「珍しいな」 突然彼の家へ行っても、当然社会人である彼が所詮高校生の帰宅時間に在宅しているはずはない。誰もいない部屋に黙って上がり込み、適当に彼の集めた本を読んでいた私に第一声がかかる。 「そう?」 時期を置かずにやってきたことなのか、こんな時間からのこのこと上がり込んでいることなのかわからないけれど適当に相槌をうつ。 先ほどから同じページが開かれたままとなった小説を思いきり良く閉じる。今の私には一文字だって入ってこない。 「どうする?」 私の様子などおかまいなしに寝室の方へと親指を向ける。 つまり、そういうことだ。 「ん・・・」 暗黙の了解のようにそのまま寝室の方へと転がり込む。さっさと着ているものを脱いで一人でベッド中に潜り込む。それに習って彼も黙って私の横へ入り込んでくる。 彼の手が触れる。 いつもは暖かいと感じていた彼の手がとても冷たい。別に私の中で何かが変わったわけでもないのに、どうしてそんなふうに感じてしまうのかわからない。 たかが男の人にキスされたぐらいで心がざわめくなんて、今行なっていることを考えたら笑い飛ばせるぐらいのことなのに。 まるで機械仕掛けの人形のようにぎこちなく応える。 彼が、誰を好きでも私はかまわないと思っていたのに。 不安で不安でどうしようもなくなるのは、どうしてだろう。 この世で一番彼の側にいられる行為だと言うのに、ただそれだけでよかったはずなのに。 涙が出そうになって思わず彼にしがみつく。 「調子悪いのか?」 「べつに・・・」 いつものようにタバコを吸いながらちょっとした雑談を交わす。 「べつに、か。それ雅の口癖だな」 曖昧な笑顔を浮かべる私の髪を掬う。薫さんに近付きたくて必死で伸した髪を彼は愛おしそうに撫でる。まるで誰かさんの代わりのように。 ぞくりと背筋に寒いものが走り、思わず彼の手をかわす。 「帰る、から」 「もう?」 「いつもそんなもんでしょ」 乱雑に脱ぎ散らかした制服を再び身に纏う。そういえば制服でやってきたのは初めてかもしれない。 急いで身支度をする私を黙ったまま見つめる彼は、次のタバコに火を付ける。 制服のほこりを払い、リボンを確認する。 これ以上ここにきてはいけない、そんな思いに駆られるのはいつものこと。だけど、今日はいつもよりずっとずっと強く、後悔の二文字が浮かぶ。 私は誰からも都合のいい女としか扱われないのか、なんて子供の癖に考えたりもする。 あんなに人の良さそうな先生があんなことをするなんて。きっと私は隙だらけでそういうことをしてもかまわない人間だと思われていたんだ。混乱のままに自暴自棄な方向へと考えがなだれこんでいく。 「雅?」 後ろから声をかけられ慌てて彼の方へ振り向く。 ここは彼の家だというのに、どうして知り合ったばかりの先生のことがちらつくのか。 あんなことはなんでもないことなのだと言い聞かせる。そうしている間にも思考は先生に支配されていることにも気がつかずに。 「言えばよかったのに」 「は?」 唐突に沸き上がった衝動は、こんな関係に疲れきっていたからなのか、先生のせいなのか。 衝動のままに言葉が暴走する。 「そんなに薫さんのことが好きなら言えばよかったのに!」 「おまえ・・・」 まさか私が薫さんのことを好きだということを知っているとは思わなかったのか、タバコを持つ手が止まる。厳しい表情で眉根を寄せこちらを睨み付ける。 彼が口を開こうとした瞬間に声をかぶせる。 「ガキがしった風な口を聞くな!でしょ」 目を丸くして私を見つめる。 「前に聞いたわよ、そんなこと。ええ、わからないわよ、ガキの私を身代わりにして欲求を発散させてるような男のことなんて」 「身代わりって」 呆然としたまま二の句がつげない彼をそのままに、言いっぱなしで部屋を飛び出す。 もう二度と来ちゃだめだ。 いつもそう思うのに、それでも未練がましく、ポケットにいれた合鍵の存在をそっと確認する。 もう戻れないかもしれないのに。 |