愛と呪いを込めて/第1話

「困ったなぁ」
「困りましたねぇ」
「貧相な男二人がため息をついても、なんの解決にもならなくってよ」

昼間から分厚いカーテンがおろされた部屋で、質素だけれども品の良い格好をした印象の薄い男と、暗くて周囲までもその雰囲気に引きずられそうな衣装を纏った貧弱な男と、あからさまに金持ちである、といったことを理解させる衣装を着た女が、丸い机を挟んでそれぞれに視線を交わしあっていた。
もっとも女から感じられる視線は、大よそ友好的なものではなく、男二人はまともにそれと視線がぶつからないように逸らしながらも会話を続けている。

「いないと困る、と言われれば困るような困らないような」
「困るなどという程度の問題ではありません」
「兄弟の子供から適当なのを選べばよい、というのは……、ないというのは良くわかってはおるが、でも……」

引き結ばれた唇で精一杯ぼやけた男を威嚇する女が、固く握り締めた拳を机に振り下ろす。
鈍い音とともに、机の上に置かれた高価な茶器が音を立てて振るえる。

「それが許される立場だと思っておられるのなら、一度医者にでも言って診てもらえばいい」
「はっはっは」

乾いた笑いをこぼす男の首を締め上げ、根暗な男に慌てて止められた女は、咳払いをして、再び彼を睨みつける。

「王国広しといえども、この私にこんなことをするのはリティ、君ぐらいだよ」
「この国で唯一あなた様ぐらいですわ、この私にこんなことをさせる男は!」

リティ、そう呼ばれた女は、王国随一の名門貴族の長女であり、目下正妃に一番近い女だと、周囲も本人も認識している。

「事の発端は、易々と安直に、あっけなくも呪われてしまう己の脇の甘さでございましょう」

握り締めた器の中身を、今にも目の前の男にぶちまけそうなほどの勢いで、リティが噛み付く。

「いやはや、よもやリイルがあのような気持ちを抱えているとは」
「国政に関係のないことには興味がないとはいえ、あまりにも人の気持ちを軽く見すぎていたせいでありましょう?気がつかない陛下が途方もない阿呆だと、教えて差し上げてますでしょう」
「いえ、まあ、存じてはおりましたが、私としてもまさかスリリル様があのような呪いをかけられるほど追い詰められていたとは」
「女心を無碍にした罰でしょう。まあ、多少察して欲しい欲求が強すぎる感はいなめませんけど」
「……ははははは」

もはや引き攣った笑いしかでてこない印象の薄い男は、肩を落としながらがっくりとうな垂れる。
ここ二年ほどは、この二人と顔を付き合わせるたびに、この話題を蒸し返され、今しがたのようにやり込められる日々が続いている。口さがない城内のものたちは、リティが熱心に彼を口説いているのか、彼がリティを情熱的に招き寄せているのかと噂をするが、内実はこんな実も蓋も無い会話を繰り返すばかりだ。周囲の期待には申し訳ないが、彼はリティを妻にするつもりだなんて爪の先ほどにもありはしない。
そう、このしょぼくれて印象の薄い男こそ、この大陸において最大の領土と、最大の属国、数多くの友好国を持つフィムディア王国の王であり、ジクロウ・フィムディア、その人なのである。
ちなみに、その隣に座っている、今にも死にそうな顔色を持つ男は、この国の宰相であり有力な貴族を両親にもつレデ・ギログラ・スルリディであり、その雰囲気とは裏腹に、両家の大人の事情によりすでに五人の子供を持つ父親でもある。本当ならば、このような雑務はできるだけ素早く家路につき、明日の両家を背負って立たせるべく子供達の教育に励みたいのだが、こちらはこちらでそうは言っていられない事情があるのだ。
原因は二年前に遡る。
当時の宮廷魔術師であるリイル=スリリルがジクロウに呪いをかけ、あっという間にこの国を出奔した。
幼馴染であり、もっとも信頼する彼女から受けた仕打ちが信じられず、この二年、色々試してはみたものの、その呪いがどうやら本物である、といった悲しくも当たり前の真実に今ごろになってぶち当たってしまったのだ。
ジクロウ王は、リイル以外の人間とは子どもができない。
リイルが幼馴染である現王にかけるとも、それにあっさりとかかってしまうとも思っていなかったほど、あからさまな呪い。
それが本当であるとは、信じきれなかったジクロウの気持ちは、宰相にしても、リティにしてもわからないではない。
だが、この二年、彼の側室達に子どもができないことは、紛れも無い事実である。
それ以前には、王女や、死産ではあるが王子も生まれてはいる。側室たちに問題があるわけでもない。
ただ単に、王が呪われているのである。
魔術師に呪いをかけられたのだから、当然ではあるが、ジクロウは、今でもそれを信じられずにいる。
そもそも、リイルはその本業もさることながら、その際立って可憐な容姿によって、宮廷内でも目立つ存在であった。ただある特徴によって、彼女にふさわしい縁談をもちかけるものはいなかったが、それでも彼女のことを熱い視線で見つめていた男どもは一人や二人ではない。
だが、彼女の本心は、国王であるジクロウその人にのみ向かっており、そのことは親しい周囲の人間には周知の事実でもあった。まして家柄から言えば、色々と難はあれども、側室としてなら立てる立場でもあり、諦めきれない思いが燻らざるを得ない状況下におかれてもいた。だがしかし、王国の存続と繁栄、それ以外には殊のほか興味をもたない或る意味真の王気質を持ち、色恋沙汰など生まれてこのかた一度も身近に感じたことのないジクロウは、家臣であるリイルの思いなど、ただの忠誠心以上と捉えてはいなかった。ややこしいことに、ジクロウの幼き頃より遊び相手でもあったリイルは、もっとも信頼の置ける人物であり、もっとも気の許せる友人でもあった。それ故に、立場から言えばやや逸脱した付き合いをしていたことは否めず、そのことがリイルの燻りつづけていた思いに拍車をかけていたことは、今となっては明白である。
 そもそも、ジクロウが王太子としてたちさえしなければ、話がねじれずに済んだのである。幾人もいる王子のうちの一人であるのならば、リイルが思いを打ち明けることも、ジクロウがただ一人の人としてリイルを受け入れることも容易ではあったのだ。
ジクロウは、フィムディア王家の長子として生まれてはいるが、母親は側室である。おまけに属国となって歴史が浅い他国の王家出身であり、本来ならば、歴史だけはある国において、そのような立場の人間の子供が玉座に座ることなどありえない。
そのありえないことが起こってしまったのは、単に政治家として母親が非常に優秀だったからに他ならない。長く平和が続き、のんびりした雰囲気が蔓延していた宮廷内においては、権謀術策に長けた側室は、容易に周囲を掌握することができ、のし上がることができた。おまけに、それをそうと気がつかれないだけの技量も持ちえていたのだから、現王ジクロウよりも輪をかけて凡人であった先王が、彼女の胸のうちや張り巡らされた罠に気がつくはずもなかったのだ。
得てして、正妃に子供がいなかったせいもあり、あまりにも自然にジクロウは世継ぎとなり、母親の思惑通りにこの国の玉座に座ることができた。
だが、祭り上げられた立場であるジクロウとしてはたまらない。
彼は、知力も、武力も、容姿も、なにもかもが平凡な父王に似て、いたって平凡な男だったからである。
彼は、将来は王国内の一領地を貰い受け、田畑を耕しながらのんびり暮らしていこう、などと考えていたのに、気が付いてみれば頭には王冠が被せられており、頼みの綱である母親は、それを見届けるとあっという間に死んでしまったのだ。
幸いにして、先王と違い、判断力と、人を使う能力には長けていた彼は、次々と有能と思われる部下を取り立て、なんとかこの大国を平穏無事に運営している。その折に、もっとも頼りにして、最も信頼していたのがリイルやレデ・ギログラ・スルリディ宰相であり、その思いは今でも変わることはなく続いている。

4.16.2009
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