「ただいまー」

　誰もいない玄関で声を掛ける。返事がしないのはむなしいけれど、習慣だから仕方がない。
だけど今日はいつもは帰ってこないはずの返事が返って来た。

「おかえり」

低音でよく響く声の持ち主は私の叔父・崎野だ。

「おじさん、どうしたの？」
「どうしたのって、今日はお休み」
「は？有給かなんか？」
「そうそう、だからごはん作っといたよ」

　わけあって、叔父と二人で住む私は、常日頃二人分の家事をほとんどこなしている。 私は学生で叔父は働いているのだから当然だと思っている。でも、こうやって人が出迎えてくれて、 おまけに食事も待っていてくれるとなると素直に嬉しい。
顔を綻ばせながら居間に入っていくと、ソファーで叔父が寛いでいる。
キッチンから漂ってくる香りを確認しながら、着替えのため自分の部屋へ行こうとすると、 叔父の手が伸びてきて、私の眼鏡を掠め取った。

「またこんなのして」
「返してよ！」
「だーめ、目も悪くないのにどうしてこんなものするの？」
「おじさんには関係ないでしょ」
「せっかく美人に生まれたのにもったいない」
「や！私は自分の顔が嫌いなの」

　叔父から眼鏡をひったくって自室へ篭る。何度となく繰り返されるやり取りだけど、そのたびに胸が痛む。 制服が皺になるのも忘れてその場にしゃがみこんでしまう。

「さくら、ごめん。でも、嫌いにならないで」

ドアの向こうで叔父さんが謝ってくれる。

「俺はさくらがどんなでも大好きだから」

　それ以上立ち入ることはなく、ドアから離れる気配がする。
叔父さんは私のことを考えてあんなことをする。それをわかっていながら子供のような反応しか返せない私は嫌いだ。
それに、親戚だとかそんなものとは関係なしに、こんなにも我侭な私を無条件で愛してくれるている。その存在が私をどれほど救ってくれているのか。なのに私は彼らに何も返せていない。
甘えている。そうホントの私はこんなにも周囲の人間に甘えている。叔父の崎野や友人の左京に。 学校の人間はこんなこと知らない。私が幾重にも殻をかぶっているから。
あの人はこんな私でも好きになってくれるだろうか。
愛想をつかさないでいてくれるだろうか。
ひまわりのようなあなたには私は似合わないかもしれない。

でも、私はあなたに憧れる。





　「片岡君元気？」

今日も左京と一緒に現れた城山嬢は元気一杯だ。
周りの連中も回数を重ねるごとに慣れて来たのか、普通に彼女と話したりしている。

「城山さん、こんなやつのどこがいいの？」

と、単刀直入に失礼なことを聞き出そうとするやつが現れるぐらい。
そんな直球な問いにも彼女はニッコリ笑い返すだけ。彼女がこんなにも笑う人だなんて思わなかった。
隣にいる左京の仏頂面はあいかわらずだけど…。こいつは確か最近女子からの告白が増えてきて辟易しているらしい。 なにせ今まで城山さんが彼女だと思っていたのに、そうじゃないとばれてしまったから、さあ大変。
ま、全くもてない上に突拍子もない人から好かれた俺にしてみれば羨ましい限りで。

「城山さんもめげないね」

好きな人がいる、そうやって断ったはずなのに、彼女は告白してきたときと変わらず明るく接してくる。

「そりゃあね、諦めたら負けだもん」

そう、そうやって生徒会長時代には諸先生方を説得、いや、懐柔していったのな。
改めて彼女の根気のよさに感服する。

「で、片岡君も気が変わった？」
「変わりません」

そうあっさりきっぱり言い放つと、「ま、気が変わったら言ってよね」そう言って左京と帰っていった。
あんなに仲がいいのに恋人同士じゃないんだなぁ、なんてぼんやり考えていたら。友達に殴られた。

「どうして城山女史を振る？」
「身のほど知らずが！」
「あんたがうんっていえば左京様が完全フリーになるのに」

　最後のはクラスの女子代表だ。城山さんが左京の恋人じゃないにしろ、 ああもぴったり一緒にいたら付け入る隙がそうそうないらしい。だからこの俺を人身御供に差し出そうとするやつがごまんといるいる。 クラスのほぼ全員が敵といっても過言じゃない。
　そんな四面楚歌な状態の俺でも一途に思っている相手がいるんだ！！ と叫びだしそうになるが相手も一緒に可哀想な状況になりそうだから内緒にしておく。

はぁ…、ほんと勘弁してくれよ。





「さくら、本気なのか？」
「本気よ」
「約束を忘れたのか？」

　見慣れた左京の横顔を見る。他の人からは怖がられているらしいが、 ほんとは優しい人だって知っている。今のも私のことを心配しているから出た言葉。

「忘れてない。大丈夫。あと少しだけだから」

二人で教室までの廊下を歩く。

それ以上突っ込んで聞いてこない優しさは叔父と共通するものがある。 二人とも、幼い頃から過ごしてきたから私の扱い方を心得ているのかもしれない。

「大丈夫。約束は守るから」

その一言で全てを悟って後は見守ってくれる。

ありがとう。あなたの存在は私の救い。






　部活のミーティングで遅くなった放課後、教室に忘れ物をしたので取りに戻る。
誰もいない真っ暗な校舎ははっきり言って男の俺でも不気味だ。外は雨だし憂鬱な気分になる。

「あ、片岡君」

廊下で偶然、最近見知った顔・城山嬢に遭遇する。珍しく高山左京の姿はなく一人きりだ。

「城山さんも居残り？」

　おどけた口調の俺に苦笑しながら頷く。薄暗い中で見る彼女は華奢な普通の女の子で、昼間見る元気な彼女とは少し違って見えた。

「危ないから一緒に帰ろうか？」

　自然と言葉が口をついて出てしまった。
決して期待させるわけじゃなくって。女の子一人返すのは男としてなんていうのか、 やっぱりまずいだろう？そんな言い訳を考えながら彼女の顔色を窺う。

「ありがとう。やっぱり優しい人だね」

儚げに笑おうとしている彼女は思わず抱きしめたくなるぐらい頼りなげ。

「でも、今日は叔父が迎えにきてくれているから」

　申し訳なさそうに答える。
そう、オジサンね。ちょっと残念に思ってしまう自分がいる。でもおじさんが姪の送り迎えなんて珍しい。 そんな疑問が顔に出ていたのか慌てて彼女が説明する。

「心配性なの、うちの叔父って。それに左京も」

　常に影のように城山さんの後ろに引っ付いている男を思い出す。 確かに彼は常に周囲に気を配り彼女を守っている風だ。一介の女学生にそんなものが必要とはとても思えないけど。
　とりあえず二人そろって校舎を出ることにする。俺でもいないよりはいたほうが安心だろうから。

「迷惑なのはわかってるいるから」

　そうポツリと呟く。
元気な彼女らしくない弱気な発言。雨のせいなのか夕闇のせいなのか今日の彼女はどこか不安定だ。

「いや、べつに」

迷惑だともそうじゃないとも言えない。優柔不断だな、俺って。
二人で傘を差しながら校門の方へ歩く。校門の側には一人の若い男が立っていた。

「さくら」

そう呼ぶ男は優しそうな眼差しで彼女をみつめている。この人がさっき言っていたおじさんなんだろうか。

「おじさん、ありがとう」

そう言って、あまりにも自然な動作で彼の胸に倒れこんでいく。 彼は彼でいつもどおりといった風情で彼女を受け止める。そして、まるで彼女を守るようにしてそっと抱きしめる。
絵になるような綺麗な光景に思わず見とれてしまう。

「君は、ともだち？」
「え？あ、はい」

呆けていた俺はなんとも間抜な返事をしてしまった。
そんな俺に対しても先ほどからの優しい視線を向けてくれる。

「ここまでありがとう。この子は雨が苦手だから」
「おじさん！」

彼の胸の中で城山さんが抗議の声をあげる。けれどその声もいつものような声音じゃない。

「さくら」

　囁くように名前を呼んで車の中へ連れて行く。そうしてもう一度俺の方に向かいお礼を言う。
雨が降り続く中、彼らの乗った車が走り去るのをただ呆然と眺めていた。
昼間の彼女と雨の中の彼女。左京といる彼女、おじさんといる彼女。
くるくるくるくる頭の中を色々な表情が駆け巡っていく。

このときにはもう”さくら”という深みにはまっていたのかもしれない。


＞＞Next＞＞Back