とある聖女の物語/第4話

 これ見よがしに軍を国境近くまで進め、じりじりとこちらを伺うような動きを見せる隣国に、この国はもはやなす術もなく不毛な議論を繰り返すのみとなった。
貴族からなる大臣たちは、長きに渡って他国が踏み入れたことのない自国の平和を満喫し、それに奢っていた。首都より遠い国境沿いで行われる小競り合い、それにともなう兵士たちの死も、彼らに現実感を伴わせることはない。おそらく、彼らは己が首に刃を向けられてもなお、寝ぼけたことを言い募るだろう。その首が永遠に胴体とおさらばしたとしても、だ。
第一王子、シェキスは愚にも付かない言を繰り返す大臣たちを見渡し、めまいを覚えた。
彼らは、真剣にこの国のことを考えてなどいない。
薄々気がついていたことを思い知らされ、彼は父王を見上げる。
彼もまた、眉間に皺を寄せ、愚かな会議場を見下ろしていた。
やがて、形ばかりの援軍を国境に送る、という数秒で判断できる議決を行い、議会は終了した。
シェキスは広間を出た後、足早に父王が控えているはずの私室へと向かう。
そこは国王のみが使用を許される私的な空間であり、王子であったとしても許可なくそこへ足を踏み入れることはできない。幾重にも防御を施されたその部屋は、代々の王のみを主とし、そこではこの国の動向を左右する密談、が行われていた。
質素な扉を叩き、来訪を知らせる。
やがて扉は控えめに開けられ、シェキスは滑り込むようにその中へと入り込んだ。

「状況はすでに詰んでいるようなものだ」

唐突に齎されたのは王の言葉で、彼は威厳を保つために整えられた衣装を脱ぎ捨て、行儀悪く柔らかな長椅子へと座していた。

「ですが」
「ならばおまえに打開策があるのか?」

口ごもったシェキスは、これでは愚かだと見下した大臣たちと同じだと、自嘲した。

「和平にもちこむことは」
「提案するほどこちらに利はないのだよ。この国には何がある?」
「歴史と」
「少々の鉱山があるのみ、だ」

乾いた笑いを浮かべ、王は王子へと酒盃を勧める。それを手にとった彼は、王の真正面の椅子へと腰を落ち着ける。

「王女たちを側室に差し出すわけには?」
「立場の弱い王室から娘を差し出したとして何になる?それこそ一時の慰み者となるだけだ」
「あちらは歴史を欲しているのでしょう?でしたら血脈に連なるのは意を得ている、と思うのですが」
「国を侵略したのち残ったものを召上げればよいだけだ。あの国にはそれだけの力があるし、何より王がそれを望んでいる」

急激に力を伸ばしてきた隣国は、フィムディアに目をつけられない程度に小国と手を結び、また場合によっては侵略を繰り返していた。そのどれもが王政は解体され、年頃の娘たちはまた側室という名の奴隷として後宮に押し込められている。恐らく、この国もそのような未来を辿るのだろう。
異腹とはいえ血のつながりのある姉妹たちがそのような扱いを受けることには抵抗をもつ、のは最もな反応だ。だが、彼らにはそれに抗う術がない。

「リエラが大人しくあそこに納まっていれば」

仕方がないことを、それでもあきらめ切れないような思いで王が呟く。

「フィムディアに援軍をお願いしたのですよね」
「丁寧な返答が届いたところだ。こちらの自治と王国の誇りを尊重する、という涙がでるような文言でな」

それはつまり、フィムディアはこの国がどうなろうとも知らないし、知るつもりもない、ということだろう。

「ですが、それこそあの国が大きくなりすぎればいくら大国といえどもそうのんきに構えてはいられないのではないのですか?」
「そのところはもちろん伝えてはあったさ。だが、あちらにしてみれば小国同士の小競り合いなど擦り傷一つほどの痛みも持ち得ないのだろう」

確かに、あちらとこの国、そしてこの国を飲み込もうとしているかの国は、二つをたしたとしても、その国力は到底敵いはしない。まして、大なり小なり生活を大国に依存する形の周辺国家は、あの国の機嫌こそが生命線である。過ぎればその国は一夜にして廃墟と化す、などということも冗談ではないだろう。
あの国の王は、どちらかといえば平和主義者であり、そんなことをするほど愚かではない、と思ってはいるものの。
シェキスはうっすらと背中に汗をかく。
すでに敵の足音が迫っているかのような気持ちとなった。

「属国となる、他はないのかもしれないな」

国王は呟き、杯をあおる。
さすれば彼も、シェキスも無事では済まないだろう。
属国となった国の男系王族が、そのままおめおめと生かされているわけはないのだから。




3.4.2011
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