夢を見た。なんていうことない、日常の夢なんだけど、起きた時になぜだか泣いていた。
そもそも城山さんが変なことを言うから夢にまで出てくるんじゃねーか。
「片岡君はご両親に愛されてるってすっごくわかるよ」
いつも笑顔にやや哀しそうな色を滲ませて呟いていた。
勉強をしに俺のうちに来た時に、俺の母親を見て感激したらしい。
いや、別に大したことないふつーの母親なんだけどな。
家庭っぽさと、大らかさがいいんだと。
俺に言わせれば所帯じみてて大雑把ってことなんだが。
母親も母親で見た目完璧な優等生で人懐っこい彼女を一発で気に入ったらしい。
今度はいつくるの?なんてせっつかれている。
彼女でもないのにそう頻繁にうちに連れて来れるわけないだろ!って言ったら
根性なしだの甲斐性なしだのねーちゃんまで加わってボロカスに言われてしまった。
「うらやましいよ」
聞こえるか聞こえないかの小声で囁いた言葉。
その顔がひどく儚げで今にも消えていきそうで怖かった。
手を触れたら壊れそうで、でも抱きしめてやることもできなくって。
夢の中では露のように消えてしまった。
「あの子家庭に何かあるの?」
母親が昨晩言ってことが引き金だったのかもしれない。
わからない、知らない。
逃げ回ってばかりじゃなくて、もう少し彼女のことを知りたい。
涙をぬぐいながらそう思った。
学校帰り、いつもの待ち合わせ場所で黒塗りの車に乗り込む。運転手と軽く挨拶だけを交わすと、後は無言で目的地まで進む。
前の人に気がつかれないように、そっとため息をつく。これで何度目になるかわからないけれど、慣れるものじゃない。
高い塀と門を潜り抜け、本館である洋風の館へと辿り着く。
洋館へと一歩を踏み出しながら深呼吸をする。
「只今戻りました」
洋館の主と対面する。高い天井と大きな窓、バルコニーにつながる窓際は夕暮れの光を取り込み赤く染まっている。
「挨拶はいい、成績をみせなさい」
まだ60代の彼女は、相変わらず凛とした様子で、冷ややかに命令を下す。
「これまでのテスト結果です」
ゆっくりと息を吐きながら進み出て、あらゆる成績を彼女に渡す。
一枚一枚めくりながら、こちらの方に視線を向ける。射すくめられるような感覚に陥る。
「こんなものね」
ほっと胸をなでおろす。とったことはないけれど10番以下の成績をとってしまったら、いったいどんなことを言われるのか恐ろしい。
「おまえはあんな男の血を引いているから、今からしっかり気を引き締めなければいけない」
これも、毎月毎月言われることだ。私の半身がまるで腐っているかのような言い方。
「皐月のようにはならないように」
その名も聞き飽きる。遺伝子上の母親らしい。戸籍上の母親は今、目の前に座っている女性だ。養子縁組したらしい。興
味がないので詳しくは知らないけれど。
「自由にさせるのは高校までだ、卒業したら家のために尽くしなさい」
「はい」
操り人形のように、強いられた回答を口にする。本心と乖離したところで会話がなされている。
「もう良い、下がりなさい」
「失礼します」
深深と一礼して、退出する。今日は思ったより早く終わった。
ほっとしながら、歩いてきた廊下を戻っていくと、不意に襟首を掴まれ、廊下の壁に叩きつけられる。
衝撃に息ができないでいると、腹部に激痛が走る。膝で蹴り上げられたらしい。
痛みと驚きで、思考回路が寸断され、意識が朦朧としてくる。その場でずるずると座り込む。
前髪を掴み、無理やり自分の方へと顔を向かせながら、攻撃者が口を開く。
「この女、なにしにきやがった」
自分を傷つけている人間が誰だかわかっても、驚かない。これもまたいつものことだから。
「報告」
こんなやつにせめて意思だけでも負けるものかと、精一杯の虚勢を張って答える。
痛めつけながらも思ったより冷静に受け答えする私に激昂したのか、頭を激しく壁に打ち付ける。力で敵わないのが悔しい。
こんなやつにされるがままになるなんて。
でも、泣いても気絶してもダメだ。そう言い聞かせて、意識だけは保つように努力する。
体のどこもかしこも痛い。
「おまえなんぞが足を踏み入れていいと思ってんのか?」
凄んでみせるけれども、この男にそんなことを決める権力がないことは十分承知しているので、全く迫力はない。
泣きもしない私に、そうとう苛立っているのか首に手を掛けてきた。
完全に狂ってしまった男の目に、本当に殺される。そう思った瞬間、彼の身体は私の前から姿を消していた。
「さくら」
「さ、きょう?」
私が一番信頼している人の出現に安心した私は、左京の胸に抱かれながら泣き出してしまった。
まるで子どものように。泣きながらも左京の胸から離れようとしない私を、横抱きに抱え、この洋館を後にする。
来たときとは違う、左京の家の運転手が私たちを乗せていく。
着いたのは左京の家。といっても、左京は一人暮らしだから出迎えてくれる人はいない。
セキュリティーのしっかりしたマンションのエントランスをくぐり、部屋へと連れて行かれる。
その間泣きつかれたのか私は少し意識がはっきりしていない。ゆらゆら揺れて気持ちがいい。そんなことをぼんやり考えていた。
気がついたら朝で、しかも制服のまま左京のベッドの上に寝転んでいた。
(昨日は確か…)
ブランケットを握り締めながら必死で思い出す。
隣では左京が規則正しい寝息を立てて熟睡している。
そっと、彼を起こさないようにベッドを抜け出そうとすると、腰のあたりに暖かい感触が伝わった。
左京が左腕で私を抱え込んで引き止めている。おまけにそのまま引き寄せられ、ベッドの上に逆戻りしてしまった。
「お、おはよう」
「おはよう」
寝ぼけながらも、腕に力をこめて抱き寄せる。
「左京?」
「…、もう少しこのままで」
こんなところで二人きりだと言うのに、どこか安心している自分がいる。やはり、あんなことがあった後は部屋に一人でいたくはない。それがおじさんであれ、左京であれ縋れるものにはすがり付いてしまいたくなる。
こんなに頼りない自分は大嫌いだ、だけど、他にどうしていいのかわからないでいる。
昨日はおじさん、今日は左京の胸の中。やっぱり人の体温はひどく私を安心させる。
視線が突き刺さる。いや、城山さんに告白されてから、あらゆる好奇心の目にさらされてきたけれど、これはちょっと、
種類が違うような。なんか哀れむような視線?
教室で一人考え込んでいると、臼井さんがやってきた。
いつもの笑顔で俺を呼ぶと、以前呼び出しされた校舎裏に連れて行かれた。
俺の腕に自分の腕を絡ませながら上目遣いで話し掛けてくる。その媚ともとれるような仕草に、
触れることの喜びよりもわずかな嫌悪感を感じとってしまう。
「ねえ、聞いた?」
「何を?」
そう答えると、彼女はわざとらしく驚いた風を装い、そして次に耳に口元を近づけ、内緒話をするような格好で話を続ける。
なんかいちいち鼻につくのは、ココ最近城山さんの表情を見ていたからだろうか。
好きな人にこうされているのに素直に喜べないなんて。
彼女がそばにいるというのに、全く別のことを考えている俺に、次の言葉は脳髄に直接響くぐらい衝撃的なものだった。
「城山さん、高山君とこから朝帰りだって。ちなみに彼って一人暮らしだから」
くすりと口元に笑みを湛えて、こちらの目をじっと見つめている。次に俺が何を答えるのかわかってるっていう顔をしている。
「臼井さん、俺付き合うわ」
嬉しいと言いいながら抱きついてくる彼女を抱きしめることもせずに、俺はただ呆然と考え込んでいた。
やっぱり、彼女は高山と付き合っていた?
なぜ俺に告白した?
冗談だったのか?
「ねえ、キスして?」
思考を中断させるように、とんでもないことを言い出してきた。
なんか、なにもかもどうでもいい。
咲良の笑顔も全て偽者。そうに違いない。無邪気な仕草も真剣な瞳も思い過ごしだ。
頭を真っ白にさせながら、おれは臼井さんにキスしていた。
>>Next>>Back