解放、と旅立ち/第6話

「ブランシェ様」

アーロナが、唐突に切迫した表情で現れた。
のんびりと果物の皮を剥きながら朝食を始めていたユリとダレンは、その形相に驚きながらも、のんきにその果実をアーロナへと勧めてみる。

「それどころでは、ユリ様、こちらに逃げたことがばれました」
「ばれた?」
「はい」

誰に、というあたりまえの問いを口にする前に、ユリの持っていた金属製の食器が床へと落ちる。乾いた音をたて、皿が半回転をし、止まる。
その動きに目を奪われたダレンとアーロナは、ユリが石化し、問いかけたがった表情のまま固まっている姿を、数拍ののち目にすることとなった。
ダレンの絶叫が響き、アーロナの唇は引き結ばれたまま。異常な出来事に、湯治客がやや遠巻きに彼らを眺めている。

「あの女のところへ連れて行け!!!」

ダレンに胸倉を掴まれ、噛み付かれるような勢いで命令されたアーロナは、すぐさまスリリルの捕獲へと飛んだ。
ユリの側近くで魔法が使える。
その事実が、アーロナにユリがかけられた魔術の重さを思い知らされ、今までわずかばかりでも抱いていたスリリルへの畏敬の気持ちが消えていった。



 魔術師と魔術師の戦闘は、どれだけ素早くその術を繰り出せるかが勝敗の鍵を握る。
もちろん、術の強さがそれを上回れば話は別だが、最初に口や術を描く両腕を止められてしまえば、基本的に魔術師が活躍できる術はない。
その点、彼らは有利であった。
まず、スリリルはダレンの存在を良くは知らない。コザーヌ家自体も、彼の存在やジエンの能力を把握してはいない。宮廷魔術師の肩書きをもつアーロナの術力を過大評価しているせいでもある。
何世代か平和な時が続き、魔術の能力そのものは、医療や移動、少々の防諜活動に利用されることが主であり、それ以外に活躍の場はあまりない。そのため、長距離移動、という目だった能力を有するアーロナは全てが万能な魔術師である、と思われる節があり、それが彼らの陛下側の戦力分析を鈍らせている。
もちろん、スリリルはアーロナの能力を十分承知してはいるが、かつて彼の上司であった、という自負が、逆の判断として彼女を少々驕らせる結果となった。
ユリが宿をとっていた場所から程近い宿場にて、スリリルは捕らえらた。
のんびりと湯に浸かったのち、情報収集をしていたと思われる従者たちに、足の爪の手入れをさせているところであった。
ようやくかけつけたローンレーと宰相が、特殊な縄で縛られたスリリルを取り囲む。
もちろん、彼女が転移することはジエンが防いでいる。ジエンは悲しげに彼女を見下ろし、だが、スリリルがそれに気がつくことはない。

「ユリの呪いをとけ」

ふてくされたように横をむいたままのスリリルは、集まった人間と顔を合わせようともしない。その態度がかつての宮廷魔術師だったころの彼女からあまりにもかけはなれ、また、大貴族出身だ、という自負すらどこかへ放りなげてしまったかのようで、宰相は抱いていた嫌悪感を露にする。
ローンレーの切っ先が彼女の首筋をなぞろうとも、スリリルは何の反応も返さない。もはや陛下の子をなせる、というユリの存在がなくなれば、我が身はどうなろうともいい、とでも思っているかのようだ。

「そこまでしてユリ様を排除しても、陛下のお心はあなたには向きませんよ」

僅かに顔をゆがめ、だが、口は引き結ばれたままだ。

「むしろ、陛下はあなたを厭うておられる」

ようやく向けられた視線は、よくとがれた刃のように鋭く、気の弱いものならば、ただそれだけで気おされてしまいそうだ。
常ならばどちらかというと気の弱い宰相は、一歩もたじろがずに対応する。

「そもそも、陛下を愛しておられるのなら、どうしてあのような呪いを陛下にかけられたのですか?」


「あんたにはわからない」
「ええ、わかりたくもないです」

どこまでも尖がったスリリルの声が響く。

「私が、私がこんななのは私のせいじゃない!」

生まれでた瞬間から始まった差別。
貴族階級の中において、否が応でも悪目立ちするその容姿は、スリリルを物心つくころからずっと苦しめてきた。
色々なものを諦めたつもりだった。
だが、唯一つ、彼女にとっては心の中に生まれた、陛下への思いだけは諦めきれるものではなかった。ただ暖かだった気持ちを胸の奥へ押さえ込み、いつしかそれは執着へと変わっていった。
今、スリリルが抱いている気持ちは、愛なのか、妄執なのか。

「どうあっても、陛下ののろいもユリ様へののろいもとくつもりはないと」

顔を背け、再び彼女は黙り込む。

「だったら、殺せばいい」

じりじりとした思いを抑えながら、二人のやり取りを聞いていたダレンが、唐突に口を開く。
彼にとっては、スリリルの気持ちも、宰相の立場もどちらも関係がない。
ただ、ユリが呪われ、石化してしまった事実があるだけだ。

「どうせとくつもりがないのなら、元からたってしまえばいい。あの術は、術者が死ねば、消えるそうじゃないか」

のろいについてあまり詳しくはなかったダレンも、アーロナと共に調べるうちに、最終的な彼女の呪いを消滅させる方法を突き止めていた。解呪の鍵をもたないスリリルの呪いは、術者が生きている限りは有効である、ということを。 つまり、スリリルを亡き者にしてしまえば、何もかもが納まるのだと。

「……それは」

宰相がためらいをみせる。本家からはずれ、彼女自身の地位は高いとはいえない、とはいえ、このような形で彼女を葬り去ることは複雑な問題を孕む。ともすれば、現本家筋からは、感謝されるのかもしれないが、それでも金に飽かせて詳細に探られれば、痛いのはこちら側だ。
もちろん、昔から見てきた彼女に対して、思い切れない感情を抱いている、ということも事実である。
すぐにでもスリリルを抹殺してしまいそうなダレンと、複雑な感情を露にしているジエン、戸惑いを隠せない宰相の間に、微妙な緊張がもたらされる。

「とりあえず、陛下の到着を待ちましょう」

貴重な魔術師であり、大貴族出身であるスリリルを切り捨てられない宰相は、最終判断を陛下へとゆだねることにした。
切りつけるようなダレンの視線をかわしながら、宰相はローンレーに命じる。

「逃げぬように見張りを。ジエン、わかっていますね」

まだ彼女に未練があるジエンに念を押す。稀有な技術を有する魔術師二人から逃れられるはずもないが、それでは試したとたんダレンにスリリルを処分する口実を与えてしまうこととなる。できればそれだけは避けたい。甘いと誹られようとも、スリリルには彼女の矜持で理不尽な呪いを解いてもらいたいと、宰相は願っている。
ローンレーに縛られ、ジエンとアーロナに付き添われた彼女は、王室がもつ隠れ家的な湯治場へと場を移していく。
陛下の到着を様々な思惑で待ちわびている一行は、それぞれの気持ちを隠そうともしないまま、眠れぬ夜を過ごすこととなった。



3.17.2010
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