ダブルゲーム・サクラ咲く季節にvol.1(3.3.2005/改訂:12.12.2006)
サクラ咲く季節に

「今更何をいってるの!!」

不機嫌を隠そうともせず怒鳴り散らす。
城山の母が取り乱す姿はとても珍しい。
“母”とはいえ、ほとんど接触していなかったため、彼女が感情をあらわにしても、胸が痛むどころか、どこか現実離れして、例えばテレビの中の出来事のように映ってしまう。

「婚約は解消する。そう言っただけですが?」

私の左隣には左京が、後ろには叔父さんがいてくれる。

「いったい何が気に入らないというの?あんたみたいな子には分不相応なほど立派な相手なのに」
「左京が立派とか、そんなことは関係ないです。もちろん左京の事は尊敬している部分もあるし、あなたに言われなくても左京がいい男だなんて、私の方がよくわかってます」

彼女に対してこれほど強気に出られたことは初めてだ。左京と叔父さんがいてくれるせいだから、情けないものなんだけど。

「だったらなぜ」

気がつかれないように深呼吸して、彼女の目をまっすぐ見据える。

「愛してないから」

予期していなかった答えなのか、彼女は一瞬あっけにとられる。
それでもすぐに気を取り直し私に詰め寄る。

「愛?あんたがそんなもの語れる資格があるとでも思っていたの?図々しい」
「どうとでもおしゃって下さい。ともかく左京と結婚はできません」

頬に痛みと熱が走る。
激高した母に平手打ちをされたらしい。
驚いた叔父と左京がそれぞれ私の肩を支える。

「あなたがこの家に置いてもらえたのは、高山の家とつながりをもつためなのに、そんなことも出来ないようなら、なんの価値もないじゃない」

両手を握りしめながら地団駄を踏む。

「あんたなんか引き取らなければよかった!!!!双子のもう1人をもらえばよかった!」

机の上にあるものを手当たり次第に投げつけながら、ヒステリックに叫ぶ。
娘についで孫までも思い通りにいかなかったためか、彼女の回路が少し焼ききれてしまったらしい。
だけど、私だって人間だ。人形じゃない。全てが思い通りにいくなんてありえない。

「いらない!あんたなんかいらない。出て行って!」

思い通りにならない駒は用済みなのか、ゴミをすてるような気軽さで捨てようとする。
私を庇いながら今まで発言をしていなかった左京が口をはさむ。

「出て行くのはあなたの方ですよ」

目を見開いて左京を凝視する。
さすがに高山家の長男に対しては多少の理性が残っているらしい。

「何を言って…」

遮るようにして左京が続ける。

「あなたは社長職を解任されました。業績悪化とそれを看過していたという理由でね」
「そんわけ、そんなことできるはずない」
「できますよ。あなたの会社の筆頭株主は誰だと思っているんですか?それにそちらの重役連中もうちから派遣した人材ばかりでしょう」

初めて聞く事実に私ですら耳を疑ってしまう。叔父さんは知っていたのか片目をつぶってみせる余裕すらある。

「私の会社に何をしたの!!」
「そうやって私物化するから悪化するんですよ。会社はあなたものものじゃない。多くの社員が支えてくれていることを忘れないで欲しかった」

母は無言で怒り狂っている。まだ左京の言葉を受け入れられないようだ。

「当分は高山が経営の面倒を見ます。折をみて新しい社長に受け渡せばいい。これ以上会社を大きくするほどうちも強欲じゃないんでね」

私の頬に手を触れながら軽くいなしていく。

「もちろん、あなたの株はそのままですから、充分すぎるほどの配当もでるでしょうし、名誉職として給料も出る予定ですから、生活に困ることはありませんので、安心してください」

最後通牒のように突きつけて、私を連れて出て行ってしまう。
左京がついていくと言い出した時には、こんなことになるなんて思いもしなかった。

「悪いけど、さくらはアメリカに連れて行くから。たぶんもう会うことはないんじゃない?言いたいことはある?」

叔父さんがとってつけたような質問をする。
私は叔父にくっついてアメリカへ渡ることにした。日本の中すら余りしらない世間知らずが外国にいっても大丈夫なのか不安だけど、自分自身のためにチャンスを逃さないことにしたのだ。
座り込んで茫然自失の彼女は、身動き一つ取れずに宙を睨んでいた。
それでも私は彼女のことを嫌いにはなれない。
ただ、そう。

「私は愛して欲しかっただけ」

聞いているのかわからないけど、最後にこれだけは伝えたかった。
思い残すことは何もない。

これは決別の儀式。

私は私の人生を歩いていく。






「咲良?」

むせかえるような桜の花びらが咲き誇る中、木の幹に体重を預け、ゆったりとした気分で視界を遮っていた。耳に届く声は、昔々焦がれていたもの。違う、今でもまだ手に届かないなにか。

「片岡君?」

徐々に瞼を開け、瞳に光を入れる。ぼんやりとした視界の中現れたのは、やはり件の人だった。

「なにやってんだ?」
「桜を感じていただけ」
「似合わなねーなー」

豪快に笑って、私の頭上に枝を揺らし、私を花びらまみれにする。

「私ね、本当はこっちのサクラだったんだ」
「こっち?」
「そう、チェリーブロッサムの方のサクラ」
「ああ。だから…」

そういって口を噤んだ彼は、たぶん彼女のことを思い出したんだろう。

「桃と桜だなんて単純よね、しかも春生まれでもなんでもないんだからいいかげんなもんよ」

風に花びらが舞い上げられる。いたずらに彼の周りを踊るように通りすぎていく。

「でも、私は自分の名前が好き」

自分の心に言い聞かせるように呟く。

「いい名前、だと思う」

照れて両手をポケットにつっこみながら、片岡君も私に負けないぐらい小さな声で答える。

「だから、片岡君はちゃんと覚えていて。“桜”って」

それは願い。左京や叔父さん以外誰も知らない本当の名前を知っていて欲しい。
わがままを言うならば、ずっと覚えていて欲しい。
いつになく真剣な顔で向き合う。
これからの私たちのために。
私につられて真剣な顔をしていた片岡君が、突然私の頭に手を載せ、髪の毛をくしゃくしゃにする。

「ばーか、また会えるだろ?」

アメリカ行きを切り出したのは昨日。もう会えないわけじゃない。だけど、今までみたいに気軽に会えなくなるのは事実。
ずっとこのままでいられないことはわかっていたけれど、何かを変えるのはやはり寂しい。

「手紙、書くから」
「うん」
「メールもするし」
「うん」

卒業式でもないのに、涙がこぼれそうになる。

「大丈夫。桜みたいなやつ、絶対忘れないから」
「……私も片岡君のこと忘れない」
「ああ、忘れるなよ。おれ平凡だから心配だ」

青空に溶け込むような声を出して笑う。それに触発されるように私も笑う。

桜の花が咲く頃、きっとまたこの風景を思い出す。
ずっとずっとこれからもきっと。


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