アンネローゼは非常に美しい少女だった。
だが、勝気な目が、その儚げな雰囲気のなかで非常に不釣合いに輝いていた。
そう、彼女は穏やかな父母に似ず、王国の跡継ぎへと指名されるほどであった祖母によく似た少女であった。
「ようこそ王宮へ、アンネローゼ様」
文官であったにもかかわらず、自ら率先して彼女の世話係となったリティが貴族らしく、形式ばった礼をとる。それを視線だけで確認し、主らしい態度でそれに返礼したアンネローゼに対し、好奇心、いや、どちらかといえば下世話な興味で彼女を迎えた王宮の人々は驚きを隠せないでいた。
大昔に中央から去っていった一族の末裔。
現在王宮に留まっている連中の認識はその程度のものだ。
野心ももたずに田舎に隠居する、などというのは、穏やかと言えば聞こえはいいが、ただの能力のない意気地なしのいい訳だ。鵜の目鷹の目で日々暮らす連中にとっては、アンネローゼの一族はそういう位置づけだった。
だが、どちらかといえば冷たい、とも言える美貌をもつリティに臣下の礼をとられ、それに臆することなく応じようとは夢にも思わなかったに違いない、この田舎者の少女が、だ。
周囲の動揺をよそに、リティは平然と、彼女がこれから主となるべき部屋へと案内する。
今日のこれは、形式的には公式なものではない。
後日またあらためて、大国フィムディアの側室にあがるべき一連の儀式を行う予定である。
彼女は、正妃に次ぐ地位に遇せられることとなったのだから。
アンネローゼが側室へあがる、という案件は、宰相が想像したものより若干困難なものだった。
第一に、現側室ニーノ側の反対。
それは当然真っ先に考えられる話で、ようやくただ一人の側室となった一族にとって、アンネローゼがあがる、ということがおもしろいはずはない。
次に、正妃候補側の反対。
これも考えられる範囲内であり、彼女の国から何がしかの恩恵を受けている一族や、その国の血が入っている一族などは不満をもつのが当然だ。
最後に、アンネローゼの年齢と、彼女が育った環境を危惧する立場の人間だ。
アンネローゼは十六歳。引き換えに三十を超えた陛下とは少々釣り合いがとれない。また、セシル前々王妹殿下がさっさと隠居したのち、一切政界とつながりを持たなかったことも災いした。
つまるところ、アンネローゼの父は、側室の父に見合うだけの家柄なのか、ということだ。
全く復帰する気持ちのなかったアンネローゼの母は、田舎の村で警備を担当していた一介の騎士と結婚し、彼女をもうけた。
その父親の存在がどの派閥からも問題視されたのだ。
だが、それも用意周到に準備をしてきた宰相一派により、やがては説得されたものの、思いのほか時間をとられることとなってしまった。
アンネローゼは身重だ。
あまり事が長引けば、産み月から怪しまれる恐れがある。
仕方はなしに、その善後策として陛下は、行きたくも無い田舎町へ、アンネローゼに会うためだけに頻繁に訪問せねばならなくなった。
そうしてようやく、アンネローゼは王宮に迎えいれられ、リティを筆頭に信頼の置ける女官たちが配され、王宮内で暮らすこととなった。
「お疲れでしょう、すぐお茶をおもちいたします」
リティが目配せし、女官にお茶の手配をさせる。
アンネローゼが口にするものは、全て信頼できるものの手を経て、彼女に供される予定となっており、可能ならば全てリティが目を通すことになっている。
今それだけ彼女を中心に、王宮内が剣呑な雰囲気となっているせいだ。
「気になさらないで、これからはもっとこうなるのでしょ?ローンレー夫人」
すでに何度かの対面を済ませたアンネローゼとリティは、その頭のよさからお互いの腹を探り合うまねをするまでもなく、政治的な意味では十分分かり合った仲だ。リティは、その年に見合わない彼女の度胸と知性を非常に気に入っている。
「もうしわけございません。随分と不躾なものたちで」
薄手のカーテンからやわらかい光が差し込み、アンネローゼのためだけに作らせた椅子に座る彼女の金髪が綺麗に輝く。
緩やかに波打ち、腰まである金の髪は、何もしなくとも美しく、ただそれだけで宝石をつけたような効果をもたらしている。
「どこの田舎娘かって?」
アンネローゼのどこか面白がったような声音に、曖昧に微笑み、女官が準備しているさまをしっかりと目の端で捕らえる。
「それが済んだら下がってなさい。この部屋には近づかないように」
夫の部下が特別にこの部屋の警護をすることになり、今も扉のすぐ近くで威圧的な格好で守っているはずだ。だからこそ安心して、アンネローゼと二人きりになれる。
女官が下がったことを確認し、リティが彼女へ切り出す。
「しばらくしたら懐妊を発表いたしますから」
「ええ、それに関しては感謝しています」
目立たない腹を撫でながら、アンネローゼが鷹揚に返事をする。
「アンネローゼ様はお体が細くてらっしゃるので、生み月が早まった、ということにいたします」
「それで誤魔化せるの?」
「いいえ、噂にはなりましょうが、陛下が足しげく通っていた、ということにしてありますので」
いくら王様といえども、全てを把握されているわけではない。
まして移動が得意なアーロナがいる上に、秘密裏にユリのもとへちょくちょく放浪していたのだ、そのような過去の空白を利用しない手はない。宮廷魔術師のアーロナが味方なのだから。
「多少、陛下の趣味が問われることにはなりましょうが、問題はありません」
幼い少女の下に通いつめた挙句、妊娠させたとあっては、普通は問題となりそうなものだが、陛下の血を引く命が生まれたとあれば、その醜聞もそのうち忘れられるだろう。
まして、腹の子がジクロウの子ではない、と噂されるよりは、ジクロウの手が早かったと揶揄されるほうが余程ましだ。
「あなたは、私のことを軽蔑しないの?」
この年で、このような立場となった原因を指し、アンネローゼはリティに問いかける。
「王国に忠実であれば」
だが、リティにとってはフィムディア王国がつつがなく平和であることが何より大切なことだ。アンネローゼの倫理観などはその観点から問題ないものであれば、簡単に目をつぶることができる。
「そうね、おばあさまに代わって、そうあるよう務めます」
「その気持ちをお忘れになりませんよう」
再びリティは臣下の礼をとり、アンネローゼの部屋を退出する。
後に残された彼女は、満足そうな顔をして部屋からカーテン越しの太陽を見上げる。
数日ののち発表されたアンネローゼの懐妊の報は、驚きと多少の揶揄をもって大多数に受け止められた。
少数の思惑ある人間たちを除いて。