「ん?」
小さく聞こえた疑問の言葉が耳に届く。
食料調達の帰り道、何時も通り琥珀と並んで歩いていたら、琥珀を見てあからさまに驚いている見知らぬ少女と通り過ぎる。
それだけならばよくあることで、琥珀は雛にも稀なる(?)古風な美男子らしいので、驚いて、次にはある種の熱のこもった視線で眺められることが少なくない。最初は、隣にいる自分までもが注目されているようで気恥ずかしかったが、誰も私のことなど視線に入れていないことに気がついてからは、それすらも風景の一部と認識できるようになってきた。
だけど、その少女は驚いて固まったまま動こうとはしない。
妙なやつだ、と思いつつも、お腹一杯どころか壊してしまいそうなほど妙なやつと付き合っている私にとって、これ以上やっかいごとはごめんだと、素早く見なかったことにした。なんとなく、本能が危険であると告げている気がする、悪い事にこういった勘ははずれたことがなく、巻き込まれる率が高い。仕方なしに歩む速度を上げる。
琥珀は私の心が丸読みできるため、訝しがりながらも私の歩幅に合わせてくれている。いつもは見せないスピードで逃げ出さないところをみると、琥珀にとって害はないということがわかる。
やっぱりというか、案の定というのか、妙な少女はぶつぶつ何事かを呟きながらも私たちの後をつけてきている。早足になればなったで、同じように速度を上げぴったりとくっついてくる。
誰何したいのをぐっとこらえ、係わり合いにならないように自宅へと到着する。振り返ると曲がった角には彼女の姿はなく、軽く息を整えて扉を開ける。琥珀はというと、全く息も乱れず、相変わらずの穏やかな笑顔を浮かべている。
「ただいまっと」
琥珀と一緒に出かけているのだから誰も返事をする人間はいないのだが、それでも癖で家に入るときにはこういってしまう。琥珀も琥珀で「はい、おかえりなさい」と、たった今一緒に帰ってきたというのに能天気に答える。そんなやりとりがちょっとだけ嬉しくて、さっきの出来事を忘れ去ろうとした瞬間、珍妙な声が乱入する。
「ちょっとまったあああああああああああああああああああ!!!」
その乱暴な声に、ああ、やっぱり私の勘は外れなかったと、誇らしく思ったほうがいいのか、がっかりした方がいいのか良くわからない気持ちがふつふつと湧いてくる。
「やかましい。ここは普通の住宅街だ。それ以上騒ぐなら警察を呼ぶ」
乱入してきた少女に思いっきり怯えたのか、琥珀の姿はすでになく、たぶん一番狭くて一番落ち着くといっていたトイレあたりにこもっているのだろう。
「さっきの、なに?」
「日本語で話せ」
「さっきの何って言ってるでしょ!!」
激しく肩を上下させながら、それでも彼女は何かを喚いている。私は少し息が乱れるぐらいだったので、鍛錬のおかげかと、すでに思考は考える事を拒否しかけている。
彼女は何度も深呼吸を繰り返しなんとか呼吸を常の状態に戻すと、私の両肩を勢い良く両手で掴みながら思いっきり顔を近づける。
こいつ、美形だ。
最近周囲に美形の人間外が多数出現しているせいか、あまり感動はないけれど、あいつらはまあ、人類外だから仕方がない。だけど目の前の少女は、多少地味ではあるものの、和風の美少女といって差し支えないだろう。ただ、血走った目と、鬼気迫る表情が激しくマイナスの作用をもたらしているけれども。
「さっきの人間の形をした物体、何って聞いてるんだけど」
多少興奮が収まったのか、彼女がようやくまともな口を聞いてくれた。
聞いてくれたはいいけれど、と、掴みかからんばかりの彼女を渋々視界に入れながら答えに詰まる。
彼女はあっさりと「人間の形をした物体」と言い切った。
確かに琥珀は妖怪だ。それは嫌というほどわかってもいるし実感もしている。
だけど、外見上はどこからどうみても人間にしかみえない。いや、多少整いすぎている気がしないでもないが、だからといってすぐに人外だと言い切る人間の方が遥かに危ない人間だ。
警戒しながらもどうやって答えていいのか考えを巡らせる。
「何って、ウチのお手伝いさん…だけど」
琥珀の存在を外部に説明するさいには、この説明以外の言葉がみつからない。
家族、でもなく、友達でもなく、だからといって知り合いというには少し素っ気無さ過ぎる。琥珀本人は居候ですよー、などという答えを吐きそうだが、それでは衣食住の全てをフォローしている人間に対して失礼だろう。相変わらず琥珀のご飯はおいしいし、と、またもや思考が真剣に考えることを拒否しかけてしまった。
「お手伝いって、お手伝いって、あんた、化け物に乗っ取られるわよ!!!」
乗っ取られる、と、言われれば我が家やすでに琥珀に乗っ取られているといっても過言ではない。タオル一つとってみても、私は琥珀に聞かなければその置き場所がわからないときがある。情ないことだが、そうやって至れり尽せりの生活はやはり居心地が良い。
「いや、乗っ取られるといわれても、お手伝いさんというか家族というか…」
馬鹿の一つ覚えのように同じ言葉を繰り返す。
琥珀は人間だ、人間、と暗示にかけながら。
「だいたいどういうこと?あんなにも不自然なのにどうして誰も何も言わないのよ!」
私には人間の姿にしか見えない琥珀が彼女の目には異なって映っているらしい。だからといって、はいそうですか、と言えるわけではないけれど。
恐る恐る私の方へと近寄ってきた琥珀は、ぴったりと私の背中へとひっついている。どうやら大声に驚いただけで、本質的に彼女が恐いわけではないらしい。
玄関で靴も脱げずに突っ立ったままの私と、興奮しながら琥珀の事を誰何する怪しい美少女。金髪娘が来た時には、相手が人外とわかっていたためある意味扱いやすかったのだが、しっかりきっぱり人間だとわかっている少女を乱暴に扱うわけにはいかない。
「だいたいココの家だっておかしいわよ、普通は自縛霊の一つや二ついるものなのにどうしてココの家にはちっともなにもいないのよ?」
この少女は、自称霊感少女らしい。いや、琥珀の正体を見破ったのだからそれも本当のことかもしれない。琥珀のような存在と、霊だのなんだのという存在が同一のものなのかは私にはわからないけど。
「同じようなものですよ、とてもおいしく、いえ、弱い思念体は余程波長が合わないと見えないですけど」
「琥珀……とりあえず黙ってろ」
私の頭の中の疑問にすぐさま答えてくれるのは便利だが、今この状態でぺらぺら話されてはたまらない。少女はじっと琥珀を怪しいものでも見るような目で睨みつけている。
「それに、こんなにはっきりと誰にでも見えるだなんておかしいじゃない」
「はっきりも何も…」
「最初見た時に驚いて後をつけてみたら、皆あなたのこと見えているみたいなのに誰もなにもおかしいって思っていないみたいだし、あなたときたら仲良くお買い物??有り得ないんだけど!」
興奮した少女は拳を握って興奮している。
なんとなく面倒くさいけれども、いいことを思いついた。
ニヤリと私が口の端をあげると、当然何もかも察している琥珀がためいきをつく。
「知りませんよ、僕は」
なおもキャンキャン喚いている少女に向って長い長いため息をつきながら、琥珀が私の考えを実行に移す。
「きゃああああああああああああああああああああああああああ」
唐突に少女の悲鳴が響き渡ったかと思うと、コメディードラマのようにそのまま後ろへとバタンと倒れてしまった。
どうやら恐怖の余り気絶してしまったらしい。
「琥珀、何に変化した?」
「いえ、その…このまえビデオで見た」
「ああ、あのジャパニーズホラー…」
琥珀がどんな姿をとっているのか確認することを恐れ、倒れた少女を見たまま会話を続ける。
ちょっとだけ驚かせて彼女が逃げていった隙に、ちょっとだけ思考を琥珀に食べてもらってそのテンションの高さをなんとかしてもらおう。なんて思ったのだが、驚かせすぎてしまったらしい。
「仕方がない…」
原因であるところの琥珀に指示をして部屋へと運びこむ事にした。
結局、私はがっつり巻き込まれる運命にあるらしい。