「翠ちゃん、今日泊りにいっていい?」
「え?」
たいして驚くべきことではないのに、私としたことがたこさんウィンナーを箸から落としてしまいそうになるほど驚いてしまった。
「久しぶりだし」
「いや、その…」
目の前の由貴は拒むわけないよね、といったオーラを滲ませながらニコニコとせまってくる。本来由貴はそのぼんやりした容姿、のんびりした話し方からおっとりした性格であると認識されている。いや、クラスのほとんどが騙されているといっても過言ではないだろう。私ですらわかっているのにうっかり騙されそうになる。
「翠ちゃんのお弁当が豪華になったわけも知りたいし、ふふふ」
やはり、そちらであったか。
由貴が今まで黙っていた方が不気味であった。おっとりした外見とは裏腹な観察眼、タイミングよく繰り出す毒舌。そんな彼女が私の変化に気がつかないわけもなく、今まで見逃していたのは、ただ私を逃がさない機会を窺っていただけなのだろう。
「で、行っていい?」
会心の笑顔でおねだりをする彼女は素直に可愛いと思える。たとえその中身がどんなに辛らつであろうとも。
由貴の笑顔の迫力に思いきり負けた私は、渋々彼女を家へ連れて帰る。
一人っきりになってしまった私を心配して、彼女は幾度となく家へとやってきてくれた。そのことに関しては十二分に感謝してはいるのだが。
深呼吸をして諦めにも似た境地で引き戸を開ける。
「ただいま…」
「おかえりなさーーーい、翠さん」
いつものように機嫌の良い琥珀の返事が素早く返ってくる。
「って、ちょっと、男の声?」
好奇心というパーツに着火して舞い上がった状態の由貴は、静止の隙も有らばこそ、素早く靴を脱いで、声のする方向へと向う。
「あれ?こっち?」
廊下をずんずんと越え、家を突っ切った先にある庭兼物干し場にたどり着く。
「どちらさまですか?」
洗濯物をかごへと取り込んでいる琥珀が訊ねる。
「どちらさまって………」
くるりと後ろからついていった私の方へと振りかえる。
「翠ちゃん!!この怪しい男なんなの!!!!!」
的確な表現をありがとう、由貴。この上もなく怪しいのには賛成だ。
深緑色の着物に、白い割烹着、母さんが置いていったものだ、を着込んだ切れ長の目の男前。何者か一目であてられるやつは、ちょっといないだろう。
「誰です?このまずそうな小娘は」
敵意アリと認識した琥珀は、彼基準の評価をあっさりと下す。
そうか、まずそうなのか。
「翠ちゃんこんな人間じゃないやつどうして置いてるの?」
私の胸倉を握り締め、ガックンガックン前後に揺すりながら詰問する。
いや、ちょっと待ってくれ。今、とてつもない言葉をさらりと言いやしなかったか?
「人間じゃないって」
「気が付かないの???あんなにあやしぃオーラをだしてるのに!」
気が付かない気が付かない。最初の遭遇時にはきちんとばっちり人間だと思っていたのに、気が付くはずも無い。
「ふーーん。わかるんですか。でも見えるだけじゃだめですよね」
ふふんと鼻で笑う。こんな琥珀の表情は始めてみた。私に対してはいつでも穏やかな顔をして笑っていてくれたから。
「あんた、私の翠ちゃんにとりつかないでよ」
「いつ翠さんがあなたのものになったんですか。それに僕と翠さんは正式な主従関係なんです、小娘が口を挟むような安っぽい関係じゃないんです」
正式とか、安っぽいとか、誤解を四方八方に拡散させそうな言い分はやめていただきたい。おまけに、琥珀も由貴も彼が人ならぬものであると、お互いが認識している事を前提とした話し振りだ。彼のどこに人と異なる部分があるのかなどわからないし、この由貴にそれを見わける能力があるだなんてまるで知らなかった。そうして、もちろん知りたくもなかったが。
「なんですって?私と翠ちゃんは生まれながらの親友よ、あんたこそポッと出のくせに生意気言うんじゃないわよ」
由貴とは高校入学以来のつきあいのはずだが、計算が途方もなく合わない。
「それに、今の翠さんのお世話は僕に一任されているんです、あなたなんか何の役にもたたないじゃないですか」
「よく言ったわね、化け物。私は彼女のオアシスよ、憩いよ、休憩場よ!!!ただ家事をやってりゃいいだけのあんたが、精神的安定感をあたえる私の立場にかなうわけないでしょう!」
「この小娘が」「この化け物が」
当事者であるはずの私を置いて、どこまでもエキサイトしていきそうな両者のにらみ合いは続く。二人の間には火花すら散っていそうである。
一瞬呆気にとられたが、ようやっと精神をまっとうな位置にまで浮上させる。
「二人ともやめてくれ」
「翠さん」「翠ちゃん」
二人が同時にこちらへと振り向く。その迫力のままこちらを見るのは心臓に悪い。
「あーーー、由貴。何を言っても驚かなさそうなので、正直に言うが、妖怪で居候の琥珀という」
まだまだ興奮冷めやらぬといった風情の彼女を落ち着かせる。
次に、琥珀の方へ顔を向ける。
洗濯籠を抱きしめたまま、由貴を睨みつけている琥珀は、妙な迫力がある。
「琥珀、この人は友人の由貴。まあ、はっきり物を言う性格だが、根はいい子だ」
私の紹介を一応黙って聞いていた由貴は噛み付くような勢いで私に詰め寄る。
「妖怪って、妖怪?そんな得体の知れない男っていうか妖怪を置いておくのは反対だわ。それにだいたい、ただの男の人だって簡単に家に入れたらダメじゃないの」
「それは確かに、そうなのだが」
「ちょっと前から様子がおかしいとは思ってたのよね」
腰に両手を当てながら、私と琥珀を順順に睨みつける。
「妙に浮かれてるし」
「浮かれているつもりは」
「お弁当はおいしそうだし」
「う、…それは、まあ」
「真君は不機嫌だし」
「それは知らなかったし、今直ぐ忘れるとしよう」
琥珀の存在を知っている真が気分爽快、なわけはないよな。
「で、翠ちゃん、ほんとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーに、こんなやつ置いておくわけ?」
「いや、その、琥珀が嫌でなければ私としてはいてもらうのは吝かではないというか」
はっきりいえば、琥珀がいてくれた方が何かと助かる。なにせ家事はパーフェクトにこなすし、私が言うよりも早く私のやりたいことを理解してくれる。
それ以上のなにか、も彼からはもたらされている気がするのだが、そのあたりは未だ私の中ではっきりとした形をとっていない。
「翠ちゃんがそういうなら。まあ仕方がないわね。いてもいいわよ」
思い切り高飛車に言い放つ由貴に対し、眉根を密かに寄せて不快感を表している琥珀。
「で、翠ちゃん、一緒にお風呂入りましょうね」
ふふんと鼻で笑い飛ばしながら由貴が私を促す。
確かに私の家は父の趣味でかなり浴室は広いスペースを確保してはいるが、今までそんなことをしたことは一度たりともないではないか。
「いい年なんですから一人で入ったらどうです?」
「あら、小娘っていったのはそちらの方じゃなくって?」
再び火花を散らして応戦しあう二人は、根本的に相性が悪いらしい。いつもは気弱な風情の琥珀があからさまに反感を示すのはどうしたことか。
「翠ちゃん、行きましょう」
片腕をかっちり固められ、廊下を引きずるようにして連れて行かれる。
琥珀は尚も浮かない表情で恨めしそうに私に視線を送っている。
由貴が帰った後、どうやって琥珀を宥めようか、なんて考えている自分に驚く。
一変した日常、騒がしい毎日。
そんなのも悪くない。