思い出/第1話

 ジクロウは、幼い頃、王宮から程近い離宮にて生活をしていた。
実の母と共に。
生まれた瞬間から乳母がつけられ、母子が離れて生活をすることが普通であった王族内において、それは異例の出来事であった。
さらに言うならば、側室が王宮を離れた場所で生活をする、という例もあまりない。
その異例の生活様式が与えられたのは、母の、その出自によるところが大きい。
彼女は属国の王家の出身だ。
対等な関係を結んだ友好国や、庇護の下に入ってから長い国々とは違い、フィムディア王国に併合されてからまだ間もないその出身国は、いまだ王国にとって、信頼の置ける国とみなされてはいなかった。彼女と前国王陛下との婚姻も、それを払拭する意味合いをもっており、そうでなければ、数多くの側室をもつ陛下がそれほどたいした容姿も、財産も所有していない彼女を娶る意味合いがない。彼女にしてみれば、大国に嫁ぐ、ということは、我が身と立場を考えれば、大層自尊心を満足させ、国益にもかなう恭賀なものであった。
お互いの利益が一致し婚姻が成立した後、年に数えるほどしかない渡りにおいて、彼女は運良く妊娠出産をかなえることができた。念願の男を授かった彼女は、心に秘めた野望を、叶えるべく、目立たない離宮にて計画を遂行していった。
つまりそれは、一粒種のジクロウを玉座に座らせる、という当時においてはありえない希望だ。
彼女は側室の中においても、王家出身、ということから身分はそれほど低くはない。
だが、やはりいつまでもその出自が邪魔をするのは事実で、他に候補者が存在する中で、属国の子孫であるジクロウが王位に立てる可能性は極めて低い。
だが、政治的手腕にたけた、さらに言えば、それをほぼ趣味としていた母にとってみれば、そのような道筋を作ることなど造作もなく、彼女の計画は徐々に、しかしながら着々と進んでいった。
そんな母親の野心など知るわけもなく、勉強よりも庭で日向ぼっこをすることが好きな少年だったジクロウは、離宮の庭で、スリリルと初めて会うこととなった。
しかし、その出会いも、母による計略の一つに過ぎなかった。
スリリル家は、代々要職につく重要な貴族の家柄だ。
先代が迎えた正妻によって、華やかな舞台からは降りたものの、リイルの父親は、国王から最も信頼される人間の一人だ。
そんな彼とよい関係を築けるのは無駄なことではない。
貴族階級において、その存在を軽視されがちな彼にとっても、それは願ったり叶ったりの取引だ。
末端とはいえ、側室の一人と懇意にする、というものの価値がわからないほど、彼は政治的に初心なわけではない。
そんな両者の思惑のなか、ただの少年と少女であったジクロウとリイルは出会い、徐々に二人はその親しさを増していった。
そもそもは、ジクロウの成績が芳しくなかったことに端を発している、あくまでも表向きは。
家庭教師をつけ、本人も努力をしてはいるものの、貴族中心の学校において、彼の成績は下から数えた方が早かった。
仕方はなしに、お互い切磋琢磨をする、というよりはむしろお世話をする係として、スリリルはジクロウにあてがわれることとなった。
同じような年頃の気の利いた少年、となると、それはそれで他の王子たちにすでにあてがわれており、つまりはスリリルは残り物であった、ともいえる。
だが、その成績は学年では常に上位であり、男子ばかりの学び舎において、彼女の名前を知らないものはいないほどであった。
もちろん、ほとんどが貴族の子弟が占めるその学び舎において、彼女はやや遠巻きにされる立場であり、彼女にとってもジクロウは初めてできた貴族階級の友達、ということとなる。
男女の意識をしないころからの付き合いはそのまま続き、どちらかというと精神的にも発達が遅かったジクロウは、ぼんやりとスリリルとの時を過ごしていった。
邸内で遊び、共に学び、学校へ通い、昼食を共にする。
実質的な世話をすることがない母親よりも、濃密な世界を共有することになった二人は、互いに異なる意識を、胸のうちにそれぞれ抱くこととなったとしても、不思議はない。
そのすれ違いは、結局のところ、最後の最後で、両者にとって不幸をもたらすこととなるのだけれど。



「何ぼんやりしてますの?」
「んーー、はじめてリイルに会ったときのことを思い出してた」
「スリリル様に?」

リティが茶器を手に取りながら、心ここにあらず、といった風情の陛下へ声をかける。
もともと間の抜けた顔だが、そうやって思索する姿は、もっと間が抜けている、と、茶を注ぎながらリティは考えた。
そんなやつと結婚など思いもよらず、彼女は彼女で、その危機を脱するべく、すでに手はうってある。
その結果が、今現在彼女の隣に立ち尽くす、体格の良い男の登場につながる。

「隊長、すまんな、こんなことに巻き込んでしまって」
「いえ、陛下。あの、なんと申し上げてよいか」

隊長、と呼ばれた男は、現在直接陛下が掌握している騎士団の一つにおける隊長職にある男であり、リティがさっさと婚約発表を済ませた相手でもある。
王家へ嫁がせる、といった野心を散々煽られ、目の前でご破算にされたリティの父は、現在消沈のあまり寝込んでいるらしい。もっとも、母親はリティの計画を知っており、寝込んだ父親を尻目に、娘の婚姻準備と、息子の家督相続手続きに奔走しているそうだ。
リティの家は、代々嫁とりをしているにもかかわらず、女が強いのは、そういうものにひかれる何かが家系的特徴なのかもしれない。

「あの、それで自分はなにをすれば……」

騎士となっただけはあり、彼の特技は剣技や馬術、体術といった肉体関係の特技に限られる。
呪いというものは知ってはいても、どういう理屈でかけられるのかも、解かれるのかもさっぱりわからない人種だ。
だからこそ、リティの婚約者、という以外にこのような国家の一大事を漏らされる理由を思いつけない。

6.12.2009
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