陛下、事件です/第6話

「ユリ様が?」

魔術院の結界をやすやすとやぶり、ダレンはアーロナの研究部屋へとやってきた。
魔術院はどちらかというと学者のよりあつまりで、それぞれが個室を与えられ、日夜研究に励んでいる。宮廷魔術師であるアーロナは、それでも表向きの政治の仕事に携わることが多いけれども、残りは全てこの部屋での研究へと当てられている。それが幸いしてか、この部屋にはダレンとアーロナしか存在しないし、ここほど盗み聞きから程遠い場所はない。

「おまえも知らなかったのか」
「申し訳ありません、そういうことにはどちらかというと疎いもので」

すでに宮殿中に噂は広まっていようとも、この魔術院は最もその周りが遅い場所のひとつだろう。残りはぼんやりと見張りつきで仕事をしている陛下の部屋ぐらいのものだ。

「リサゼル様がそのような手に出るとは」

アンネローゼの出現で、ただ一人子を授かった側室という立場を瞬時にして失ったニーノが、何かをする、ということを想定はしていたが、よもや毒殺疑惑の自作自演、とは思い当たらなかった。

「ユリを連れ出して逃げればいいんだが」
「いえ、それですと疑惑が」
「……俺はかまわん、が、ユリちゃんがなぁ」

ダレンはこの王室の連中に何の感情も抱いていない。こちらに呼び寄せた、ということはつまるところユリに出会えた、ということではあるが、そのことについて感謝しているわけでもない。死のうが生きようがどうでもいい人間、ダレンの中での彼らは、その程度の扱いだ。 だが、ユリは少々複雑な感情を彼らに抱いている。
憎んでいる、嫌っている、好いている、同情している。
そのそれぞれが交じり合い、どうしようもないほど彼らと離れられない感情を抱いてしまっている。口では冷たく否定はするが、今までずるずるとここにいたのがその証拠だ。
短い付き合いとはいえ、最も側にいたダレンがそれに気がつかないはずはない。

「アンネローゼのねーちゃんに何かあったらなぁ」

特によくしてもらったアンネローゼに対しては、純粋な好意しか抱いていない分、その感情が彼女に移入しやすくなっている。彼女を見捨てて逃亡し、後でアンネローゼが困ったことになった、と知った時に、ユリが傷つくことを心配している。

「甘いからなぁ、ユリ」
「ですが、そこがユリ様の良いところかと」

突然連れてこられ、泣き暮らし、逃げ惑った生活を強いられても、ユリは彼らを憎みきってはいない。

「まあ、あと少しだけ協力してやる」

ダレンとアーロナは、共に騎士隊長ローンレーの待つ部屋へと飛ぶ。
そこには恐怖に震え、腰を抜かした密偵たちが、床の上にみっともなくも転がっていた。

「やはりリサゼル様関連の指示のようで」
「……夫婦でお上手ですね」

怯えきった密偵たちを横目に、アーロナが思わず呟く。

「仕事ですから」

生き生きと脅しをかけていた妻リティの姿を思い浮かべながら咳払いをする。

「で?」
「ええ、ユリ様はどうやら、その」
「ユリが?」
「拷問にかけられているようで」

今にも飛んで迎えに行きそうなダレンをアーロナが止める。彼らの技術は非常に拮抗している。こなせる数の多さはダレンだが、このような移動の術はアーロナが得意としていたことが幸いした。
憤怒の形相で、八つ当たり気味に密偵を踏みつける。
くぐもった声がもれる。
そんなものには一顧だにせず、ダレンはアーロナに詰め寄る。

「何で止める」
「いえ、ですが、それでは」
「おまえらがどうなろうが知ったこっちゃないんだよ」
「ブランシェ様、落ち着いてください」
「これが落ち着いてられるか。だいたいそっちのせいだろうが」
「それについては深く謝罪いたします。ですが、どうかここは留まってください」

大きく足を踏み鳴らし、粗末な木製の椅子へ座る。その姿にさえ密偵たちは小さく怯えている。

「どうすんだよ」
「ええ、ですが、恐らくリサゼル様の目的はアンネローゼ様の失脚。早晩元老院にそれを訴えるでしょう」
「幸いあちらにはたいした魔術師がいない様子です。まあ、ですからあのような策にでたのでしょうが」

この王国にしても魔術師の数は少ない。ましてダレンやアーロナ、スリリルのような技術を有しているものは一握りほどしかいない。
一口に魔術を使える、と言ってみても人が歩く一歩ほど飛べる、食物がなんとなく温かくなる、といった程度の力のものから、それこそジエンやアーロナのように国を飛び越えて飛んでいけるものまで様々だ。
また、その力のあるものの多くは魔術院に属し、研究漬けの日々を送っている。
彼らの半分は貴族出身であり、半分は市井のものだ。ほとんどの魔術師は政治に興味はなく、それは市井出身者に関しては顕著な傾向にある。ただ、己の力が試せ、高められればそれでよい、としている。だからなのか、アーロナのように高位の魔術師であっても、あの王宮内の政治的混乱に巻き込まれることがほとんどない。誰が王であっても研究ができればよいのだから。
そのおかげ、といっては御幣はあるが、ジクロウ一派以外に力のある魔術師が加担している様子がない。多少の力があるものが仲間内にいる恐れはあるが、もちろんそれはダレンやアーロナの力には遠く及ばない。その点ジクロウは、スリリルとアーロナ、という魔術師二人に肩入れされた、稀有な王、ということができるだろう。そのうち一人には手酷く裏切られてしまったが。


 人々の思惑が錯綜する中、ユリは暗い牢屋の中で、ただ一人うずくまっていた。
容赦なくやられた傷は、申し訳程度に手当てされ、鈍い痛みが全身を蝕んでいる。声を発することはおろか、できれば指一本動かすのも憂鬱な状態だ。
何か、が現れる気配がした。
だが、ユリは身動き一つせず、ただ、その気配を意識の端っこに乗せるのみだ。

「手酷くやられたな」
「……自白だったらしないし、拷問だったらまたにして」

搾り出したかのような声は、それでも強気を隠そうともしていない。

「そんな口がきけるんなら、まだいけそうだな」
「うざい」

顔をあげようとしないユリに、その気配が距離を縮める。
全く動く素振りを見せないユリにそれは近づき、何かユリにとってはわけのわからない所作をはじめる。
やや体の痛みが弱くなったような気がして、ユリがようやく顔を上げる。
見知らぬ男が、哀れんだような表情をしながら見下ろしていた。

「あんた、だれ?」
「ジエン、と言っても知らないか。リイルの協力者ってやつだよ」

彼の存在は、リティの口から聞いていたものの、その姿を始めてみたユリは、思わず全身をまじまじと観察する。
無骨だが優しい雰囲気を纏った男は、その容姿から貴族階級ではないのだろう、と判断する。

「どうやって?って、あんた魔術師か」
「そういうこと。といってもここもうすーい結界が張ってあったけどな」
「ばれないの?」
「そこんところは宮廷魔術師様がうまいこと誘導してくれたさ。俺はどうもこういう細かい術は苦手なんでね」

どうしてその細かいことが得意な彼がこないのかと、疑問が浮かんだものの、自分に近づけば術が効かなくなる呪いをかけられていたことを思い出し、納得する。

「今、連中が画策してる」
「そう、まあ、あんまり期待はしていないけど、最後にはダレンがいるし」

どれほど時間が経過したのかすらわからなくなったユリは、いつまでたっても救いにこない彼らに、少しだけ疑念を生じつつあった。特に何のしがらみもないダレンが真っ先に自分の下にこない、ということに絶望にも似た気持ちを抱いていたことは確かだ。
短い間とはいえ共に暮らし、少しは分かり合えたと思っていたからなおさらだ。

「アンネローゼ様に疑惑がかけられている」
「……そういうこと。じゃあ宰相はうかつに動けない」
「話しが早くて助かるな。今回は宰相には話をしていないらしい。動いているのは俺や宮廷魔術師だ、ああ、ブランシェとかいうやつもそうだな」

懐かしい、と思えるほど平穏だった日常を遠くに感じてしまったユリは、ようやくその名を耳にし、安堵した。
彼は、きっと私を見捨てない。
刷り込まれたかのような気持ちが、強まっていく。

「悪いがこれ以上は治療できない。ここは一定以上の術に反応する、という見立てだ。俺にはわからんが」
「大丈夫、まだがんばれる」
「無茶はするなよ、といっても何もできないか」
「待つことはできる」
「……死ぬなよ」

ジエンは、音もなくユリの前から消え、再び静寂が訪れた。
抱えた膝に顔を埋める。
ダレンがいれば、大丈夫かもしれない。
ユリはこの世界に来て初めて、自分以外の誰かの名を呼んだ。


10.09.2009
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