思い出/第1話

「どうやらアーロナが呪われてな」
「アーロナさまが、ですか」

その名指しされた宮廷魔術師は、宰相の後ろで首をすぼめて落ち込んでいる。

「まあ、これもリイルによって、にはなるが」
「はぁ」
「ユリに近寄ったとたん、その魔術が全て無効となる呪い、をかけられたようなのだが」
「ああ、それでさんざん失敗しましたのね」

リティにしても腑に落ちない点は多々あったのだ。
いくらユリが賢く、また、スリリルが一流の魔術師だとしても、物理的な魔術を得意とするアーロナがああも易々とユリを取り逃がすはずはない、と。

「申し訳ありません。私としても、スリリル様の呪いを解けないばかりか、今の今まで全く気がつかずに……」
「まあ、よい、それほどリイルの魔術は優れておった、ということだ」
「それは理解できましたけど、どうしてこの人が呼ばれまして?」

すでに尻にしかれた感が否めない二人の関係を慮りながら、陛下が先を続ける。

「一人体力的に優れた人間がおれば、魔術の影響を受ける前にユリを捕獲できるかと」
「確かに、……お二人では、まあ……。」

いかにも体力も運動能力もなにもない、といった二人に視線を送りながら、リティがためいきをつく。この二人に宰相が加わったところで、貧弱な男三人で、恐らく健康的なユリ一人取り押さえることはできないだろう。

「えーー、自分は、その、ユリ…、様を捕まえれば?」
「体格的に恵まれた人間はやまほどおるが、信用のできる人間ともなると、リティの婚約者たる隊長以外に思いあたらなかったのだ。すまぬが、協力してくれ」
「はい、それは、光栄、ではありますが」

ユリが召還された経緯を詳細に説明された隊長は、最初からすでにユリに同情している。
そのため、陛下の命令とはいえ、彼女を捕獲することにためらいがあるのは仕方がないことだ。
だからといって、例の呪いをかいくぐる術は、己の筋肉質な頭では考えられない。
諦めにも似た境地で、リティを見やる。

「陛下、最悪今いる側室たちを里にお返しになったらいかがです?」

元凶は、彼が側室を娶ったことにある。
返すだけではなく、適当に降嫁することも可能だ。王女たちだけはそのまま王宮に留めておけばよい。

「それも考えたのだが」

だが、いらぬ軋轢を招くことは必死で、里へ返すこと自体はそれほど問題とはならないものの、更なる婚姻の圧力を生むことは間違いはない。
まして、現在外交問題から、おそらく正妃となるべく人間との婚姻計画が進んでいる真っ最中だ。

「まだ、お若いのでしょう?例の方は。でしたら一旦里へお返しになって、綺麗な奥向きでお迎えする、といった口実も使えますでしょう?」
「それは良い考えかもしれませぬ、それぞれの側室たちの振る舞いは最近目に余るものがありますし」

それぞれが足を引っ張り合いながら、後宮はそれぞれの背景に立つものたちも入り混じりながら、混沌としている。それが表向きの政治にも影響を及ぼし始め、残念ながらジクロウはそれを収めるほどの器量を持ち合わせてはいない。

「んーーーーーーー」
「正妃をお迎えすることを発表いたしますのは、早くて来年の話となりますから、今から徐々に側室の方々を処置なされば、スリリルさまに対する罠も十分に張ることができましょう」

女同士の争いに辟易している宰相は、あっさりとリティの提案にのる。
あの混乱ぶりは、おそらく正すよりも消滅させた方が、後々に禍根を残さないだろう、と踏んでのことだ。

「戻って、くれるかのう」
「まあ、お戻りになられてもなられなくても、どのみちあそこはどうにかなさらないといけませんでしょう?」

内面から徐々に蝕んでいく元凶を放置しておくわけにはいかない、と、リティは考えている。
どちらかというと、彼女の家の誰よりも政治家に向いている彼女は、恐らく結婚した後も、このように陛下に嘴を突っ込む存在となるだろう。

「宰相、しかるように」
「かしこまりました」

その足で宰相は、部屋を後にする。
呪いのことは、彼がいてもいなくても、どうにもならないのだから、今ある問題を処理した方がよい。

「ところで、陛下、初めてあったときのスリリル様ってどうでしたか?」

今でもどちらかというと可憐な容姿をしていた彼女のこと、幼少期はさぞかわいらしかっただろうと、リティは想像する。とりあえず陛下のことはまるで眼中がない。

「愛らしかったよ、もちろん。まあでも、今より暗かったかな」

初めてあったときのリイルは、いつも下を向いておどおどとしゃべっていたことを思い出す。
それはもちろん、彼女のもつ貴族階級では奇異な容姿によるところが大きかったのだろう。
その瞳、頭髪は、彼らにとってとうてい受け入れられるものではなかったのだから。

「私が髪の毛を褒めたら、真っ赤になって喜んでくれて」
「……初対面で?」
「ああ、もちろん。初めてみた髪色だったからな、好奇心でついつい触ってもみた」
「初めてで?」
「そんなにつっかるようなことか?」
「いえ、別に」

リティは、今となってようやく、スリリルの陛下への思いを痛感することができた。
恐らく、家の中以外では褒められることも、あからさまに好意を寄せられるようなこともなかった彼女が、恐らく生まれて初めて、赤の他人に褒められたのだ。
その印象は、のちのちまであらゆるところに影響を与えるだろう。
その思いが激しい恋情となって表れても、仕方がない。
茶を喉へ通しながら、そんなことはまったくわかっていない陛下が、相変わらず思い出にふけっている。
その間抜け面へ、すでに温くなったお茶をひっかけてやりたい気分を落ち着かせながら、婚約者の顔を見る。
困ったような、途方にくれたような顔をした婚約者は、置かれたお茶にも口をつけずにいる。
聞こえないようにためいきをつきながら、彼女は彼女で、ユリのことを思い浮かべる。
元気にやっているといいな、という思いと、どうにか彼女を自由にしてあげられる計画を思い浮かべることができた自分に安堵する。
それぞれの人間が、それぞれの思いで、彼らの今日の会議は終了する。



その頃、のんきに旅一座の中で賄い女をしていたユリは、やっぱり平和にそれなりの幸せをかみ締めていた。

6.16.2009
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