陛下、事件です/第8話

「これは」

武官二人に抱え込まれるようにして連れてこられたユリは、誰から見ても酷い傷を負っていた。
目に見えるところは全て痣となっており、彼女の髪は無残にも切り刻まれていた。恐らく服の中はもっと酷いことになっているのだろう。ジクロウは耐え切れずユリから目を逸らす。
絨毯を汚さないようになのか、白い布が敷かれた上に横たえられたユリは、声もだせないまま、ただ憎悪の感情だけがみえる両目を、ジクロウへと向けていた。

「アーロナ殿、話せる程度に回復させることは?」
「申し訳ありませんが、私は外的傷害にはうまく対処できません」

疫病などには対応できる彼は、ジエンのように怪我を治す、という能力には恵まれてはいなかった。ここのダレンを連れてこられれば、もう少しましなまねができたのに、と、唇をかみ締めるしかない。

「何の用?」

女官に水を与えられ、ようやく声を取り戻したユリが、付け焼刃の敬語を捨て、直接ジクロウへと話しかける。
その無礼な話し方にざわついた場内も、すぐに宰相の咳払いで静まる。

「お前は本当に、毒をもったのか?」
「やってないって、いってんでしょ?しつこいな」

弱弱しいながらも、捨て鉢にはなっていない態度に、やはりユリはユリだと、陛下が少し安堵する。

「あまり生意気な口を聞くとその首をはねるぞ」

リサゼルがユリを見下しながら吐き捨てる。
陛下にこもっていたものより何十倍も強い恨みを込め、ユリは見上げる。

「知らないものは知らない。だいたいニーノって言う人の顔さえ知らないのに」
「言い逃れもいい加減にしたらどうだ」
「言い逃れも何もしてないものはしていないし」

二人の言い合いを、ただ黙って元老院たちが見守る。
今どちらの味方をすればいいのかを、考慮しているかのようだ。

「どういうことだ?リサゼル。自白をとったと」
「ええ、もちろんです。ここにきて命乞いのようなまねを」
「最初から自白なんてしてないっつーの」
「リサゼル、物的証拠は?」
「弟の言うことを信じないのか?私が聞いたと言えばそれが真実だ」

確かに、前回のリティたちのように非合法で闇に葬る事案がないことはない。法治国家といえど、階級社会のこの国では、理不尽だがそのようなことがまかり通ることもある。
だが、これほどみなの前で否定し、さらには証拠の一つすらない、というものに、罪を押し付けるには多少の無理がある。

「リサゼル様。そこの侍女が毒を持って歩いていた、と証言したものを呼べばいいのでは?」
「は?」
「リサゼル様の言を疑うわけではありませんが、より強固な証拠として第三者のものを呼べば、どちらが嘘をついているかは明白になるかと」
「この報告書によると、ロラフェド=コザーヌ様が、その様子を確かにごらんになったとありますが」

不敵な笑みをたたえていたコザーヌ家当主、つまりはロラフェドの父にかすかな動揺が走る。
言葉につまったままのリサゼルをただ幾つもの目が取り囲む。

「こんな、こんな下賎なものの言うことをおまえたちは信じるのか?」

最初の自信満々な態度はどこへやら、地団太を踏みながら怒鳴り散らすリサゼルの姿はみっともないの一言である。
いつのまにかロラフェドを連れてきたアーロナが、彼を元老院の前へ突き出す。
いきなり連れてこられた割には、ロラフェドは周囲を素早く判断し、理解し、発言した。

「そんなことを言った覚えはないけど?リサゼル兄さんの聞き間違えじゃないの?」

父と目配せをし、あっさりとリサゼルを切り離したロラフェドは、そ知らぬ顔をして否定した。
ざわつく議会内は、以前より噂をしていたニーノとリサゼルの、ただならぬ仲を口にしはじめた。

「随分とリサゼルはニーノと仲がよいのだな」

ジクロウの側室であるニーノと、異母弟であるリサゼルが、それほど懇意にしている、というのは奇異な話だ。側室というのは奥まった宮で、それこそ陛下が訪れるのを静かに待っているのがその仕事だ。側室制度をとっているわりには、そのあたりの管理が非常にゆるいフィムディアにおいても、特定の男性と側室が親しい、という事実はあまりない事例である。

「そもそも、どうやって阻止したのだ?毒殺を」
「それは、茶会にお招きされ」
「茶会に男を呼ぶとは、大胆だな、ニーノも」
「いや、我々はそういう仲では」
「まだ何も言ってはいない」

後ろで誰かがあやつっているかのようなジクロウのきびきびとした尋問に、全員がためいきをこぼす。
実際のところダレンがリティとアンネローゼの策を受け、ジクロウに言葉を伝達しているのだが、そのことにはアーロナ以外は気がついていない。彼女たちは文官たちを丸め込み、隣の部屋に待機しながら一部始終を伺っている。

「その様子ではニーノの腹の子も誰の子かはわからぬなぁ」

確信をついた言葉に、それぞれ言葉を交わしていた元老院の人員が口をつぐむ。
それこそそれは、毒殺の噂など遠く及ばないほど、深く広く広がった、ある意味真実を含んだ噂だったのだから。

「私はそのようなことは」
「どのようなものに毒薬は混ぜられ、どのように与えられたのだ?ニーノに」
「いえ、ああ、焼き菓子に」
「失礼ですが、あの毒薬は長時間高温にさらされるとその効果をなくす類のものですが」
「いや、お茶だったかな、ああ、お茶だ」
「どうやってアンネローゼ付きの次女がそれを茶に混ぜ、ニーノに飲ませるのだ?」
「……あの」
「陛下、提出された文書によると、献上された果物に混ぜられていたと」
「そ、そうだ、果物だ。果物に混ぜられていたんだ」
「それをどうやっておまえが見分けられたんだ?」
「や、少し食べてみて」
「食べられていたら、今頃ここにはいません、リサゼル様」

整合性のない言葉を繰り返しながら、リサゼルは徐々にその勢いを失っていく。
ユリはそのやりとりを聞きながら、ゆっくりと両目を閉じた。
体力も気力も、すでに限界を突破していた。
もうこのまま眠って二度とおきたくはない、と思うほどに。

「で、どのようにして?」
「知らぬ、知らない、俺は何も知らない!」

急にふてくされた大仰な態度をとり、足を踏み鳴らしリサゼルが扉を開ける。
コザーヌ父子はその後姿を軽侮の眼差しで見送った。

「これでアンネローゼの疑惑は晴れた、とそれでよいな?」

あっけにとられた人員たちは、それぞれに頷きあい、リサゼルが無理を言って開かれた会議はいくつかの議案を提出し、議決したのち閉会された。
その議案には、リサゼルの継承権を剥奪し、僻地にある土地への転出、といったものが含まれていた。その議案は全員の一致であっけなく採決された。
コザーヌ自身も、それにはなんのためらいもみせずに賛成票を投じた。
そうして、リサゼルはあっけなく権力を失った。
噂の片割れであるニーノの方はさしたるお咎めもなかったものの、今まで後ろ盾として利用していたリサゼルやコザーヌ家がごっそりと抜けた形となり、活発に活動していた軸を一つ失う格好となった。
今はそれで十分、とばかりに、宰相もそれ以上の追及をすることはなかった。
ややこしい問題を含んだリサゼル、という影響力を失い、また、彼女がどういう形であれ、王家の血を引く子供を宿しているのは確かなのだから。



「悪い、また遅れた」

ユリは静かに首を振り、心配そうに見つめるダレンに感謝の気持ちを無言で返す。
まだ声も出ない上に、体を少しでも動かすのが億劫な状態だ。
首を動かしたことですら、全身に痛みが走り、ユリは再び目を閉じた。
脅した形ではあるが、ジクロウ側に味方するようになったジエンに、折れた骨などは接がせたものの、打撲や炎症などは抑えることができなかった。また、折れた骨も再びつながり、痛みがなくなるまでは大分時間がかかると、ジエンが見立てていた。
二度目となる看病に、ユリは痛みの中、それでも安心してダレンの手当てを受けていた。
この手は安心できる、と、眠りの中に落ちる。

「やっぱ、逃げときゃよかったかなぁ」

こんな姿を二度も見ることになるとは思わなかったダレンが呟く。
だが、後ほど元気になったユリは、アンネローゼの熱烈な歓迎のもと、あっさりと元の職場へと戻っていた。
ダレンの心など知らずに。
さらに、少しだけ近くなった距離が、さらに保護者と被保護者の関係へと突き進んでいるようで、二度目の大きなため息をついた。



 アンネローゼが子を産み落とすまであと少し、ユリは元気に働いている。
一部の思惑を知らないまま。


11.02.2009
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