kiss:第3話(11.22.2005)

「宮下さん?」

部活にも入っていない私は授業が終わると早々と帰宅する。今日もいつものように鞄を片手に校舎を出たら、更衣室前にある自販機にいる男性に呼び掛けられた。あまり先生方に呼び止められることがない私は驚いて立ち止まり、そちらの方向へと体を向けると、そこにはニコニコとコーラを片手に片手を振っている山崎先生が立っていた。

「こんにちは」

慌てて、とりあえず挨拶の言葉を口にする。朝のおはようはなんとなくさまになるのに、「こんにちは」は間抜けだな、なんて思いながら。

「はい、こんにちは」

山崎先生はこちらの戸惑いなんて気にもとめないのか、穏やかに挨拶をかえす。

「宮下さんは部活入ってないの?」
「え?ええ、はい。入っていませんが・・・」
「そっか、そうだよなぁ。うちの学校ってあんまり熱心じゃないしなぁ」
「はぁ・・・」

あくまで穏やかに、先日出会ったのが初めてだなんて思わせない口振りで会話が進んでいく。

「塾とか?」
「いえ、それも、まだ」

さほど教育熱心とは言えない我が家では、そのあたりはとことんルーズである。それに乗じて私も好き勝手なことをしているんだけれど。

「あれ?じゃあ、今から暇?」
「ええ、まあ」

曖昧に答えた私はニカっと笑う山崎先生の豪快な笑顔に引きずられていった。





「で、先生、結局これを手伝えと」
「うん、まあ、そういうことなんだけどね」

ゴミの山を目の前にしながらバツが悪そうに頭をかく山崎先生。
本当のところはあまり悪いとは思っていないだろうことが、その口振りから窺い知れる。

「いつからためこんだんですか?これ」
「気がついたらっていうか、なんていうか・・・」

ここは写真部の部室の入り口付近。というか、写真部なるものがこの学校に存在していたことも知らなかった。しかもそこが先生の秘密基地と化していたなんて。

「食べ終わったらゴミぐらい捨てて下さいよ」
「なんとなくめんどくさくてさ」

確かにこの部屋の位置はゴミ捨て場からは遠い、だけど食べ終わったものをそのまま置いておいても小人さんが運んでいってくれるわけでもないのに。
ため息をつきながら、それでも手はゴミを片付け始めている。

「ごめんなぁ」
「いいですよ、別に。先生には借りがありますし」

先日の事を担任にも伝えずに黙っていてくれたのはありがたかったから。

「借りって、夜出歩いていたことか?」

そうですよと、言う代りに頷きながら掃除を進めていく。

「借りだなんて思わなくてもいいのに、あれは個人的に気になっただけだし」

ぶつぶつ言いながらも私に促されるままに分別を始める。
二人がかりでみるみるきれいになっていく部室は、一時間もするとたぶん元の状態へと回復していった。

お礼にと言われて受け取ったウーロン茶のプルタブを開ける。異常に冷えたそれはどうやらフィルムなどを冷やしておく為の冷蔵庫に保管されていたらしい。さっとそんなものが取りだせる程、この部室は彼の私室化しているらしい。

「つめた・・・」

無意識に呟いた私の言葉にまた彼がニカっと笑う。

「先生はどうしてこんなところに住み着いてるんですか?」

なんとなく、先生の事を知りたくなって私にしては珍しくこんなことを訊ねてみる。

「住み着くって、宮下さん。まあ、そう言われても仕方がない状況だけどさ。まあ、ぶっちゃけ職員室に居づらかっただけっていうかさ。息抜きできる空間が欲しかっただけ、かな」
「先生みたいな人でも息苦しくなったりするものなんだ」

思わず零してしまった言葉が、結構失礼なものだと気がつき、慌てて口元を押さえる。
そんな仕種がおもしろかったのか、また豪快に笑う。

「おまえね、おれだって色々あるわけ?教師歴も長くないしさ」
「はあ、そんなものですか」

あまり広くない空間で二人きりのはずなのに、先生といるのはまるで苦にならない。むしろ穏やかな気持ちになってしまうのが不思議だ。まだ知り合って二日目だというのに。

「そういえば、先生って全校生徒の顔と名前を覚えてるんですか?」
「ん?」

コーラに口をつけながら、軽く眉根を寄せている。私の質問の意味がわからないのか黙ったままだ。

「えっと、この間、私の事フルネームで呼びましたよね。学年違うのに」

確かに彼は私のことを宮下雅と呼んだ。そもそも、私達を担当してくれている学年の先生方でも下の名前を知っているのかどうかわからないのに。
先生は耳まで真っ赤になりながら、慌ててコーラを飲み込む。おまけに慌て過ぎて咳込む始末。

「ごめん・・・、いや、そこを疑問に思われるとは思わなくて」
「そうですか?だって私そんなに目立つ方じゃないし」

成績が特別良いわけでも悪いわけでもないし、容姿もそれに同じく平凡な私はどう考えても目立つ要素はない。私が首をかしげていると、先生は不意に真剣な目になってこちらをまっすぐに見つめていた。
ただの自意識過剰なのかもしれない。だけど、私は今、男の人と二人きりなのだと、その視線が訴えているような気がして、身の置き場がなくなっていく。
先程まで感じていた安心感が急速に薄らいでいく。私はこの人のことを何も知らない。そんな当たり前のことに気がついてしまう。
どうして突然そんなことを思ったのかはわからない。でも、ふざけた表情しか伺い知ることの出来なかった私が、急に先生の別の部分を見せられてたような気がして、動揺してしまったのかもしれない。

「おまえは、目立つからさ。俺にとっては」

このままここにいてはいけない。そう思うのだけど、足が地面に縫い付けられたようにくっついて離れてくれない。

「ずっと気になってた」

一歩彼との距離が縮まる。動けないままの私は、真剣にこちらを見つめる視線に絡めとられたまま。

「・・・・・・みやび」

私の名前を呼んだ瞬間、先生との距離が0cmになった。
手に持っていた缶はいつの間にか掃除したばかりの部室の床へと転がり、カラカラといった音とともに茶色い液体が線を描いている。

「どうして?」

やっとの思いで絞り出した声は掠れたような弱々しい声だった。こんなことぐらいで今さら動揺している自分にさらに驚く。

「ごめん・・・」

先生は私の両肩を軽く押し、そのまま無言で後ろを向いてしまった。
その背中はまるで私を拒否するかのようで、反射的に部屋を飛び出していた。



デタラメに走りながら、そっと唇に触れる。
あの時に感じた思いより、ずっとずっと心が痛い。



私はそのまま彼の家へと辿り着いていた。


to be continued...
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