「最悪、それを理由に国許へ帰ってもらうことも可能ですが」
王国は巨大だ。
多少のわがままは許される環境にある上、たとえ相手が友好国であろうとも、子供がなせない、という事実は十分な理由にもなる。
「それにしても、困るのはその次になるのだが」
「罠を張ってみても、それに乗ってこられるかどうか」
リティが控えめに意見を述べる。
一度は側室へ、という提案を、さらに極悪な呪いをかけようとして否定した身だ、易々とのってくるほど甘くはないだろう。消極的な意見ではあるが、、あれからの年月が、彼女の心をどれほど変えてくれたかにかけるほかはない。まして、側室を一掃した上での提案は、大勢の中の一人となる以前の条件よりもはましなはずだ。
リティは唯一の女性として女心を彼らに説くのだが、朴念仁ぞろいの男どもに鉄拳制裁与えてやりたい気持ちになったとしても責められないだろう。
「いいかげんスリリル様もあきらめてくだされば」
呪われて五年。
接触するのは僅かな時間だが、スリリルは未だに陛下への思いを断ち切れていないのは明白だ。だからといって前向きな方向に努力することを放棄した彼女は、陛下ののろいをとくつもりはないらしい。
側室の一人としてあがりたいわけではなく、ただ一人の人として愛されたい。
その対象としてジクロウを選ぶのがそもそもの間違いであり、現在国王としての職務をまっとうしている彼には、そのような思考回路はもはや存在していない。
「陛下、前々から不思議に思っていたのですが」
「申してみよ」
「スリリル様は転移などの術はやや苦手としています。まあ、それでも普通の術者よりは優れてはおりますが。それにしても幾度も転移をしてみせ、なおかつユリ様をあちこちへ飛ばす、などといった高度な転移術などを易々と行える、とはどうしても思えないのです」
「それは、協力者が他にいる、ということでいいのですか?」
宰相が問う。
「はい、もしや、とは思ってはおりましたが。軌跡はスリリル様のものしか感じられませんし」
「前面に出てくるわけではなければ?」
「それが可能ならば、その存在はもちろん隠れますが」
「しかし、それほどの術者が他に?」
「ええ、それが最も疑問に思うところではありますが」
感情に任せて陛下を呪う。
そこまでは個人的な仕業だともいえるが、その後の手際が鮮やか過ぎる、とアーロナは不審に思っている。
ユリの存在を感知し、すぐには感づかれない土地へと転移させ、なおかつユリ自身に発信作用を纏わせ、陛下と魔術師の動きを牽制する。その全ての動きを掌握するのに、彼女が優秀だから、では済まされないほどの手際だ。
「スリリル様に匹敵するほど、ですと、真っ先にブランシェ様が思い浮かびますが」
前陛下の時代に宮廷魔術師をしていたグルセド老師の愛弟子であるダレン=ブランシェはおそらくアーロナよりも上をいく魔術師だろう。
その能力は全てにおいて高く、彼は欠落した部分がないのが特徴だ。ただし、それぞれの術においては呪術が得意なスリリルや、転移が得意なアーロナなど、彼を上回る術者がいるのが欠点でもある。
「それぞれ細かい分野でしたら、それぞれに得意なものもおりますが」
魔術という学問は、現在ではそれほど細分化され、その全てを網羅するような術者はほとんど存在しない。
「でしたら、学園からお調べになっては?」
リティが宰相とアーロナの会話に加わる。
「そうですね、やはりそこから疑うのが遠回りではありますが、結局は近道になるかと」
「それに、スリリル様と親しい、という条件を付け加えれば、それだけでだいぶ絞れますでしょ?」
王国では教育に重点を置いており、庶子だろうが貴族の子だろうが、皆一度は学校へ行くことを義務づけられている。
もちろん貴族は貴族がいく学校へ、庶民は庶民が行く学校、というのが存在するのだが、それとは別に、魔術専門の学校、というものも存在する。
その特性から、幼いうちから教育を施した方がよいとされ、通常の学園でその才が見出されたものは、貧乏人だろうが貴族の子供だろうが、一律にその学園へと推薦させる仕組みだ。
アーロナやスリリルなどは、早くからその才能を見出されており、基礎学問と同時に魔術も学んだ口だ。当然、現在王国で働いている魔術師のほとんどは、その学園の出身者が占めている。
「アーロナ様はスリリル様とは?」
「いえ、あのころは特に親しくしていた、という記憶は」
アーロナは貴族階級出身だ。そう身分が高くないとはいえ、色々な曰くのあるスリリルと積極的に付き合いたいとは思えなかっただろう。
「どちらかというと、スリリル様は、庶子の優秀なものたちと親しくしておいででしたが」
その光景が容易に想像できるほど、スリリルは浮いた立場にいたことはここに集う全ての人間が承知している。
恐らくなんの先入観もなしに彼女に近づけるのは、今も昔も所謂特権階級以外の人間だろう。
「その中から能力的に可能性のある人間まで絞り込めば」
「そういたします。探索と平行してそちらのほうも少々探ってみます」
アーロナが退出し、リティが新たに茶を注ぐ。
宰相は両手で茶器を大事そうにかかえながらためいきをつく。
「いつになったら落ち着きますかねぇ」
「三分の二は片付きましたし、あとはぼちぼちやっていけば」
リティが慰めの言葉をかける。
結局一言も陛下は言葉を発しないまま、秘密会議が終了する。
まさしく石になったまま、陛下同様に一言も口をきかなかったりティの夫のため息を残して。
そのころスリリルは、意外なことに城下に堂々と住み着いていた。
彼女は表立って探されているわけではない。また、あまりにも魔術として優秀すぎる身ゆえに、陛下側の人員を侮っている部分も見え隠れする。
事実、城下の人間は、彼女の名前は知ってはいても、顔は知らない人間がほとんどだ。見つかる可能性は限りなく低い。
多少化粧や髪型を変えれば、既知の人間をもだまし通せると考えている。
「おまえさ、いいかげん許してやれば?もうどうにもなんねーんだし」
粗暴な言葉遣いのこの男は、城下では一番の腕、といわれる骨接ぎ医者ジエンだ。
彼は貧乏農家の五男の生まれであり、本来ならこのような職業につける財力はない。だが、気まぐれに行かせた学校で魔術の才能を偶然見出され、魔術の学園へと押し込まれることとなった。当初働き手が減ることに難色を示した両親も、様々な恩恵を前に、黙認せざるを得なかった。
その学園にて、とことん局所的な才能を発揮した彼は、物理的な魔術、物質を浮かせたり、移動させたり、を得意とする魔術師として成長した。頭の方もそう悪くはなかったため、さらには医学的知識を詰め込み、今では外科医、のような仕事をするまでとなった。
そのジエンとスリリルはいわば同窓生のようなものだ。
貴族連中とはまったく相容れなかった彼女は、ジエンのような才能はあるけれども金の無い連中とはよく一緒に過ごしていた。彼らには彼女に対する偏見は一切無く、居心地が良かった、というのが理由だ。風体からあまり女心、などといったものとは無縁そうなジエンも、スリリルのよき相談相手であり、彼女の悩みも、陛下への思いも全て知っている、数少ない人間だ。
だからこそこうして、スリリルが大それた事をしても、彼女を匿い、なおかつ協力までしてやっている。
「どうにもならない、なんてことは自分が一番良くわかってる」
彼女は正妃にはなれない。
まして側室の一人では満足はしない。
どう考えても解決口のないこの問題を、スリリルが一番理解している。
「それにさ、そのユリっていったっけ?あのねーちゃんだってさ、おまえがそんなことしなきゃ、こっちに呼ばれなかったわけだろ?」
転移の魔術を不得手としている彼女は、ジエンの協力であちこちへとユリを飛ばしている。動向を探る術は得意だが、物理的に直接作用させる術はどうしても不安定となってしまうのがその理由だ。
「五年も六年も呪わなくたってさ」
「でも」
「ほら、ごめんなさーい、とかかわいく言いながらといてくればいいじゃねーか」
「でも、でも陛下はもう許してくれない」
ジクロウは凡庸だけれども、この国に誰よりも忠誠を誓っている人間だ。
だからこそ、国の根幹を揺るがすような呪いをかけたスリリルのことは、いくら幼馴染でも一生許しはしないだろう。
「だったら、なんでそんなことしたんだ?」
「だって」
結局堂々巡りになるいつもの会話は、スリリルが泣き出して終了する。
いくら強気の発言を繰り返しても、後悔、しているのだ。
「あやまるのなんて簡単だと思うぜ?」
泣きつかれて眠ってしまったスリリルを転移で彼女の部屋へと送り届け、ジエンが呟く。
「いいかげん、こっち向いてくれても良いと思うんだけどな」
彼の言葉はスリリルには聞こえない。
それぞれの思いが交錯したまま、王国は表面上は穏やかに時が過ぎていった。