誰のためにバラは咲く?/第8話

「条件?」

ユリは魔術師を睨みつける。

「ユリさまが陛下とご一緒に、宮殿へ戻られることです」

やはり、というか予想通りの条件をつけた魔術師に、ユリはさらに厳しい視線を向ける。

「それがお約束できないのでしたら、この呪い解くわけにはまいりません」

主ののろいが解ける、といった言葉に反応し、すがりつくような視線をユリと宮廷魔術師に女中頭が向ける。その必死な思いに、ユリはいたたまれなくて視線をはずす。
たっぷりと逡巡し、苦しむ主の姿を眺め、再び貧弱な男へ視線をやる。
先ほどとは違った緊張感がユリを襲う。

「……わかった。いく。行けばいいんでしょ」

悔しさと空しさがない交ぜになった思いを吐き出すかのように、言い捨てる。
どういうやりとりかはわからないが、この貧弱な男が、のろいをとくのだと、その事実だけが浮かび上がって理解できた女中頭は、魔術師のひざにしがみついている。

「お願いいたします、お願いいたします。どうかお嬢様をおたすけください」
「わ、わかりました、あの、その、少しお放しいただけると嬉しいのですが」

その迫力にためらいつつも、アーロナは主の側へ近寄り、額に手を当てる。
なにやら難しい言葉を呟いている彼を、固唾を呑んで見守る。

「あれ?」

つばを飲み込む音も聞こえない中、魔術師の間抜けな声が響く。

「いや、もう一度」

再び緊張感に包まれる。
だが、それもまた間抜けな声で緊張の糸が切れてしまう。

「なにやってんの?」
「も、申し訳ありません、あの、あれ?」

左手を振り上げ、庭の花を飾った花瓶へ振り向ける。
だが、その仕草が何をしていたのかは全くわからないが、当然その花瓶には何の変化も現れない。

「なにやってんの?早くといてよ」
「いや、こんなはずでは」

再び何かを唱え始めた彼は、何も起こらない主の様子を見て、呆然とする。

「とけません」
「は?」
「解けません、いえ、それだけではなく、なぜだか魔術を使えません、私」
「はぁ?使えない?使えないって?だったらなんで魔術師なんてやってんのよ」
「申し訳ありません、ですが、私にも理由が」
「役立たず、っていうか害にしかならないんだから、最悪。どっかいって、むしろ死んで」

あまりな悪口雑言に、魔術師の目には涙すら浮かぶ。

「ぶさいくで役に立たない貧弱な男が泣いたって、ちっとも全く全然うっとうしいだけなんですけど」

更なる追い討ちに、ただでさえ原因不明で魔術をなくしているというのに、さらに気持ちが落下していく。
役立たずだとだけはわかった女中頭は、すでに主の下へと戻り、その手を握り締めている。
全員が沈黙して、全員がどうしていいのかわからない状態に突入した。
だが、そのこう着状態は、ユリが小刀を陛下の首筋に当てることで解消する。

「な、な、なにをするユリ。気でも違えたのか?余にこんなことをしても何にもならないぞ」
「何にもなるのよ。思いついたっつーの」

ニヤリ、と笑ったユリに、宮廷魔術師は陛下を守ることすら忘れて後退する。

「スリリル!スリリル!どうせその辺で聞いてるんでしょ!」

部屋の中空へと向けたユリの声が響く。

「あんたの大事な大事な陛下さまに傷つけられたくなかったら、とっとと姿を現しなさい」

陛下が接触して、短時間の後にユリが飛ばされている、という経験則から、自分自身になんらかの合図を知らせる仕組みが取り込まれているのだろう、と踏んだユリは、それを仕込んだであろう張本人に向かって叫ぶ。
自らがかけた呪いをなかったことにして、さらなる愛人のようなものとなるユリが、陛下と接触をするのを嫌がるのは当然で、ましてユリが期待通り赤ん坊を産んでしまえば、陛下がスリリルに負けを認め、彼女を迎え入れることもできなくなってしまう。今はもう当初の感情よりさらにややこしくも捻じ曲がってしまったが、ただ一人の人として愛されないだけではなく、生涯ひとかけらの愛情すらもらえない人生はまっぴらだろう。

「いいの?いっとくけど、よく考えたらこいつ消しちゃったら楽だって気がついたんだからね」

人を殺したことも、積極的に傷つけたこともない彼女だが、この場合多少の無茶は許されるだろうと、勝手に考えている。
そもそも、陛下には恨みの思いしか抱いていないのだから。
うっすらとその首筋に傷をつけた後、ようやく呼び求めていた女性が姿を現した。

「久し振り」
「手を離して」

相変わらず美しい姿で現れたスリリルに、一瞬陛下が見蕩れる。

「あの人ののろいを解いたらね」

ユリを睨みつけ、主を一瞥すると、右手を一振りする。
あっという間に消滅した疱瘡と、落ち着いた呼吸音に、呆然として、次には大粒の涙を流して女中頭が主にすがりつく。

「ありがと」

それを見て取り、ユリが小刀を陛下の首から下ろす。

「で?どうせ飛ばすんでしょ?」
「当然でしょ、この小娘」
「あのさ、もともとはあんたのせいってわかんない?あんたがこいつに変な呪いかけなきゃ、私が召還されることもなかったし」
「うるさいわね」
「あ、次はもう少し違和感のないとこにしてね、結構苦労したし」
「やかましい!」

ユリの姿は掻き消え、そのスリリルの姿も陛下の前からはあっという間に消え去った。

「陛下」

あわてて駆け寄った魔術師は、陛下の傷口に手を当て、術が使えることに驚く。

「どうやら、私も呪われているのかもしれません」
「おまえが?」
「はい」
「まあ、よい、それは帰ってから考えるとしよう、邪魔をいたした」

小さく礼をして、二人の貧弱な男の姿も消え去る。
後には、そんなことにも気がつかない女中頭と、何が起こったのかさえ全くわからず、ただただ見守るしかなかった若者が取り残された。


 数日の後に、起き上がるまでに回復した主は、奇跡的に心も取り戻した。
以前のようにぎらぎらした心ではなく、少女の頃、ただ美しく、朗らかであった時代の心を。

「いつのまにか咲きましたね」
「はい、お嬢様」

伯爵との結婚から、ここにいたる激動を、主はほとんど覚えてはいなかった。
ここにいるのは昔のままで、子供の頃の彼女。
容姿は衰えたが、その穏やかさが彼女に優しげな表情をあたえ、更なる魅力となって輝き始めた。

「そういえば、とても親切な人がいたような気がするのだけれど」
「ええ、ええ、おりました。とても……個性的な良い子でした」

気がつけばいなくなってしまったユリの姿を思い浮かべる。
今では、ユリが孤児院育ちだというのは嘘だろうと、女中頭は踏んでいる。

「あら?ここにも」

咲き誇る花の中で、美しい花が笑う。
その隣でようやく本当に安堵した女中頭が、穏やかに主をみつめる。
その光景は、この屋敷の名物となり、穏やかで暖かい茶会への参加は、この付近の女たちの憧れの的となる。

主ののろいが消えたのと同時に、伯爵の新しい妻に同じ症状が現れた。
伯爵が金に飽かせて雇ったどの医者も、魔術師もその病を治すことはできず、どうにか命は取り留めたものの、彼女の顔と体には一生かかっても消えない痕が残ることとなった。
美しさを追い求めて彼女を娶った伯爵は、あっけなくも彼女を打ち捨て、再び美しい蝶を求め、社交界へと帰っていった。



 その頃ユリは、暖かくて過ごしやすい国で、職を求めてさまよっていた。
給金を溜め込んだ彼女は、とりあえずの宿の確保はできたものの、その先を思い、少々落ち込んでいた。
彼女が、旅芸人の一座に賄いとして雇われるのはしばらくたった後のことで、そこからまたユリの新しい生活がはじまる。


5.30.2009
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