「起きたか?」
知らない声で、あたしは起きた。
やっぱり、知らないところで、知らない人で。
びっくりするほどキレイなそれは、キレイに笑って、そしてあたしはまた気を失なった。
うっそうと生い茂る木々の中、獣道しか存在しない森の奥には古びた小さな社が鎮座している。年季の入ったと思われる木材は、ところどころ朽ち、それでも寂れた印象を与えないのは、きちんと手が入っている様子が見受けられるからだろう。
本尊を守るために閉じられた扉の前には供物を捧げる台が置かれ、そこには米と塩が盛られた小皿が供えられ、その両脇には朝活けたであろうまだ瑞々しい花が色を添えている。
暗色に支配された空間に、そこだけ灯りがともったようでもあり、その社が今でも人間に忘れられていないことを強烈に訴えかけている。
そして、そこに昨夜一人の少女が置かれ、その姿がなくなったことを知るものは、その社を守る村民たちのみである。
朝、社の世話をしに来た村人は、少女がいなくなったことを発見し、安堵した。
彼らの神が、少女を受け取ってくれたのだと。
そして空を見上げ、青い空を睨みつけた。
神様が、彼らの供物を受け取ったのだから、早晩雨が降るはずである、と。
彼はこの僥倖を伝えるため、来た道を戻っていった。
一人の少女を山奥に放置し、その後どうなるのかを頭の片隅に考えることもなしに。
「いいかげん起きないか?」
少女は幾度目かの声掛けに、ようやくゆるゆると目を開け、おぼつかないながらも半身を起した。
肩上で綺麗に切りそろえられた黒髪は美しく、彼女の白い肌をよりいっそう際立たせている。一見すると人形のような少女は、だが、口を開けば十中八九の人間が落胆するほどの態度をみせた。
「誰?あんた」
「人の家に勝手に転がり込んでおいて、よく言う」
「はぁ?っていうか、ここどこ?」
「どこって言われると、困るが」
少女はきょろきょろと周囲を見渡し、ここが彼女の知らない場所であることを確認する。
「あたし、友達のうちに泊まってたはずなんだけど」
男は彼女を凝視し、そして嘲るような笑顔を浮かべた。
「ふーん、そっか。でもそれ、本当に友達?」
少女は小首をかしげ、彼が言った言葉を反芻する。
確かに彼女は、少女にとってただのクラスメートであり、実家に泊まりに行くほどの仲ではないはずだ。
どういうわけか熱心に少女をさそい、深く考えずにその話にのってみれば、今現在こんなような状態となっている。
実は、少女自身もよくわかっていないのだ。
どうしてただのクラスメートの誘いに乗ったのか。
そして、どうして自分は今こんなところにいるのか。
「君、生贄にされたみたいだねぇ」
「イケニエ?」
「そう」
彼女は自分の理解が出来ない話をする男を見上げ、悪態をつく。
「ばっかじゃないの?なにそれ?もうすぐ世紀末だっていうのになに古臭いこと言ってるわけ?」
「時が止まった空間というのは、意外とどこにでもあるものだ」
胡乱な視線を送られ、だがそんなことを鼻にもかけない男はさらりと話題を変える。
「名前は?」
「佐々木礼奈」
それに素直に応えた少女は、何かが自分の中を通り過ぎていく感覚を覚えた。
「・・・・・・、もうちょっと疑うことを覚えた方がいいと思うけど。まあササキレイナね」
礼奈は精一杯の虚勢をはって彼を睨みつけた。
置かれた状況が異常であったため、礼奈自身気がつかないでいたのだが、目の前の男は、さらにそれを上回るほど異常だ。
光沢のある灰色の髪、同じ色をした瞳、陶器の人形にも似た白く滑らかな肌。そのどれをとっても人間離れしたものではあるのだが、何より彼の持つ雰囲気が特異だ。
礼奈は頭がよくない少女ではあるが、これぐらい突出した異変を嗅ぎ取れないほど愚かでもない。
「あんた、だれ?」
ようやく、自分以外に意識がむいた礼奈は、今更な質問を口にする。
「僕?カミサマ」
せせら笑うように男が答える。
常ならば、そのような言葉を吐き出す人間は、よほど愚かか、よほど狂っているかどちらかである。だが、礼奈は、どういうわけか彼の言葉を真実だと感じ取ってしまっている。
そんなはずはない、という心のどこかから湧き出る反証すら押さえ込み、礼奈は彼に見入る。
「そんなのでも見られると照れるな、おまえ顔だけはいいし」
「かお、だけ?」
現実逃避なのか些細な言葉尻にひっかかりを覚え、礼奈が反論する。
「ああ、おまえは器だけのからっぽだ」
「からっぽって・・・・・・」
「反論できるのか?」
妙に威圧感のある彼の言葉に、礼奈は黙る。
「勉強できない、しない、運動嫌い。そして家族にも友達にも嫌われている、だろ?」
どうして、とも、なぜ、とも口に出せずに礼奈はただただ呆然と彼を見据える。
「まあ、だからといってこんな目にあっていいわけじゃないけどね」
男は、徐に礼奈の腕をとる。
真っ白な手首には、赤黒い痕が残っていた。
身に覚えのない礼奈は、混乱した頭のままぼんやりと手首の痕に視線を合わせる。
日常で、こんな痕ができる生活を礼奈は送っていない。
普通に学校に行き、授業を適当に受け、適当に友達と遊ぶ。
そんな毎日を送っていたはずなのだ。
唐突に置かれた今の立場と、日常があまりに乖離している。
頭も気持ちもついていかない。礼奈は、ふと気が遠くなるのを感じた。
「それに、胸小さいしなぁ」
「やかましい!これから大きくなるわ!」
だが、男の声に一気に現実に引き戻され、彼女はあれほど威圧感を感じていた男に拳を振るっていた。
それを易々と受け流した彼は、にやりと笑う。
「まあ、可能性は低いと言わざるを得ないけど、がんばってみるか?時間だけはやたらとあるからな」
その彼の言葉の意味を真に理解できたのは、もっとずっと後になってからのことだった。
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