高校をでたら左京と結婚する。幼い頃から決められていたことにおとなしく従うことで、気持ちはだいぶ落ち着いてきた。
心のどこかでそれとは違う人生を夢想してきたから、得られるはずのない自由を望んでいたから心が疲れていたのかもしれない。
ただ、奥底でカサカサざわつくものを感じるけど。
「咲良ちゃん、ほんとにいいの?」
「左京や右京、おまけに叔父さんと同じことを言うのね」
京香が心配そうに訊ねてくる。
「だって、これじゃあ城山の言う通りになっちゃうよ」
「まあ、そうだけどさ。でも左京と結婚すれば少しは変わるかもしれないし」
私が幼い頃はともかく、今は高山の家のほうが立場がかなり上だ。
じゃなければ、いくら高山の家がそれを条件にしてきたところで、あれほど私を外へ出したくなかった母が折れるはずがない。
「うーーん、でもさ、本当に片岡のことはどうでもいいわけ?」
「どうでもってわけじゃないけどさ。だって相手が桃だったら仕方ないじゃない」
「さくらーー」
そう言いながら私を抱きしめてくれる。
鉄火肌の京香さんはいつもこうして慰めてくれる。
私が今の高校へ進学したとき、私が行かなくてどうするの?という勢いで後を追ってきてくれた。左京や右京ちゃん、そうして京香さん、家族には恵まれなかったけど、友人には恵まれている。それだけで、私はしあわせものだ。
昨日、高山に聞いて大体の事情は飲み込めた。平成の世の中でそんなことがあるなんてにわかには信じられなかった。
だけど、左京がわざわざ時間を割いてそんな嘘を俺に吹き込んだところで、何のメリットもないどころか、心のどこかで今までの全てが腑に落ちているのをわかってもいる。だけど、あまりにも遠い世界の事で実感できていないのが本当のところだ。
ややこしい事情があるにせよ、俺がただ一つきちんとわかったことは、どうやら俺は城山さんのことが好きらしい、ということだ。
今更何を言っても無駄かもしれないけど、せめて元の友人関係に戻れたなら、と、勝手なことを考えている。
俺がうだうだしている間にも時間はあっという間に過ぎ、勉強以外することがなかった夏休みなんてあっという間に
過ぎ去っていった。自分自身の気持ちが変化したのか、城山さんにふさわしい男になるべく、
にわかに勉強なんか始めてしまった。どれだけやっても左京には追いつきそうもないが。
城山さんとすれ違うことはたまにある。話し掛けたいけど、意気地無しな俺はきっかけすら掴めない。
高校生活残り半年を切ったのに、立ち止まったまま。
自分だけが取り残されたような、そんな気持ちを味わうのは2度目だ。
一度目は、怪我をして陸上をやれなくなった中学生の時。あの時はケガさえ直れば復帰できたのに、
高校受験と重なってタイミングを逃したままやめてしまった。
中学の時の自分は陸上中心に生活が回っていたので、それがなくなった時の衝撃は大きかった。それでもやっぱり時がたてば記憶も薄らいでいくもので、今では少しだけ心残りがある程度で、普段の生活で思い出すことはない。
彼女のこともこうやって記憶の奥底に埋もれて思い出せなくなる時がくるんだろうか。
左京と一緒にいる彼女を見つめる、とても遠くにいて手が届かない。
これじゃ俺からの片思いだ、本当に全く一方通行の。
「なに黄昏てんの?」
修司が問題集を開いたまま、心ここにあらずな俺に話し掛けてくる。
「勉強」
「ふーーーーーーーーん。さっきから1ミリもペンが動いてねーがな」
「うっさい。考え中なの」
こうやって軽口をたたきあう。臼井の話題は極力避けてくれている。
あのことに関してはもう後悔しかしていない。
なんとなく、なんとなくだけど、臼井さんと城山さんは似ているから、二卵性とはいえ双子なんだから当たり前だけど、だから臼井さんにも流されたんじゃないかなって思っている。
全てが後出しの言い訳にしか聞こえないんだろうけど。
「何難しい顔してるんだ?」
「生まれつき」
叔父さんと左京は顔を見合わせてため息をつく。私と左京の距離が縮まることを悉く嫌っていた叔父も、婚約した今となっては多少嫌な顔をする程度に留まっている。
「で、何?」
左京がいつものように先を促す。
「あのね、やっぱり大学いけなさそう」
「は?あのばばーがまた何か言ってきたのか?」
「ばばあって、叔父さん。まあ、そうなんだけど」
「女にこれ以上の学問は必要ないってさ、なーーんか思考が江戸時代で止まってるみたいだよね、あの人。そんなんだから会社の業績も思わしくないんじゃない?」
右肩上がりの高度成長期ならいざしらずバブルなんてとっくにはじけ、何が起こるか分からない平成の世の中で、化石のような思考回路ではうまく切り抜けていけるはずがない。
案の定業績は徐々に悪化しており、今や私と左京との婚約、つまり高山家からの融資が頼みの綱となっている。
「高山が横槍入れようか?なんだったら引退させた方がいいし、あの人」
前前から吸収合併の噂はある。その方が手っ取り早いし、名より実のある高山家では城山の名前、旧家としての価値はそれなりにあるらしい。
「うーーーん。いや、でも一応私からお願いしてみる。駄目だったら奨学金っていう手もあるし」
「さくら、いくらなんでもそれはないだろう?妻の学費が出せないほど高山の家は苦しくない」
「でも、それは左京のお金じゃなくって、高山の会社のお金でしょ?変だよ、出してもらうなんて」
「高山の金はさくらのお金だと思えばいい」
「わ・た・しがやなの。そういうのはちゃんとけじめをつけておきたいの。そうじゃなきゃ対等の関係なんて結べないじゃない」
左京は沈黙し考え込んでしまった。
些細なことかもしれないけど、夫の実家に頼ってまで大学へ行きたいとは思わない。
「さくらちゃん、僕のこと忘れてない?」
黙ったままだった左京と一緒に叔父さんの方へ顔を向ける。
「叔父なんだから可愛い可愛い姪っ子に援助するのは当たり前のことでしょ」
「や、でも」
「でも、じゃないの、そういう時は素直に受け取るものなの」
いつになく強烈に自分の意志を通そうとしている。
「なんだったらこのまま一緒に住んでてもいいし」
「それは駄目」
いつもは良く考えてから発言をする左京が反射的に否定する。
「あー、叔父さん、一応卒業したら結婚することになってるからさ、やっぱり一緒っていうのはまずいと思う」
「そうかな?叔父と姪なんだから遠慮することないのに」
左京の機嫌が見る見るうちに急降下していく。無口でポーカーフェースな彼だけど叔父さんが絡むとその仮面が外れておもしろい。
「ともかく、お願いしてみるから。うまくいくように祈っててちょうだい」
二人を取り成すようにして結論付ける。
叔父さんはもっとからかえるのに、と不満顔だったけれど。
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