スリリルは、生家と同程度の美術品で飾られた部屋で、優雅に茶器を手にしていた。
コザーヌ家次期当主であるロラフェドは、彼女の向かい側でやはり感情のこもっていない笑顔を湛えていた。
「で?単刀直入に聞くけど、どうして欲しいわけ?」
スリリル家とコザーヌ家は対等の格を持つ家柄だ。もっとも、現在では廃嫡されたものの、リサゼルという男児を生んだ側室を送り出したコザーヌ家の方が勢力は強い。
「リイル嬢は、陛下をお慕いしているとお聞きしましたが」
スリリルの顔色が変わる。
腹の中に何も貯めない、と言えば聞こえはいいが、彼女は全く腹芸、といったものができない性格だ。そのせいなのか、彼女が臣下としての気持ち以上のものを持っている、ということは、少々近い人間を探れば、誰であろうとその情報を得ることができた。
「だったらどうなの?」
おまけにその性格もどちらかといえば直情的であり、その術の方向性とは異なりまっすぐだ。
「いえ、でしたら、今のこの状態を大変憂いておられるのでは、と、心配になりましてね」
綺麗な金の髪が揺れ、胡散臭い笑みが浮かぶ。
非常に美男子の誉れが高かった父君に似たロラフェドは、同じ色彩を持つものでもこうも違うものなのか、と、周囲にため息をつかせる様な美貌をもっている。
だが、そのようなものに惑わされることのないスリリルは、ロラフェドを睨みつけ、視線をはずす。
「私としても、伯母上どのの心労をこれ以上増やさせるのも忍びなく」
「消せってこと?あの女を」
全く隠すことなく、スリリルが直裁に突きつける。
「いえ、そのようなことは恐れ多く」
だが、彼女と違って言質をとられたくはないロラフェドは、あくまで言葉を濁す。
「ただ、彼女は今こちらにはいらっしゃらないようですね」
「は?」
世間話のように何気なく、ロラフェドは手に入れた情報をスリリルの前に開示する。
偶然ではあるものの、陛下の側近を手懐けておいたかいがあったと、内心あざ笑っている。彼らの中で最も情報が漏洩しやすいのは、ジクロウ陛下その人だ。凡庸で頭の回転の悪い彼は、思ったことをうっかりと声に出しやすく、耳打ちされた情報をそのまま口に出すことも少なくない。
最近はその傾向が減少してきたものの、肝心なところで彼はユリの逃亡先を口走っていた。よくできた側近たちは、聞かなかったふりをし、それを見て安堵したようだが、彼らのうちの一人は、コザーヌ家へ情報を流す役目を果たしている。もちろん、本人にその自覚は全くないのだけれど。
「やっぱり……」
一流の呪術師として、日夜ユリへ呪いをかけているスリリルは、全く反応がない上に、奇妙な形で自らへ帰ってくることへ、不信感を強めていた。そこへきてロラフェドの情報だ。あの館の中にはユリはいない、ということを確信せざるを得ない。ユリの側近くでは魔術を使えないアーロナしか魔術師はいないはずで、物理的に掻い潜るにしても、自ら仕掛けた印にユリが触れれば、その位置を自分に知らせてくれるはずだと高をくくっていた。どのような方法で逃れたのかはわからないものの、ユリ周辺の能力を侮っていたことを悔いる。
「体の調子が優れないご様子ですし、どうですか?ゆっくりと薬湯にでもつかってこられては?」
人の良さそうな、だが、どこか胡散臭い笑顔を張り付かせ、ロラフェドがスリリルを逃亡先へと誘導する。一切、彼らの希望を口にすることがないままで。
「ふーん、手回しがいいわね」
「馬車もこちらで用意いたします。リイル嬢は何の準備もせずにいらしてくださればよい」
「そう、ね、少し疲れたみたいだから、お言葉に甘えるとするわ」
こうして、スリリルは己の魔術を使うことなく、ユリの居場所をつきとめ、彼女の元へ移動する手段を得ることができた。
後はどうなろうと、コザーヌ家には関係のないことだ。
「なんか、太った気がするんだけど」
「ユリちゃんは元々痩せすぎなんだから、もっと肉つけてもいいぐらいだよ」
腹の肉をつまみながら、ユリがのんびりと口を開く。
確かに、湯治場へ来てからというもの、ユリは朝夕の散歩以外にろくに体を動かすことをしていない。
もちろん、暇があれば湯に浸かるのだが、それだとてたいした運動量になるとは思えない。
わけのわからない緊張感を持って、王宮づとめをしていた毎日とは違い、多少肉が緩んだとしても、仕方がない。
「傷もすっかりよくなったみたいだし」
「さすがにねー、もうあんなのは勘弁」
拷問にあった傷は、ジエンとダレンの協力の下、表面上は綺麗に治癒している。
たまに骨が痛むことはあっても、それを口に出すユリではない。
「いいかげん、なんとかならないかねー」
「ならないんじゃね?あの女かなりしつこいぞ」
「まあ、しつこいのはわかってたけどさー」
数年単位であちこち飛ばされた身だ、スリリルの尋常ではない執着心は痛いほど理解している。
「そうそう、ユリちゃんさー、ボクのお嫁さんにならない?」
ここのところ以前のように口には出さなくはなったが、ダレンはユリとそうなることを諦めたわけではない。ただ、それどころではない毎日がなぜだか押し寄せ、そういう余裕がなかっただけだ。
だが、久し振りにのんびりとした空気の中、ダレンは軽い気持ちでユリへと求婚する。
もちろん、あっさりと交わされることを前提とした、やや自虐的な告白だ。
だが、その日のユリは、のんびりとした雰囲気にやられたのか、絶望的な状態の中、ただ唯一求めたのがダレンであった、という事実が頭の中にあるせいなのか、あっさりとその問いに肯定の答えを差し出した。
「いいよー、私ダレンのこと信用してるし」
「えー、ほんとー、ユリちゃんって冷たい…、って、はぁ?」
いつものように拒否されるだろうと、よく聞きもしないで返事をしたダレンの方が慌てふためく。
確かに、今、ユリは、是だと答えたはずだ、と、口を閉ざしたままのユリを凝視する。
「何驚いてんの、嫌なわけ?」
無言で首を激しく左右に振り、もどかしくも言葉にならない言葉を現す。
「まあさー、そうは言っても、私この世界の人間じゃないんだけど」
「や、や、や、そんなことはどうでもいいことだし」
「どうでもいいって問題?国じゃないんだよ?世界だよ?」
「ユリはユリとして、ボクの目の前にいるんだし、それは事実であって、嘘じゃない」
軽薄な雰囲気の中にも、どこか真剣さを感じさせるダレンの言葉に、ユリは聞き入っている。
正直なところ、ユリ自身、今ダレンに抱いている気持ちをはっきりとは定義できていない。異国どころか全く知らない世界ではじめて出会った味方、それがたまたま異性であった事実。彼を望む気持ちが純粋な気持ち、だけではないことは自覚している。
だけど、この安心感と、信頼感を手放すことはできないと、故郷を思い出す間隔が遠くなるにつれ、その思いは深まっている。
「でもまあ、あんまりかわんないんじゃない?今までと」
「……だとしたらボクは悲しい」
よくわかったようなわからないようなユリの返事に苦笑いを返し、ダレンは今日も一人、寝具の上で寝付けない眠りに落ちていった。