつも険しい顔をする人だけれども、こんなにも冷たく射るような視線を浴びせられたのははじめてだ。 「ふーん、そっか。最近こないと思ったら」 タバコの匂いが近付いてくる。ゆっくりとこちらへと向かってくる彼を自然と私も厳しい表情でみつめてしまう。 「で、そいつが新しい相手ってわけ」 「ちがっ!!」 ばかにしたような視線を先生へと向ける。 「もう、こいつと寝たの?」 宣戦布告のように先生へと言葉を切り付ける。明らかに私とそれ以上に先生を侮辱した言葉に思わず彼を突き飛ばす。 「あなたと一緒にしないでよ!私が薫さんのいとこだからって抱いただけなくせに」 「宮下さん」 先生が隣にいるのに感情が止まらない。 「誰でも良かったんでしょ?告白も出来ないくせに、それでも忘れられなくって私を身代わりにしたんでしょ!」 私にやられたことが信じられないのか、みっともなく尻餅をついたままこちらを丸い目で見上げている。 「男だったら一度ぐらい男らしくしてみなさいよ」 「みやび・・・」 大声で喚く女子高生と大人の男二人。おまけに一人は座り込んでいるなんて相当目立つ。行き交う人々が何ごとかとちらちらとこちらへと視線をよこす。 「そうよ、私だってみっともないわよ!いつかはこっちを見てくれるって思ってて家に行っていたんだから」 「おまえ、俺の事」 「好きよ、好き。好きだったわよ!!!そんなこともわからなかったの?」 呆然としている男二人をよそに、私の告白めいた言葉は終わらない。 「でも、そんなものも過去形よ!!!言ってすっきりしたわ、もう未練なんかまるっきりないんだから」 先生の腕に手を添えて、この場を立ち去る。呆然としたままの彼を取り残して。 |