空知らぬ雨/第1話

「げっ」

唐突に口元を押さえ、かえるがつぶれたような声を発した皆川さんの方へ振り返る。
どうしてだかなつかれた以降は、こうやって由貴とともに下校することもあるのだが、彼女の体質からくる突発的な行動にも慣れきってしまった自分が怖い。
今回も一瞥したのち、由貴と同時にため息をつく。

「あんたもさぁ、いいかげん慣れたら?」
「だ、だれが慣れるもんですか、あんなもの」
「あんなもんもこんなもんも、見えるだけっしょ?」
「普通のはかまわないけど、あれはない」
「向こうが何かできるわけじゃないじゃん」
「私に言わせれば、そこまで達観したあなたの方がおそろしい」

そう、彼女の体質、とは、人間ならざるものが見えてしまう、といった特殊体質であり、そのところは高校からの友人、由貴と非常によく似ているらしい。それについても最近知ることとなったのだが。

「んーー、でも映画の方がはるかにきもくない?色鮮やかだし」

皆川さんの説明を聞くと気分が悪くなるため、あえては聞かないが、そういった類のものは一定の形で存在しているわけではなく、例えば死んだ状態のまま、だとか、一番本人が幸せだった時の年齢であったりだとか、それぞれにそれぞれの思惑でその形を作り上げている、らしい。そのあたりのことも、本人たちも詳しくは知らないし、知ろうともしていない。ただ街中にぽつんぽつんと、どうかんがえても人間ではない何か、が存在していることを可視してしまうだけなのだから。

「あーー、怖いもの見たさで覗かない。付いて来るよ」

人間としての意識があるのか、ないのか、それすらもわからないけれど、普段注目されていないのに、第三者の視線を感じ取ると、それらは高確率でその見た人間にくっついていくらしい。
こちらはくっついてこられても何ができるわけじゃない、ただの高校生だ。
だから由貴はその辺の石ころや雑草と同じようにあつかっている。
恐らく、それが何もできない立場としては正しい姿勢なのであろう。

「わ、わかってるわよ」

不自然なほど急激に視線をそらし、まっすぐと前を見据える。
そうやっていると、格の違う美少女なのだから、いつもそうやっていてもらいたい。そうすれば、きっと、私がややこしい問題に巻き込まれることも少なくなるに違いない。
学校に行けば軽い七不思議、家へ帰れば人外ど真ん中に迎え入れられる身としては、これ以上の厄介ごとはごめんだ。

「あ、いい男」
「……くやしいことに、本当にいい男」
「なんであんたがくやしがるわけ?ねえ、翠ちゃん」

由貴が指差した方向を見る。
そこには瀟洒な住宅があるだけで、生垣と、玄関近くの庭に植えられた松の木が青々と生い茂っている。

「でも、なんか陰気くさいなぁ」
「琥珀君っぽい?」
「や、あいつは気に入らないけど、あれはあんなに暗くないし」

人外、ということを忘れ去らせてくれそうなほど明るい琥珀を思い出し、由貴の言葉にうなずく。
だが、相変わらず私にはどちらかというと侘しさを伴った家と、その庭しか視界に映ってはくれない。
いつもなら、あれは人ではないから、と、口に出すまでもなく判断をし、何事もなかったかのように無視をする由貴が、私がそれを見えていないことにまるで気がついていない。
あれは、人ではない。
そう言いかけたとたん、一陣の風が舞い上がり、私たちの視界を瞬間ふさぐ。
めくれたスカートや、乱れた髪形を直し、再びその住宅に視線を走らせると、そこには確かに、彼女たちが言うような少し陰のある美しい青年、が、たたずんでいた。
視線が絡まる。
息ができなくなるのでは、と、思わせるほど強い何かで縛られたように、その場で動けなくなる。
突然歩みを止めた私を心配するかのように、二人がこちらを振り返る。
強い圧迫感が瞬時にしてなくなり、私は安堵のため息をつく。

「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」

最初、確かにあれは、見えはしなかった。
その言葉はのどに引っ掛かって出てこない。代わりに私は由貴へ精一杯の笑顔をみせる。
何か不審に思ったのか、それでもどちらかというとそういうことには詮索をしない由貴が、何かを言いたそうにして、口をつぐむ。

「また今度、ゆっくりとね」

ふいに、聞いたことのない声が後ろからかかる。
低く、でもどこか甘やかなその声音は、私の心臓をぎゅっとねじり上げたかのような衝撃を与え、思わず振り返る。
そこには、やはり、あの青年がこちらをまっすぐに見据えて立っていた。

「……」

誰、とも、私はあなたを知らない、とも主張できずに、どうにか動ける足を引きずるかのようにして私は歩き始める。
あれに、近づいてはだめだ。
私の中の本能が、危うい何かを告げている。

「どうしたの?」

心臓が激しくはね、声を出せない代わりに、静かに左右に頭を振る。
彼女たちには声が届かなかったことを棚に上げ、あれはそういうものではない、と、自分の心に念を押す。
由貴も、皆川さんも、あれを見ても何も感じていない。
ただの気のせいだ。
きっと、あれも、私に向かって言ったものではない。
ただの自意識過剰だ。
言い聞かせるようにしながら、他愛もない会話をしている二人に聞き入る。
だけど、絡めとられたような視線の感覚だけははっきりと覚えており、ゾクリと背中が震えた。

それは、私が、あの人に出会った最初の日。
すでにこのとき、私はあの人の白い手に、絡めとられていたのかもしれない。

2.17/Miko Kanzaki
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