彼の容姿をもってすれば、今までこれほどきっぱりと拒否されたことなどないのだろう。異様に打たれ弱い金色妖怪は畳の上に両手をついて、がっくりとうな垂れている。
「あきらめないからな」
唐突に前向きになった彼は、一輪の薔薇を彼女に差し出す。
「これぐらいは受け取ってくれ」
それぐらいは、と右手を薔薇へと差し伸べる。彼はとても自然に姉の手をとり、そうして…。
ガシッ!!
畳に何かが打ち付けられた重い音が響く。
そう、私が、金色妖怪を足蹴にして、ついでに畳の上に踏みつけてやったからだ。
「おまえな、ねーさんにしるしをつけようとはいい根性をしておるな」
「だぁ!!それぐらいいいじゃねーかよ。けちけちすんな」
「アホンダラ、そんなことしたらおまえは姉さんのところに来放題じゃないか」
「ぐっっ、誰がそのことを」
「おまえがベラベラ喋ったんだろう」
「しまった!!秘密にしておけば」
あまりのアホさ加減に右足に力が加わる。
「ぐえ!!ちょっと待った」
「待たない」
余りな光景に、後ろで小刻みにふるえている妹の方に振り返える。
「とりあえず兄を連れて帰れ、うっとうしい」
操り人形のように頷いて、慌てて兄の方へ駆け寄る。首根っこを捕まえて横たわったままの彼をずるずると玄関先へ運ぶ。トコトコと小さな妹はその後を追っかける。
「移動はできないのか?」
「しるしがないから無理」
「つまるところ手段は」
「徒歩」
あまりに使えない能力に天を仰ぎそうになる。
玄関の扉を乱暴に引き、兄の方を蹴りだす。妹も慌てて扉をくぐる。
パンパンと両手をはたき、両肩をほぐす。
「最初からこうすればよかったんだ。ぬかった」
居間に戻ると、エリックが元の状態、つまり正座してぐったりと疲れていた。
「よくやったわ、さすが私の妹」
姉は嬉しそうにはしゃいでいる。
「翠さん、これからも気をつけないと」
泣き出したらしい赤ちゃんに手早く用意したミルクを与えている琥珀。まさか育児まで手慣れているとは思わなかった。
「で、ねーさん、最初の話にもどるけど」
ぎくりと身体を震わせて、逃げの体勢に入る。間髪いれずに逃げ道を塞ぐ。
「父さんたちにいいつけるぞ」
「いや!」
「既成事実が出来てんだから、エリックさんとのことは話さないといけないだろうが」
「それはそうだけどさ、えへ」
「愛想笑いしてもかわいくないし」
だいたい妊娠して出産、廉君の月齢を考えたら一年以上前から関係してたってことだろうが。
「ほら、一年以上も行方不明でも気が付かなかった人たちだしさ」
「放任主義にも程がある、ではなくて、私がフォローしておいたからだ」
「あらやだ、ほんと?ごめんねーー」
余りも軽い謝罪の言葉に思わずバットを握り締める。
「いや、ほんと、まじで、謝るから」
「まあまあ、翠さん落ち着いて」
後ろから琥珀も宥めにかかる。
「仕方がない。譲歩案を出そう」
私が出した提案に思いっきりふて腐れていた姉だが、いつかはやらなくてはいけないことだからと、自分を納得させるように了承した。
ただたんに、エリックと一緒に両親に会いに行くことと、琥珀がこの家にいることを了承、黙認、すること、の両方だが、後者はともかく前者はなかなかハードルが高い。しかしいつまでもこのままというわけにはいかない。それは姉自身が一番強く感じていることだろう。
「というわけで、エリックさんには色々迷惑をかけたみたいで、申し訳ない」
「いえ!!こちらこそ、なんかやっかいな揉め事を解決してもらったような」
座布団と一緒に引きこもっていたため、詳細は把握していないが、なにやら通常起こりえない出来事が発生し、通常ではない方法で解決した、ということだけは理解しているらしい。
「ねーさんはこれからどうする?」
「そうね、仕事も辞めてきちゃったし、当分この家に住むわ」
「「はい?」」
琥珀と私の返事がはもってしまう。
「今までどこにいたわけ?」
「割と近くよ、ちょくちょく家に帰ってきて、ここから母さんとこに電話したりしてたし」
そんな姑息な手段を用いてたとは。どうりで私のあやふやなアリバイ証明にも納得していたはずだ。あちらの家ではナンバーディスプレイを用いてるからな、それを利用するとは。
「この家にいるのはかまわないが」
「ええええええええええええ!この怖い人とずっと暮らすんですか?」
「琥珀、哀しいことに先住権はこちらにある」
「そういうこと、琥珀君、残念だけど親子そろって居座るから」
「そんな!紫さん、僕はどうしたらいいんですか」
涙目になってエリックが抗議する。
「いや、まあ。姉さんが嫌じゃなきゃ、ここで暮らせば?」
「いいんですか?翠さん」
「うん、いいというか」
ちらりと姉の方を窺うと、姉さんは当然と言った顔で頷いている。最初から3人で居座る気だったらしい。
「やっと、落ち着いて暮らせますぅーー」
「僕の静寂が…」
対照的な言葉を呟く二人。
一人ぼっちだったこの家は、突然4人プラス一体(?)となる。
琥珀には申し訳ないが、騒がしくなりそうだ。
「そういえば、琥珀…。いつかは出て行くって」
「ええ、出て行きますよ」
「そう、か」
ここを気に入っている彼も、えさがなくなれば他へ行くということかもしれない。それがいつかはわからないが。
「翠さんが出て行けば、ですが」
「え?」
「ここにいるのは何も良質なごはんがあるからじゃないってことですよ」
そう言って笑いながら私の頭をポンポンと撫でる。
琥珀の言っている意味はわからない。
でも、彼がとりあえず長く一緒にいそうだと言うことはわかる。
今はただ、それだけでいい。