人気投票1位記念短編「HappyDay!」
割と順調にきていたけれど、ここにきて意外なところで躓いてしまった。
や、躓くっていうのは言葉が悪いけれど。
「何してんの?」
嫌なやつが入り込んできた。
同期で同じ部署の川相とは性格が合わないのにもかかわらず、周囲からはわり仲が良いと評されることが多い。まあ、確かに嫌いではないけれど。
「たばこ」
「見ればわかるっつーの。この会社もとうとうココでしか吸えなくなったし」
世間の禁煙ブームに背を向け、健康促進、なにそれ?という社風だったわが社も、とうとう世間からか社内からの圧力なのかわからないけれど基本的に全部屋禁煙となってしまった。しかも、喫煙スペースは昔倉庫だった小さな部屋があてがわれたのみ。これでは嫌でも禁煙しようか、という気分になってしまう。や、まだしていないけれど。
「いいかげんやめれば?子供も生まれることだし、また」
最後の部分に力を込めてしまうのは、俺もやっぱり心が狭いというべきか、ただの僻みだ。
「ああ、だから吸ってくんだよ、ここで」
ニヤリと笑い、新しく取り出した煙草に火をつける。
「家では吸えないわけ?」
「あたりまえだろうが、ベランダで吸えば近所迷惑だし、換気扇の下でも無理。つわりがきつくってさ、うちのやつ」
さりげなくうちのやつ、だなんて愚痴に見せかけた立派なのろけだ。
だいたいこいつは真面目そうな風体に見せかけてやることはえげつないんだ。
深谷との付き合いをカミングアウトした時だって、大勢の人間にとっては青天の霹靂だった。そもそも俺がはっぱをかけたせいで、辛うじて付き合っていることは知ってはいたものの、お互い余計な詮索はしないたちだからどこまでの付き合いかだなんて知らなかった。なのに、カミングアウトと同時に結婚宣言、何も知らされていなかったのは片方の当事者である深谷も同じで、俺たち同様ぽかんとしていた。
いつのまにか直属の上司には根回しが済んでいたようで、式はいつ?だなんて能天気な事を聞いてくる始末だ。
あれは、ちょっと深谷がさすがにかわいそうだった。
同棲まではたどり着けたものの、後一歩が果てしなく遠かった俺にしてみれば、羨ましい限りとも言えるのだけれど。
そんな俺もなんとか理佐さんを拝み倒して、結婚できたのはいいものの、今現在二人の間にはわずかに溝が出来ている。
「おまえのとこはまだか?」
ゆっくりと煙を吐き出しながら、さんざん今まで聞かれてきた言葉を浴びせられる。
慣れ、はするけれども、やはりいい気持ちはしない。
こんな気持ちを、いや、もっとやりきれない気持ちを理佐さんも味わっているのかと思うと、自分の力だけではどうしようもできない出来事に気持ちが屈折していく。
「そういうおまえのところは3人目だそうで」
「まあ、一人目が双子だったからなぁ」
結婚してあっという間に妊娠した深谷は、今第3子を身ごもっている。あんなに華奢な身体で大丈夫かと思っていたけれど、女の人はいざというとき男よりも強いらしい。
「俺はもういいって言ったんだけど」
「いやみか?」
「や、そうじゃなくて…」
たばこを灰皿へ置いたまま、頭をかきむしる。
「危なかったんだよ、最初」
「危ない?」
「初産だったし双子だったし。美里の母親も難産だったらしいし」
「ああ…。そっちの方か」
無事妊娠できたとしても、母子ともに無事に100%出産できるとは限らない。そんな当たり前の現実を突きつけられた。前段階で悩んでいる俺にはそんなことまで思いつくことができなかった。
「じゃあ、今度も心配だな」
「心配することしかできないからな、男は」
家事を手伝ったりする事は出来ても、出産そのものを手伝うことはできないから。
「おまえの方は呪いじゃね?さんざん遊び倒してた」
「……そこまで言われるほどひどくはないと」
再びニヤリと笑い、先ほどまでも鬱屈とした表情はどこかへと消え去っていく。だけど、いつでもどこでも付きまとう不安は、無事生まれるまでは消えはしないのだろう。
「まあ、授かりもんだから、あんま気にすんな」
慰めなのかよくわからない言葉をかけられ、煙草の火を消して、彼は部屋を去っていった。
吸わないまま、灰になった煙草を消し、新しいやつに火をつける。
別に、吸いたいわけじゃない。
ただ、なんとなくこうしていると落ち着く気がして。
そもそも、子供を欲しがったのは俺の方だ。
家族を早くに無くした俺は、ともかく家族というものに憧れた。
だから一刻も早く理佐さんとの子供が欲しかったのだ。
なのに一向に訪れない兆候。周囲からの何気ない一言にも敏感になっていく彼女。
気にすることないよ、と言いつつも、根底には子供が欲しいと思っている自分の言葉には説得力は無く、いつしか彼女は本気で追い詰められていった。
あんなに屈託なく笑う彼女が好きだったのに、いつのまにか笑わなくなった。
些細なことでイライラしては、小さな事で涙する。
精神的に不安定だったのだと思う。
追い詰められた彼女をなんとかしたくて、二人して病院に言ってはみたものの、結局なんの手助けにもならなかった。
二人ともになんの原因も見あたらなかったのだから。
強いて言えば相性が悪いとも言えるのだろうけれど、それでは意味が無い。俺は理佐さん以外の子供が欲しいわけじゃない。理佐さんとだからこそ、子供が欲しかったのだから。
最近はやっと落ち着いて、仕事に家事にと力いっぱいがんばっている姿を見ることが出来始めたのに、深谷の妊娠を聞いて、また落ち込んでしまった。
「理佐がいればいい」
そんな言葉を100万回呟いたところで、彼女の心を軽くすることができないなんて。
無邪気に子供が欲しいと駄々を捏ねていた自分を恨みたくなる。
結局、たばこは再び吸いもせず灰となっている。
今日は彼女より早く帰れるはず。
理佐さんの好きなものを作って待っていよう。そう思い直して、煙草部屋を後にする。
24時間営業のスーパーのおかげで楽になったよな、なんて感慨にふけりながら、適当に材料を買い込む。
スーツ姿のスーパーの袋というのも物悲しい物があるけれど、それでも理佐さんの喜ぶ顔を想像して自然と顔が綻ぶ。
部屋の鍵を開け、玄関へと入り込むと、すでに彼女の通勤靴らしきものが鎮座していた。
なのに部屋の中は真っ暗。玄関の明かり一つついていない。
怪訝に思いながらも、静かに廊下を歩いて行く。
そっと、扉を開け、リビングへ目を向ける。暗い中だけれどぼんやりとソファーの上に倒れこんでいる理佐さんの姿があった。
「理佐!!!」
どさっと買い物袋を床にぶちまけ、部屋の明かりをつける。理佐さんの方へ慌てて近づくと、彼女がむくりと顔だけをこちらへ向けた。
「気分が悪いんですか?それとも何かいやなことがあったんですか?」
彼女の左手をギュット握り締め顔を覗き込む。心なしか顔色も悪く、明らかに調子が悪そうだ。理佐さんの体調が悪くなると、こちらまでてんぱってしまう。いつもいつも落ち着かなければと、言い聞かせてはいるのに、苦しそうなその姿を見るだけで、こちらまで息苦しくなってしまう。
なのに、そんな思いは理佐さんに届くはずも無く、あっけなくも突き飛ばされてしまう。おまけに自業自得だけれど情け容赦ない一言を添えて。
「たばこ臭い…。ちかよるな」
「りささーーーーーーーん」
情けないけれど、こんなことを言われてしまうと泣き出したくなる。
「気分悪い…」
「どうしたんですか?風邪ですか?熱ですか?クスリのみますか?」
さりげなく再び近づいて、そっと手を握る。
理佐さんは再びその手を振り払い、「煙草嫌い」と呟く。
大慌てでスーツを着替え、顔を洗い、ついでにうがいをする。
もう一度彼女の近くへ行き、がっちりと手を握る。
「理佐さん、病院行きましょう」
極度の病院嫌いの彼女は、極限まで行く事を拒む。風邪などは根性で治すものと思っているふしもあったりして、そういう彼女を病院まで引っ張っていくのはかなり難しい。
なのに、今回はあっさりと彼女から意外な言葉が齎される。
「行って来た。もう」
「もうって、じゃあ、クスリ飲みました???こんなところで寝ていないで、ちゃんとベッドで寝ないと」
「や、病気じゃないし」
「病気じゃないって、じゃあどうして!」
熱でも出てわけのわからないことを言い出したのではないかと心配になる。彼女は呆れたような顔をして、ゆっくりと身体を起こす。
「病気じゃないけど病院に行って来た」
「ええ?じゃあ怪我ですか?」
いいながら彼女の身体を隈なく点検するしようとすると、思い切りはたかれてしまった。
「あのね、いいかげんわからない?」
「わからないです。どうしたんですか理佐さん」
おろおろするだけの自分に彼女はクッションを投げつける。
「赤ちゃんできたのよ!!!」
ぽすんと顔面にクッションがヒットしたのと同時に叫んだ彼女の声が響く。
今、なんて言った?
我が耳を疑いながらも、彼女の方へとにじりよる。
「なんて言いました?」
「ばーか」
そのまま彼女はソファーへと沈み込んでいく。
「や、ちょっと待ってください、今赤ちゃんって言いました?」
「言ったけど何?」
うつ伏せになっているせいで僅かにくぐもった声が聞こえてくる。
「赤ちゃん?」
彼女の言った言葉が信じられなくて、何度も何度も繰り返す。
そういえば、アレがなくってずっと一緒にお風呂に入れてラッキーと思っていたよな、とか。ここのところ食欲がなかったりやたらと煙草嫌いって言ってたよな、前は何にも言わなかったのに、とか。色々なことが思い出され、それらが全て彼女の言ったことへとつながっていく。
「赤ちゃんが…」
やっと二人の間に子供ができたのだと、理解できることには彼女を強く抱きしめていた。
「や、どうしたの?」
「理佐さん!!!」
こんなに小さな体の中にさらに小さな命が宿っているのかと思うと、不思議な気持ちになってくる。
ありがとうとも、おめでとうとも言えなくて様様な思いが胸をよぎっていく。
「理佐さん似の女の子がいいです」
「あなた似の男の子かもよ」
そんな軽口を叩きあいながら、お互いクスリと笑いあう。
こんな風に彼女が笑ったのは久しぶりだと、もうすでに親孝行をしている小さな小さな我が子に感謝する。
「とりあえず禁煙ね」
「もちろんです!!!」
ぎゅっと腕の中に彼女を閉じ込める。
当たり前の幸せが手から零れ落ちないように、理佐さんとの幸せがずっとずっと続きますように。柄にも無く神様にお祈りをする。
ずっと彼女が笑顔でいられますように、と。