きっかけ

 ニーノとの正妃争いに勝ったアンネローゼは、邪な後見人がしたり顔でニーノの子に近寄る前に、素早く彼を己の屋敷へと保護した。幼いながらに政争に巻き込まれた彼を実子と同じように遇し、エリヤと区別することなく育て始めた。 そのことに対して、跡継ぎの芽を全て奪い取った強欲な女、と、影で謗られていることを知ってはいるものの、負け犬の遠吠え、と一笑に付し、アンネローゼは相変わらずの態度で、高らかに笑い飛ばしていた。
のんびりとした屋敷へと移り住み、今までとは異なる人々に囲まれたニーノの子ヴィルトは、次第に子供らしさを取り戻し、また、同じ年ではあるが、義理の母の子、エリヤを兄と慕っていった。
アンネローゼは、区別はしない、との言葉どおり、継承権第二位をもつヴィルトにも、完璧な帝王学を学ぶことを求め、その要求に応え得る最高の教師陣を屋敷へ招いていた。そこで、ヴィルトはエリヤと共に学び、成長することを期待された。
だが、残酷なことに、ヴィルトはエリヤに一歩も二歩も劣っていることを自覚しており、強かで計算高い実母と異なり、非常に控えめで影の薄い少年に育つ結果となった。
それはアンネローゼが第二子を産み落としてからもかわらず、陛下に似たどちらかというと凡庸な次男相手にも彼はその控えめな態度を変化させることはなかった。

「ヴィルトさま?」

ある日突然教育係としてやってきた女が、木陰で本を読んでいたヴィルトに声をかける。
アンネローゼの屋敷は、宮殿からは程よく離れ、屋敷に住まう人々もどちらかといえば年かさで、落ち着いた人間が多い。
例外といえば、今近寄ってきたこの教育係ぐらいなもので、彼は正直なところ彼女を少し苦手としていた。

「先生が見えましたよ?」

学校へ通わないエリヤとヴィルトには、当然屋敷へ通う教師がつけられている。
まったく実子と区別しないアンネローゼは、ヴィルトにも帝王学を学ぶことを求め、またその教育が施されている。
日々、エリヤとの差を見せ付けられ、己の立場と才能のなさに無理やり気がつかされる日々は、ヴィルトにとっては苦痛でしかない。それでも学ぶ楽しさを知っている彼は、なんとか授業に参加してはいるものの、それでも時折こうやって避難したくなる気分の日もある。
それを許さないのが、この教育係であり、ある日突然やってきて、義理の母であるアンネローゼとやけに親しいユリ、という女だ。
今まで見たことがない黒髪と黒い瞳の彼女は、ちょこまかと動き、とてもよく働く。
黙ったまま本から目を離そうとはしないヴィルトに、再びユリから声がかかる。

「今日はやめちゃいます?」

その言葉に、彼はちっとも頭に入っていなかった書から目を離し、ユリを見上げた。

「別に、一日ぐらいさぼってもどうってことないし」

厳しくて、今までどれほど嫌そうな顔をしても彼の尻を叩いていた彼女の言葉とも思えない。声も出せず、ただユリの顔をじっとみつめる。

「ダレンのとこでもいく?魔術は好きだったよね?」

王族の子にひどくぞんざいな口を聞く彼女を、彼はそのことで嫌いになったことはなかった。むしろ、遠巻きにして慇懃無礼に挨拶をする貴族たちの哀れみに満ちた視線を嫌というほど浴びていた彼は、それをどこかでうれしく思ってもいた。

「どうする?」

ユリが何かをたくらんでいるかのような笑みを浮かべ、つられてヴィルトも笑う。
こくり、と頷き、彼はいつのまにかユリに手をとられ、歩き出していた。



 ユリの夫、ダレンは非常に優秀な魔術師である、ということは有名な話である。
先王の宮廷魔術師であった男の最後の弟子、という彼は、今でも国に仕えないか、と依頼を受けている。だが、それを頑なに固辞し、好奇心がもたらす手助けのみに留めているようだ。そのため、時間に余裕がある彼は、市井で医者の真似事をしたり、私塾のようなもので才能の芽を探す仕事をしているらしい。
今日は、彼らの子、スミレとウィルの魔術指南の日である。
優秀な彼に似た、彼女と彼は、とても魔術の才能に富んだ子供だ。特に姉のスミレの方は、性格と容姿こそ母に似たものの、その才能は父譲りであり、すでに国仕えをしないかと、誘われるほどの腕前へと成長している。
三つか四つほどしか年が違わない彼女が、すでに一人前と目されていることを恥ずかしい、と思うものの、彼女に対しては、好意の方が勝っている。

「あ、ヴィルト」

難しそうな書から、こちらへと視線を向け、屈託のない笑顔をスミレが浮かべる。
僅かに上気した頬を両手で押さえながら、小さく会釈をする。

「ヴィルトもやる?」

ヴィルトよりさらに年少のウィルが小さな足をせかせかと動かし、彼の元へと寄ってくる。
しっかりとウィルに袖を掴まれたヴィルトは照れながら、姉弟の隣の席へとつく。

「やっぱり変わった魔力だなぁ。もっとこっちの時間割くように言っとくか?」

ダレンから問われ、ヴィルトはしばし考え込む。
軽いのりで言われたことではあるが、これはヴィルトにとっては願ったりかなったりの提案だ。
もとより彼は王位を継ごう、などという野心は小指の先ほども持ってはいない。
ただ、こちらへ来る前、実母と暮らしていたころは、「あなたこそが次の王様よ、お母様が全部よい様にしてあげますから」という呪詛の言葉をかけられ続けてはいた。入れ替わり立ち代り母の元へやってくる貴族たち、母の生国の親戚たちも彼にそう言う風なことを繰り返し言い続けた。
だが、彼は、彼らが固執するその権力、というもののあっけなさを十二分に実感している。
幼心に、実母が捕らえられ、次々と彼の周りから人がいなくなっていく経験は、彼の心の深いところに巣食い、復讐心などもたぬほどに彼を臆病にさせている。
権力など欲しくはない、王様という重圧のある立場には立ちたくはない。
王族の子としては甚だ精神が脆弱ではあるが、彼は常日頃から周囲の邪な期待から逃れる術を探している。

「私は、魔術師になれますでしょうか?」
「いや、なれるかなれないかって言えば、もちろんなれるだろうけど。でもヴィルトは王族だろ?」

王にならなくとも、彼には王族としての義務が待ち受けている。
王の側近となってその手助けをするか、他国へ婿へ行くかはわからないが、己の好き嫌いで職業を選択できる立場にないことは確かだ。 ヴィルトの視線はあちこちを行き来する。
ダレンと子供二人は、彼の迷いある視線に注視しながらも、静かに彼が口を開くことを待つ。

「私、は、陛下の子ではありません」

子供が考えた言い訳は、それでも本来なら十分な衝撃を与えられるものだ。だが、ためらいがちに発したその言葉に、ダレンも、その子供たちですら微動だにしていない。

「知ってたのか?」
「え?」

ダレンの失言に、正直にヴィルトが驚く。
彼は、彼がジクロウの子ではない、ということを周囲の噂から知ってはいたが、確信はしていなかった。だが、魔術師になる、という言い訳のために口に出したそれは、あっさりとダレンによって肯定されてしまった。

「とうさん、それ言っちゃだめ」

すぐさまスミレに叱責され、ダレンがあわてて口を噤むも、後の祭りだ。
薄々ではなく、第三者からはっきりと陛下の子ではない、と断定されたヴィルトは、今までささやかに保っていた足場が崩れ落ちていくのを感じた。

「ジクロウも、宰相もそのへんあんまり気にしてないし、ほら、だから、気にすんな」

どちらかというと軽い口調のダレンが、ことさら軽い口調で言葉を重ねる。

「アンネローゼさまもさ、ほら、まったくそういうの区別してないから」

それは、義理の息子になったヴィルトも承知している。
だからこそ、彼女の期待が重苦しく彼にのしかかっているのだ。

「まあ、いいんじゃない?別に。誰の子だって、ヴィルト金髪だし」

彼より見事な金の髪を持つ少女が父親の失態をあきれた目でみながら、ヴィルトに投げやりながらもよくわからない救いの言葉をかける。

「そうそう、だってそれを言ったらジクロウだって本当に先王の子かどうかってわからないし、そこんとこはほら、男にはわからない世界ということで」

すでに先王が逝去して久しい今、先王とジクロウがその凡庸さにおいて非常によく似ていることを子供たちは知らない。
だが、こんないい加減な説得にもうっかりと聞き入ってしまいそうなほど、ヴィルトは傷ついてしまっている。

「そう?じゃあ私もとうさんの子じゃないかもしれないってこと?」
「や、それは、僕はユリちゃんを信じてるから!」

よくわからないやりとりで、父娘喧嘩に発展し、その舌戦をヴィルトはぼんやりと見守る。
次第にそのやりとりが耳に届き、脳が理解し、そしてあまりのダレンのやられっぷりに、ヴィルトの口から笑いがもれる。

「あーーー、じゃあ、俺からアンネローゼさまに進言してやるよ。ヴィルトのその才能は確かに埋もれさせるには惜しいからな」
「私に、才能が?」
「ああ、あるある、たっぷりある。ちょっと方向性は違うが、スミレといい勝負になるんじゃないか?」
「スミレさんと?」
「保障する」

ようやく、ヴィルトは心からの笑みを浮かべ、そして一粒涙を流した。



 そこから先、ヴィルトはダレンの一番弟子を自認し、アンネローゼが手配した帝王学を学ぶには最適の教師陣を一蹴していった。
あきらめの悪いアンネローゼは、それでもあの手この手で彼にその知識を植え付けようとしたが、彼は頑として彼女の望む方向へは進もうとはしなかった。
やがて、彼は一人前の魔術師となり、また一人の男として自身を得、スミレに求婚するようになるのだが、それはまた別の話。
おまけに、すっかり帝王学を身につけ、現王よりも王らしい男として君臨する兄が、その間を割って入ろうなどとは、今の彼は夢にも思わなかった。

6.18.2010/完結
++「Text」++「Chase目次」++