kiss:第6話(12.6.2005)

なんとなく日課のように部室へと顔をだす。
あれ以来先生は私に触れようとはしない。時々切なそうな顔でこちらを見る先生に思わず飛び込んでいきたくなる衝動が走る。

「宿題やってく?」

先生の顔をして、にっこりと微笑む。
私も生徒の顔をして笑顔を返す。
穏やかな時間が流れていく。彼の事を思う時間が徐々に減っていく。
それでも制服のポケットに仕舞いこんだ合鍵を捨てることは、まだできない。



「先生、私今日誕生日なんですけど」
「え?」

そう言ったまま先生は固まってしまった。

「や、別に言ってみただけだから、気にしないで」
「・・・・・・・・・、いや、気にする」

言ってから何を期待しているんだ自分って自分自身に突っ込んだ。恥ずかしくって顔があげられないから、宿題のノートをじっと見つめてみる。

「えっと、ごめん、プレゼントとか用意してないし」
「や、本当に気にしないで。ごめん、よけいなこと言って」
「あ、えっと、違う違う。俺が宮下、雅さんになにかしたいだけだからさ。なんつーか、自己満足っていうか」

見慣れた照れた表情を浮かべそんなこと話し出す。

「えーー、でも、年頃の女性が喜びそうなものって、わからないし」
「先生、本当にいいってば」
「だめ?」

思わずあまりにかわいい仕種に「だめじゃない」って返事をしてしまった。
私は先生のこんな顔に弱い、私の方が年下だけど母性本能をくすぐられるってかんじ。

「あの、ごはん食べにいく、とかじゃ・・・・・・・・・だめだよね」

そこまで言ってから、私と先生はそうやってプライベートに会ったりしてはいけない立場なんだって気がついた。この密室の中ではそんなことを気にしないでいられたけれど、外へ出てしまったらそうもいかない。先生の立場が危なくなるようなことはしたくない。

「それは、やっぱ。まずい・・・かな。あ、でも、俺の家へくれば・・・」

今度は先生が言葉の先を続けられないでいる。自分が何を口走ったのか気がついたらしい先生は、さっきとは比べ物にならないほど顔を真っ赤にさせていた。

「あの、別にいやらしい意味っていうか、あ、いやらしいって、その」

その仕種がおもしろくて思わず笑いが込み上げてくる。

「先生がどうこうするなんて思ってないですよーだ」

舌を出しておどけてみせる。

「先生の家でよければお邪魔したいかも、でも残念ながら私料理できないですよ?」
「あ、それは俺ができるからっていうか・・・・・・・・・いいの?」
「いいですよ、別に。何もしないんでしょ?」

意地悪くトマトのような先生に微笑んでみせる。

「じゃあ、えっと」

そう言いながらごそごそとメモ用紙を取り出し、簡単な地図をかき出した。
ぺりっとそれを剥がし、私へと渡す。

「これ、俺んちだけど、わかる?」
「大丈夫、なんとかわかりそう」

先生のうちは彼の家ととても近い位置にあった。そのことに少し胸が痛んで、そっと制服を握りしめる。

「それであんなところで会ったんですね、先生と」
「そういうこと」

ニカっていつもの笑顔を見せる。その笑顔に胸の痛みがやわらいでいく。



 メモを頼りによく慣れた町並みを歩く。目的地が違うだけでこんなにも気分が違うだなんて思わなかった。ちょっとわくわくしたような気持ちで道を急ぐ。

「ここ?」

大学生が住むようなマンションを見上げ一人で呟く。当然返事をする人なんていないけど。
急に怖じけずいてわざと時間がかかるように階段を昇る。
緊張に震える指でインターフォンのベルを押す。
中から豪快なゴトっという音と、先生の返事が聞こえてきた。
勢い良く開かれたドアにぶつかりそうになって、慌てて後ろへ下がる。

「ごめん、ちょっとあわてていて」

そっと先生の横から部屋を伺うと、倒れたままの椅子と派手に中身をぶちまけたカップが床に転がっていた。

「そんなにあわてなくてもいいのに」
「や、なんか現実味が薄くって」

照れを誤魔化すためなのか、豪快にニカって笑う。ああ、この笑顔は好きかもしれない。彼の笑顔なんて見たこともないから、冷笑ならあるけれど。なんて、また彼と先生を較べるようなまねをしてしまい、自己嫌悪に陥る。
先生は相変わらず笑顔で私を招き入れる。
思ったよりもきれいな部屋に驚いていると、あわてて掃除したからって笑い飛ばされた。あの部室の惨状を知っていれば、この部屋がどんなだか想像するのも恐ろしかったのに、とりあえず私が片付ける必要はないらしい。

「えっと、ごめん狭いけど、とりあえずそこに座っててくれる?」

二人がけのテーブルにシンプルな椅子が二つ台所に置かれている。ここがキッチン兼ダイニングといったところだろうか、確かにちょっと狭いけれども。

「お腹空いてる?っていうか俺がもうはらぺこなんだけど」

先生らしくてクスリと笑いが漏れる。
本当に先生といるといつも笑っているような気がする。
エプロンもせずに台所で手際よく料理をしている先生を横に、ちょっと落ち着かない気分で適当に雑誌を手にとる。普段はあまりよまない少年マンガの週刊誌をぱらぱらとめくる。
結局一つもわからなくって、再び雑誌を閉じる。手持ちぶたさになった私は、はしたないとは思いながらも先生の部屋を見渡してしまう。
無造作に積み上げられた雑誌、カラーボックスの中は趣味の本だろうか乱雑に突っ込まれている。このうちはいわゆる1Kというやつなのか、台所ともう一つ部屋があるらしい。たぶん寝室なのだろう、扉がきっちりと閉められている。

「どうしたの?」

フライパンを持ったままこちらを振り向いて先生が質問をする。

「ごめんなさい、ちょっと面白そうで」
「いや、いいよどこ見ても。汚いけど」

そう言われても、扉を開けてまであちこち覗くのはさすがに失礼だろうし。
そんなことを考えながらあちこち視線を飛ばしていたら、にんにくのいい香りが漂ってきた。

「ぱすた?」
「そう、今から御飯を炊くのは時間がかかるしね。これなら手軽」

湯であがったパスタをざるに開け、手早くフライパンで絡めている。料理人みたいでちょっとかっこいい。

「さ、完成。おまたせ」

出来上がったパスタは男の人っぽく大雑把な盛り付けだったけど、味は想像よりもずっとおいしかった。テーブルに向い合せで食事をする、といったシチュエーションに急に恥ずかしくなり、思わずお皿に集中してみる。私一人では食べきれないであろう量のパスタと格闘する。

「限界?」
「ん・・・」

食道の入り口まで詰まってるんじゃないかってほどがんばって食べたにもかかわらず、先生が盛ってくれた食事を片付けることができなかった。フォークの先が行き先不明の状態で遊びはじめたのを見た先生が、声をかけてくれた。

「そっか、宮下さんって小食なんだ」
「先生、普通だと思いますけど」
「おっかしいなぁ、姉貴なんかは軽く平らげる上に、デザートはってのたまうぞ」
「それって、先生のお姉さんが特別だって」
「うーん、そっか?まあ、運動部だったからっていうのもあるけど、それにしても宮下さんはそれだからそんなに華奢なんだ・・・」
「華奢っていうか、私みたいなのは貧相っていうんだって」
「や、でも出るところは・・・」

そこまで言ったところでしまったという顔をして、私のパスタを無言で自分の方へと運ぶ。残りのパスタは先生の胃袋にあっさりと納まってしまった。

to be continued...
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