「……これを私に着ろというのか?」
交わした約束通り、牡丹との一日デートと言う名の生贄に差し出された琥珀が、不承不承、いや、ほぼ泣きながら牡丹に引きずられるようにしてどこかへ消えていったのは先週の話。ひと回り痩せたかと思うほどやつれた頬で帰ってきたときには、多少良心というものが痛まないでもなかったが、デートといってもジェームス氏も交えての話ではあったため、限度はしれているだろう、と、妙な安堵も覚えていたりする。だからというか、都合よくというのか、琥珀に納得させるために私が出した条件の事など忘れたフリをしていたのだが、そう簡単に事が運ぶはずもなく、琥珀は着々と準備をすすめていた。これもその準備の一貫なのだが、と、琥珀が用意した衣服を手に取り、思いっきり顔を顰めてしまう。
「はいぃぃぃぃぃ、翠さんはもう少し華やかなものを着たほうがいいんです、絶対!!!」
確かに、私が好んで身に付けるものは地味で機能性に優れたものだが、それにしてもこれはないのではないかと、再びスカートの裾をめくって何もないのに中を確かめたりしてみる。
「いや、それにしてもこのスカートの丈では……」
短いなどというものではない。私の通っている高校でもスカートの丈は短いものが主流だ。もちろん、規定の制服の丈が元から短いはずはなく、皆一様にどうにかして短くしているらしいのだが、私は何も手を加えずそのままの丈で過ごしている。由貴あたりなどは、それをみてなんとかしようと思ってはいたらしいのだが、私の性格を知るにつれ、徐々に諦めていった。今では数少ない校則を守る優等生の部類に入る。もちろん、制服に関する規則のみだが。
「それに、このままでは肌が見えすぎはしないか?」
ワンピース、だとは思うのだけれど、肩のあたりがやけに涼しげで、そのままでは不安だ。それに、ただでさえ稽古続きで生傷が絶えない現状で、それをわざわざ露出してみせる、というのは悪趣味ではないだろうか。
「ご心配なく、やっぱり僕としても翠さんの肌を周りに見せるのは、悔しいですから」
と、何が悔しいのか良くはわからないけれど、上に羽織る物まで用意してある。
それらをどうやって手に入れたのかは聞かないでおこう。非合法ではないけれど、かぎりなくそちらに近い手段には違いないのだろうから。
「本当に……」
言いかけたところで、雨の中取り残された子犬のような顔をする。
やめてくれ、私はその顔に弱いのだ。そんなのだから付けこまれるのよ、と由貴の叱咤する声が聞こえてきそうだが、そういうものに弱いのだから仕方がない。ようやく開き直った上で、膝の上にワンピースをのせ、決心をする。
「仕方がない、約束は約束だ。明日はこれを着て一日付き合えばいいのだろう」
「はい、そうです、デートですこれは、これこそ本当のデートなんです!!!」
尻尾があるのなら、ちぎれんばかりにふっているのだろうな、と、上機嫌の琥珀が返事をする。こういう瞬間は、嫌いではないと、明日そんなものを着ている自分をできるだけ考えないようにして現実逃避をはかる。
明日はできれば知り合いには会いませんようにと、呪うような気持ちで眠りにつく。
できれば、雨など降ってくれれば傘をさして顔を隠せるのにと、恨みがましい目で憎たらしいほどに晴れ上がった空を見上げる。
いや、ひょっとしたら……。
「そうしたら相合傘ですから」
私の心を読める琥珀の前で迂闊な事を思うことはよそうと思いはするのだけれど、想像してしまったものは仕方がない。しかも予想通りの答えが返ってきた日には、沈黙する他ないだろう。
「ということで」
さりげなく握られた手は、やっぱりいつもの琥珀のもので、デートという文字に躍らされて緊張して
いた自分がばからしくなる。これは、デートじゃない、断じてデートなどではないと暗示を掛ける。いつもの買出しやら散歩やらと同じだと、言い聞かせるようにして繰り返す。
「ふふふふふーー、デートデート」
それを塗り返すように琥珀が歌うようにして繰り返すのは、絶対わざとやっているに違いない。
「それに、翠さん、やっぱりやっぱりやっぱり、とてもお似合いです」
「それ以上言うな。こんなものを着ているだなんて自覚すると、逃げ出したくなる」
結局、言われるままに用意された衣服に袖を通し、鏡など見ないようにして出てきたのだ。こんなヒラヒラした格好をしているだなんて意識した途端、たぶん絶叫してどこかへ走り去りたくなる。
「でも、どうして翠さんはそんなにそういうのが苦手なんですか?味覚音痴の大魔王はどっちかというと着飾るタイプですよね」
「だからだ……。私たち姉妹は良く似てはいるが、姉の方が華奢で綺麗だからな」
よく、親戚などにはからかわれた記憶がある。主に口の悪い従兄弟連中からだが、なまじ似通っているだけに、瑣末な違いが強調されるのだと思う。それが私たち姉妹にすると、僅かに違う目の大きさだったり、骨格の違いだったりするのだが。
「そうですかね、僕にとっては翠さんの方がはるかに綺麗でかわいいですけど」
「おいしそう、の間違いだろう」
たぶん、琥珀は私と姉を姿かたちで区別している、というより、おいしい不味いという、非常に原始的かつ本能的な部分で区別しているような気がする。まあ、私の方がおいしそうだからかわいい、という理論も琥珀の中では成り立つのだろうけれど。
「いえーー、おいしそう、なのは確かですけど、確かに翠さんはかわいいですよ」
「……そんなことを言うのは琥珀ぐらいだ」
正確にいえば由貴もそうだが、由貴のそれは、ニュアンスが確実に違う。おもしろい、という意味が含まれたかわいい、だろう、きっと。
「そうですかね、まあ、翠さんがそう思っているのなら、都合がいいような気もしますけど」
琥珀にしては、言外に何かを含んだような口ぶりが気にならないでもないが、とりあえず目的地についたのでその会話はそれまでとなった。
結局、たどり着いた先は輸入品が数多く並んでいるキッチン用品の店で、琥珀は一つ一つを手にとって、いたく感動している。我が家の予算内に収まるものならば、と、いう条件付で琥珀が吟味の上に吟味を重ね、選び抜いた数点を嬉しそうに購入している。
これが、いつもの買出しとどこが違うのか、という点は不問に付すとして、こういうのも結構楽しい、などと思ってしまったのは、確実に琥珀に伝わってしまっただろうな、と、ニヤリとした彼の顔を見て後悔をする。
手を繋いで、琥珀の右手には戦利品が、格好はいつもと違うのにどこまでも生活感から逃れられないようだ。
「また、デートしましょうね」
「まあ、こういうのなら悪くはない」
捻くれた返事にも嬉しいのか、琥珀が握った手を強く握り返す。
やっぱり、こういうのも悪くはない。
結局夜は、琥珀が作ったものを琥珀に見守られながら食べるといういつもの光景に落ち着いた。私と琥珀には、これが一番お似合いなのかもしれない、と、戦利品の効果を確かめてとても上機嫌な琥珀を見て思う。
次の日になって、私がとんでもない美形と連なって歩いていたという目撃情報があっという間に広まって、大変な目に会う事になる。真とか由貴とか、ついでになぜだか皆川さんまでやってきては、私の周りは賑やかなものとなる。怒っているのか泣いているのか良くわからない真は置いておいて、一ダースほど言い訳を用意してもからかうのを止めない由貴と、相変わらずお札を片手に訳のわからない皆川さんととりあえずアンミツでも食べに行く事にする。
結局、私はこの賑やかな輪からは逃れられないのだと、嫌なような楽しいような気分に陥りながら。