04. 目を閉じて君を思い出すよ

 今日会えるからといって、明日も会えるとは限らない。
そんなあたりまえで陳腐な言葉は、現実に自分の身に起こらなければ実感できないのだと、気がついた。
いつもと違う顔で、いつもと同じ言葉を告げた郁が、自分の部屋にこなくなったのに気がついたのは少し前だった。
何かと忙しい年頃の彼女が、まとまった期間顔を出さないのはいつものことで、それでもひょっこりと顔を出す彼女に安心していた。
だけど、季節が変わり、彼女が着ていた制服が、別の季節のものに変わってようやく、僕は郁がこなくなったことを悟った。
あたりまえだけど静かな部屋は、郁が本をめくる音すらしない。
それを望んでいたはずなのに、気がついた途端、焦燥感にかられ、もう接点のない幼馴染に電話をする。
数コールののち、出てきた彼は、僕に理解できない言葉をつきつけた。

「あれ?知らなかったの?郁親父にくっついて引っ越したんだけど」

呆然とした僕に、幾つかの近況報告をした彼は、呑みに行こう、という社交辞令を残して通話を切断した。
取り残された僕は、ディスプレイの光が消え、何も見えない画面を見つめ、ただ立ち尽くしていた。
望んだのは自分。
そして、僕は郁の携帯番号すら知らなかったことに気がつく。
携帯を放り投げ、ベッドに体を投げ出す。
郁はいない。
何も言わずに彼女は僕のもとを去っていった。
ただ「好きだ」の言葉だけを残して。
音はしない。
それは、僕が望んだこと。



「どうしたの?」

友達、と言い切るには微妙な距離感をもつ女友達は、案の定上の空の僕に話しかける。
前から決まっていた飲み会をキャンセルする気力もなく、ただなんとなく足を動かしてたどり着いた僕は、流されるまま店に連れて行かれた。
アルコールが入る前からテンションの高い仲間たちは、それぞれに他愛もない話をし、盛り上がっている。
そこに適度にアルコールが入ればなおさらだ。
仲間のそれについていけず、ただぬるくなるだけのビールを片手に、ぼんやりと水滴が落ちていくさまを眺める。
彼女は、そんな僕に話しかけては、上目遣いで様子を伺う。
何かが気に入らなくて、だけれどもそれを出すわけにもいかず戸惑う。

「ねぇ、聞いてる?」
「ん」

聞いていない、と素っ気無く切ってしまうこともできず、曖昧にうなづく。
彼女との距離はさらに縮まり、体温を感じるまで近づいてしまう。
それを、嫌だと感じた。
じわり、と縮められた距離をさりげなく離す。
なんの味わいもないビールをあおり、さりげなく注文をするふりをして彼女の隣から脱出する。
どちらかというとテンションの低い友人の隣に落ち着き、冷えたビールに口をつける。

「おまえ、女嫌いなの?」
「そういうわけじゃないんだけど」

友人の問いに、やはり曖昧に答える。
女性が嫌いだと、思ったことはない。
ただ、うるさい女は嫌いだ。
いや、違う。
何かがひっかかって、それを誤魔化すようにビールを流し込む。
そう、あれは彼女がうるさかったから苦手だっただけだ。
イメージが浮かぶ。
郁の顔。
笑っても泣いてもいない彼女は、ただ僕を見下ろす。
違う。
僕は、郁のことを。
焦点の合わない僕を覗き込み、にやりと笑って友人がビールを注ぐ。
液体の温度に、現実に立ち返る。
その後の記憶は曖昧で、僕はいつの間にか自分の部屋のベッドであお向けになって寝ていた。
郁の顔が、消えない。